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塩の博物館

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たばこと塩の博物館だより
(注:Webマガジン『en』2002年12月号から2007年3月号に連載されたものです。)

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第3回 ~塩の人類史を語るための「文化」について~高梨 浩樹 たばこと塩の博物館 学芸員

前回は、「塩の人類史」を語るときの「歴史」とは、例えば豊臣秀吉について事物をつらねて語る「歴史」だけでなく、昆虫や森の「歴史」について考える自然史的な方法論を積極的に含めて考えた方が、おもしろい「物語」を紡ぎ出せそうだという話を書いた。そして、物語を紡ぎ出すためには、単に歴史的事実を「つらねる」だけではなく、全体を「つらぬく論理」が必要であることを述べた。今回は、これまで2回に渡って述べてきた方法論やスタンスを踏まえて、「歴史」と並び、博物館が扱う大きなテーマである「文化」について、私が構想する「塩の人類史」の立場から考えてみたい。

「文化」とは?

あらためて「文化」という言葉を考えてみると、定義が非常にあいまいで、それを使う場面によって、意味が変化してしまうことに気付く。定義があいまいであることは、あらゆる場面で使うことができるという意味で、非常に便利でもあり、そもそも「明確に理由の説明し難いもの」に言及する時に、「文化」という言葉を持ち出すことによって解決しているようなフシもある。もともと「文化」とはあいまいなもので、それが「文化」の魅力であるのかも知れないのだが、今回のように正面から向き合って考えようとする時には、あいまいなままでは少々厄介なので、ここでは大きくふたつに分けて考えてみたい。

意図的な文化

ひとつめの「文化」は、「文化施設」などと言う場合の「文化」である。「文化施設」には、コンサートホールや美術館などがあり、博物館も含まれるだろう。それらの施設で利用者に供されているもの、音楽、絵画や彫刻などの美術品、歴史資料などが、「文化」に相当するものということになる。これらの例では、「人間が生み出したもの」のうち、実用的な価値よりも「芸術的な価値」や「学術的な価値」を認められたものを指して「文化」と呼んでいるようであり、狭義の概念の「文化」ということができる。一時期、美術館でマンガ展を催すことに対して、「マンガは文化なのか」といった議論がされたことがあったが、これも、「実用性以外の価値基準を満たしたものを文化と呼ぶ」という考え方に立っている点では同じであり、マンガ展が議論になったのも、単に「芸術性」や「娯楽性」といった「価値基準」の問題に過ぎない。ここでいう「文化」に属するものごとには、このようにしばしば価値判断が付きまとう。「国指定文化財」などと言う時の「文化」も、この考え方の典型である。「塩の文化」としては、例えば、製塩風景を詠んだ和歌や、製塩作業を描いた絵画、ヨーロッパの貴族が用いた純金製の塩壺などは、この概念に相当する「文化財」ということになる。これらは、ある程度、意識的に生み出された「文化」であるから、ここでは便宜的に「意図的な文化」と呼ぶことにしよう。ここに挙げたような「意図的な文化」は、具体的な実体としては「作品」などと呼ばれることも多く、価値判断の対象になるようなものたちである。博物館とは、主にこれらの「文化」を扱うところだと考えている方も多いかも知れない。

結果論的な文化

ふたつめの「文化」は、「生活文化」「東洋文化」などと言う時の「文化」で、「人間が生み出したもののうち、実用性以外の価値基準を満たしたもの」というような基準らしきものがなく、よりあいまいな概念である。人間が生活する上で生み出したすべてのものが「文化」になってしまうような広義の概念であり、ひとつめの「意図的な文化」もこの中に入ってしまうかも知れない。「意図的な文化」との違いをもう少しはっきりさせようとするならば、「生活様式」と言い換えることが可能な「文化」であるといえるだろうか。

それは「文化人類学」などが扱うところの「文化」であり、「正月には初詣に行く」といったような習慣や、「雑煮には何を入れるのか」といった「しきたり」など、必ずしも実用性とは関わらない「文化」もあれば、農作業の必要に適うようにできている「暦」や、豪雪に耐え養蚕に便利な「合掌造りの家」といった、実用性と密接に関わった「文化」もある。この概念に則して「塩の文化」を考えるとき、ひとつめの「意図的な文化」には入らなかったようなことがら、「盛り塩」や「清めの塩」などの塩にまつわる習慣や、「(ある社会において)塩が流通するときの形状が粒なのか塊なのか」といった話(註1)、さらには、各地で発達したさまざまな「製塩法」などを含めることができる。

