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塩の博物館

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たばこと塩の博物館だより
(注:Webマガジン『en』2002年12月号から2007年3月号に連載されたものです。)

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第8回 ~塩にまつわる「大移動」(その4)~高梨 浩樹 たばこと塩の博物館 学芸員

第5回から前回まで続けてきた「塩にまつわる移動」について、今回もまた、継続して考えていきたい。

◆事例3 レンバタ島(インドネシア)ラマレラ村の漁民

註1
インドネシアの東フローレス地方に、レンバタ島という島がある。その島のラマレラ村は、クジラ漁を軸に生計を営む漁民たちが暮らしている。ラマレラでは男女の分業がはっきりしているが、女性たちは、最も暑く乾燥している10月~11月に天日採鹹(さいかん)・煎熬(せんごう)法で塩を作って保管しておいて、男性の漁の収穫がほとんどなくなってしまう2月に、保管しておいた塩を内陸に持っていき、トウモロコシと交換している。レンバタ島内では、次回紹介する予定の山の民の集落タポバリ村のように、天日製塩も行われているが、内陸部へ運ばれて交易に供される塩は、このラマレラの煎熬(せんごう)塩だけである。交易に際して、ラマレラの女性たちは塩だけでなく、もちろん男性が捕ったクジラの肉を持っていくが、内陸の人々によく売れるのは塩の方である。

この事例は、海産物(クジラ肉を含む)と塩はあるが穀物がない「海の民」が、穀物はあるが海産物や塩がない「山の民」の方へと、塩や海産物を持って交易に行くという図式であり、「海の民」と「山の民」の交易ときいて、典型例としてイメージするものに近い(註2)。

このような「塩のありかからの移動」の話は、文献には登場しなくとも、実際には無数の例があるだろうと推測される。前回、かつての日本の例として文献から紹介した「野田塩ベコの道」もわかりやすい例だったが、文献に書かれている以上の詳細は調べようがない。一方、ラマレラの例は現在の話で、目的に沿った形での追加調査も不可能ではないし、日本の塩の道より素朴な交換経済の実態が、詳細に明らかになる可能性もある。その点で、今後、「塩の人類史」のなかで「塩のありかからの移動」を考えていく上では、このラマレラ村の事例が持つ意味は、かつての日本の塩の道の事例が持つ意味よりも大きいと言えるだろう。

「塩のありかからの移動」と「塩の必要性」

以上、「塩のありかからの移動」の事例を3つ紹介してきた。しかし、これらの事例で、「塩の必要性」は明確になっただろうか。

以前から私は、展示や文章をいろいろと考えるときに、「塩の必要性」を語ろうとして、「海から山へ」という日本の塩の道を例に出すことが多かったのだが、どこかで「伝えきれていない」と感じることがあった。私が目にした塩に関する書籍や記事の中にも、同じやり方で「塩の大切さ」を語ろうとしているものがあるが、「なるほどうまく塩の必要性を語ったな」と思わせるものにはほとんど出会っていない。

いずれも、「移動を語る」ことで「必要性が語れる」と感じているために、同じようなスタイルになるのだろう。事実、この連載も、第5回以降は「移動を語る」ことで「必要性を語ろう」としてきたわけである。

にもかかわらず、ここまで3つの事例で紹介してきた「塩のありかからの移動」では、「塩の必要性」は判然としない。その理由をここでいったん噛み砕いておこう。

「移動」という語には、「何らかの必要があって努力して移動している」ようなニュアンスが感じられるから、「移動を語る」ことで「必要性を語る」やりかた自体は、おそらく間違ってはいない。間違っているのは、事例の選び方である。

「移動」の例として、目につきやすく身近な「海から山へ」という日本の塩の道を持ち出してしまい、それを詳細に語れば「必要性」を語れるだろうと考えたところに問題がある。つまり、「移動」を持ち出して「必要性」を効果的に語るためには、「必要な側が移動する」話であることが前提になっているという点に注意がおよばず、「移動の方向」に無頓着に、事例を選んでしまっていたということである。

前回と今回のように、意識して「移動の方向」を限定して整理してみると、「塩のありかからの移動」を例にして「塩の必要性」を語るのは、実は、有効なやり方ではないということが露呈してしまうということだ。

前出の3つの「塩のありかからの移動」の事例では、より強く「塩の必要性」を感じているはずの「塩を持たない内陸の人々」は移動せず、移動するのは、「塩を持つ人々」の方だった。むしろ、これらの例ではっきりしたのは、「塩の必要性」ではなく「穀物の必要性」の方である。

だからといって、塩を持たない内陸の人々が「塩の必要性」を感じているはずだという想定そのものが否定されたわけではない。「交易が成立している」事実だけでも、内陸の人々の「塩の必要性」を証明していることにはなるからである。

それでも、「移動の方向」から整理したときに、海岸から移動してきた人々が積極的に交易を「求める」側に見え、相対的に、内陸の人々が交易を「迎える」側に見えてしまい、結果的に、内陸の人々の「塩の必要性」がかすんでしまったのでは、「塩の必要性」を軸に、ヒトと塩との関係を語りたい「塩の人類史」の立場としては、残念である。

その打開策は、事例3の「クジラの肉より塩の方がよく売れる」ことに、少しだけ顔を覗かせている。つまり、交易を「迎える」側の受け入れ方や歓迎の仕方にはじまり、「何を、いくらで(または何と)、どれくらい買う(または交換する)のか」といった取引の詳細にいたるまでを知ることができれば、内陸の人々にとっての「塩の必要性」が見えてくる可能性があるのである。

しかし、そのような「取引の詳細を知ることができる文献」は、「どこからどこへ塩を運んだかを記した文献」に比べて、数が少ないだろう。ならばしかたがないというわけで現地調査をするとしても、取引の詳細の事例や「歓迎の仕方」の事例を収集する方が、「どこからどこへ塩を運んだか」といった交易の概略の事例を収集するよりも難しいと想像される。

結局のところ、「塩の人類史」の中で、「塩にまつわる移動」を通して「塩の必要性」を語ろうとする場合には、「塩のありかからの移動」よりも「塩のありかへの移動」の方を、より重視した方がよいということになる。

では、「塩のありかへの移動」の方は、具体的にどうなっているのか。そして、それによって「塩の必要性」がはっきりし、「塩の人類史」として何かを語ることができるのだろうか。今回の稿では、途中から話が方法論へと脱線してしまったが、次回以降は、今度は「塩のありかへの移動」の事例紹介に話を戻して、考察を続けたい。

(注 : 本稿は、Webマガジン『en』 2004年3月号に掲載されたものです。)

(註1)
小島曠太郎・江上幹幸,1999,『クジラと生きる』中公新書1457,中央公論社
なお、製塩法の詳細については、今回の話の筋から逸れるので「天日採鹹・煎熬法」という記載にとどめた。詳しくは同書をあたられたい。また、この塩づくりと交易については、NHKの紀行番組でも紹介されたことがあり、とくに「クジラの肉より塩の方がよく売れる」という本文での記述は、その番組の記憶に基づいている。しかし今回は、残念ながら、番組名や放送日時を確認することができなかった。

(註2)
前掲書を詳しく見ると、「海の民」どうしや「山の民」どうしの交易もあり、もう少し複雑な交換経済のネットワークの話になっているのだが、「海の民」と「山の民」の間の交易だけに限定すれば、本文に書いたような図式になる。

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