これら、ふたつめの「文化」の多くは、日常的、流動的で、「意図して作り出した」ものというよりは、「気がついたら結果的にそうなっていた」という類のものだろう。ひとつめの「意図的な文化」に対比するならば、「結果論的な文化」と言うことができるだろうか。ふつうは、「意図的な文化」のように価値を判断されることがないため、ある基準に照らしてその価値を考える「文化財(註2)」にもなりにくく、放っておけば自然に別の形に変化して消えていき、消えたことすら気付かれないような「文化」である。ひとつめに挙げた「意図的な文化」に比べて華やかさに欠け、ふつうは特段の価値を持たないものであるため、あまり注目されることもない。博物館で取り上げたとしても万人受けするテーマにはなりにくく、資料としても提示しにくいため、なかなか展示という形で日の目を見ない「文化」である。しかし、価値あるものと考えられている「意図的な文化」と同様に、博物館が扱うべき「文化」であることにかわりはない。

「塩の人類史」は、必ずしも、どちらかの「文化」に限定して考えなければならない、というものではない。どちらの概念の「文化」も視野に入れておく方が、語れることが豊かになって楽しいだろうとも思う。しかし、「必需品としての塩」というような、1本の筋を通した通史的な物語として「塩の人類史」を語ろうとするならば、ひとつめの「意図的な文化」だけを考えていたのでは、断片的な個別情報の羅列になるばかりで、どうにもならないことに気付く。むしろ、ふたつめの「結果論的な文化」に属する事象を通史的に見ていったときに、はじめて見えてくる物語があるのではないだろうかという発想が、「塩の人類史」の出発点であり、「塩の人類史」では、ふたつめの「結果論的な文化」の方を重点的に扱うことを明確にしておきたい。

「適応」の論理でつらぬく「文化」

とはいえ、「結果論的な文化」を「つらねて」いくだけでは、やはり物語にはならないだろう。そこで、前回の稿で述べたような「つらぬく論理」が必要になってくる。「必需品としての塩」を考えるとき、「つらぬく論理」のひとつになり得るのは「適応」という概念だと考える。もともとは生態学の概念で、生物は、その生息環境(食物や気候など)に適った機能をもつ体に進化したり、生活様式を身につけた結果、はじめて生き残ることができるという考えに立ち、生物が環境に適った体や生活様式を獲得することを「適応」と呼んでいる。クマなどが冬眠するのも食料が少ない冬季に対する「適応」であるし、フンコロガシが他の動物の糞をエサにしているのも、動物の糞が多い環境への「適応」の結果というわけである。

人間も生物の一種であるから、同じ「適応」という論理をあてはめて考えることができそうである。塩が、生き残るのに欠かせない「必需品」であるならば、人間は、それぞれの環境に「適応」して、何らかの形で塩を得てきた結果、現在も生きているのだと考えることができるだろう。このように考えると、「適応」は、「必需品としての塩」をテーマに「塩の人類史」をつらぬいて考えることができる論理になると思うのだ。しかし、生態学ではふつう、人間を対象としていない。かつては「人間と他の生物は根本的に異なる」という考え方が主流だったためでもあるだろうし、生態学が、物理学のような厳密な「科学」を目指そうとしたときに、「文化」を持った生物である人間を対象にしていたのでは、例外が多くなりすぎて、厳密な法則を導きにくいと考えたからかも知れない。

生態学が人間を対象にしていない理由はともかくとしても、人間が他の生物と大きく異なった特徴を持っているのは事実である。「その特徴こそが文化である」という話はよく耳にすることだが、ここでいきなり「文化」を持ち出してしまうと、「文化」の意味内容のあいまいさに寄り掛かって何となく納得し、しばしば話がそこで終わってしまう。「文化」の話を持ち出す以前の問題として、生物としての人間にも大きな特徴がある。それは、他の生物に比較して、非常に広大で多様な生息環境を持っていることである。人間は、砂漠に近い乾燥地にくらしている一方、湿潤な熱帯雨林でもくらしている。極地方に近い寒冷地にもいれば、熱帯にもいる。標高4,000mの高山で生活している人間もいれば、標高0mの海岸や海上で生活している人間もいる。人間は地球上のいたるところにいるのだ。生物の1つの種として、人間ほど多様な環境で生きているものはいない。他の生物の場合、例えば、寒冷地にすむホッキョクグマと、温帯にすむツキノワグマと、熱帯にすむマレーグマは、それぞれ別の種なのである。

人間が、1つの種の生物として、これだけ異なった環境で生きていけるからには、他の生物とは異なった「適応」のしくみを持っていると考えるのが自然である。そのしくみこそが、先に述べた「結果論的な文化」に含まれた重大な機能であると考えれば、異なった環境に人間が「適応」できるのは、「文化」を「適応」させているからだと説明できるのである。

「塩の人類史」の背骨としての「生態人類学」

このように、「文化」を「適応」と関連づけて考える学問分野のひとつに「生態人類学」というものがある。京都大学理学部動物学科を中心とした、いわゆる「サル学」から出発した学問分野で、もともとは、サルからヒトへの「進化」が中心テーマだったため、必ずしも「適応」の問題だけを扱ってきたわけではないが、「適応」は、生態人類学のなかで常に大きな位置を占めてきたテーマである(註3)。

生態人類学では、先に述べた「意図的な文化」、つまり音楽や絵画といったものにも関心がないわけではないが、それよりも「どのような環境にすんでいるか」「何を食べものとし、どのようにそれを得ているのか」といったような、生きのびるために必要になる「結果論的な文化」の方に重大な関心を払って、長期滞在による綿密なフィールドワーク(野外調査、現地調査)が積み重ねられてきた。食料獲得という意味での「適応」も、フィールドワークによって得られた詳細なデータにもとづいて、主に「採集・狩猟」「漁撈」「牧畜」「農耕」といった生業活動、つまり「文化」の問題として論じられ、長年に渡っての膨大な知見の蓄積がある。

塩はエネルギーになる食料ではないため、これまで、塩が直接的に生態人類学の問題となることはほとんどなかった。したがって、「塩の文化」について、生態人類学的な事例の蓄積があるわけではない。しかし、環境に「適応」し、生き残るための「食料獲得」戦略として「文化」を扱う生態人類学的な方法論は、生き残るための「塩獲得」を扱う方法論としても援用できるのではないかと考えられる。

例えば、「必需品としての塩」を考えるときに、まず必要になるのは、「どのようにして塩を得るか」といった事例をできるだけ集めることであるが、地域によって利用できる塩資源が異なり、気候条件によって製塩法も異なっているだろう。ここで生態人類学的な方法論に立てば、それぞれの時代、それぞれの地域、それぞれの生業に応じて、塩を獲得・生産するときの「文化」や、塩の利用方法に関わる「文化」を、異なる環境に「適応」させることで、人類は生きのびてきたのであり、それゆえ、人類は地球上のあらゆるところで生活することが可能になったのだというように、「塩の人類史」の物語を紡ぎ出していくことができると思うのだ。

そのようなわけで、生態人類学を「必需品としての塩」を考えるときのひとつの有効な手法とし、それを背骨にして、徐々にさまざまな事例を肉付けしていくことで、しだいに「塩の人類史」が構築できていくのではないかと考えているのだが、背骨だけではどうしようもない。具体的な肉付けの作業はまだまだこれからの話である。今回までの稿で、「塩の人類史」を考える方法論やスタンスなどの抽象的な話題はひとまず終わりとすることにして、次回からは、それぞれの生業活動の中における具体的な「塩の文化」について、事例を交えて考え、「塩の人類史」の骨格づくりと肉付けをしていきたい。

(注 : 本稿は、Webマガジン『en』 2003年4月号に掲載されたものです。)

(註1)
詳しくは以下の文献を参照。
村上正祥,1995,「塩粒と塊」『そるえんす No.27』,ソルトサイエンス研究財団
村上正祥,1997,「古代社会における塩とその形状」『日本塩業の研究 25』,日本塩業研究会

(註2)
製塩法のなかには、能登の揚浜式製塩のように、「無形文化財」として指定(当初は珠洲市指定、現在は石川県指定)されているものもあるが、これはごく稀な例である。

(註3)
生態人類学に関して、詳しくは、以下のような書籍がある。
秋道智彌・市川光雄・大塚柳太郎(編),1995,『生態人類学を学ぶ人のために』,世界思想社
田中二郎・市川光雄・佐藤弘明・佐藤俊・大塚柳太郎・寺島秀明・篠原徹・西田利貞ほか(編),2001~(逐次刊行中),『講座 生態人類学』(1~7巻),京都大学出版会

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