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塩の博物館

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たばこと塩の博物館だより
(注:Webマガジン『en』2002年12月号から2007年3月号に連載されたものです。)

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第14回 ~「移動」をともなわない塩適応(その1)~高梨 浩樹 たばこと塩の博物館 学芸員

前回の最後に「大きな移動や交易をしなくとも、(塩を含めての)環境適応が可能な例」として、内陸製塩に触れた。全く個人的な理由(転居)で申し訳ないが、今回の稿に使おうと考えていた参考資料(館の資料ではなく自ら入手したもの)の一部が現時点までに発見できなかったため、今回からは、ひとまずは俯瞰的に内陸製塩を紹介しながら、考察を進めることにしたい。

前回、内陸製塩の話を出した文脈は、「穀物や木材といった生活必需品が入手できる環境で、かつ、塩も得られる環境にすむヒトであれば、塩のありかへの移動や交易によらずとも、安定的に環境適応ができるのではないか」という想定に基づいたものであった。そこでまずは、「製塩」ではなく「塩の調達」、「ヒト」ではなく「サル」の適応の例の紹介から入りたい。サルの話を持ち出すのは、もちろん、「食料が得られる場所に生息している野生動物がどのように塩を補給しているのか」という話が、「穀物や木材が得られる内陸にすむヒトがどのように塩を得ているか」という話と同じ文脈で考えることができそうだからであるが、今回あえて取り上げるのは、サルについての新たな知見が得られたからでもある。

この連載の情報源はたびたびテレビであり、今回も偶然、第5回のターキンと同じ番組を視聴していただけで、自ら努力して得た情報ではなく、知見というほど立派な話でもないのが恐縮だが、2005年2月28日にNHK総合で放映された『地球ふしぎ大自然 シリーズ人が育んだ日本の緑(1) 帰ってきたツキノワグマ~足尾銅山の森』(註1)の中で紹介されていた話である。

番組自体は、サルではなくツキノワグマを主体にして、日本初の公害問題の地としてあまりにも有名な足尾を舞台に、「壊滅的な影響を受け、土壌も流失し、岩肌まで露出してしまっていた森が、人力での土壌張りつけや植林といった人々の多大な努力によって再生し、動物たちも戻ってきていること」、「動物たちは、通常の森での生態からは考えられない行動をとることによって、一見回復しているように見えるが自然の森とは大きく異なった特殊な環境に適応していること」を紹介していた。

余談だが、実は、私もかつて足尾を訪れたことがある。大学院に在籍していた折、「環境科学野外実習」の一環として、日本初の公害問題の地を訪れたのである(足尾は日本初の自然保護運動・国立公園の地である日光と隣接しており、対照的な両者をセットに巡検する内容の実習だった)。訪問当時も、「二度と森には戻らない」とまで言われた地に立派に植生が回復して、むしろ美しい風景に驚いたことがあったので、思わずチャンネルを回す手を止めて、風呂に入るのを延期して興味深く見ることにしたのであった。土壌と植生の回復のところまでは、かつて学んだ記憶をなぞりながら落ち着いて見ていたのであるが、森に戻ってきた動物たちの生態(これはこれで、通常森を出ることが稀なツキノワグマが、開けた場所で岩をめくってアリの蛹を食べる等、興味深い適応戦略だった)を紹介していく内容になったときに、「なんだか今回もどこかで塩が出てくるような・・・まさか!?」という、例のふしぎな胸騒ぎがあって、さらに注視しているとニホンザルの話になった。

ニホンザルの群れは、週1回、ほぼ定期的に、銅山の廃坑のため放置された民家(廃屋)の床下に潜り込んで、木材をなめている。番組では、これを「人が残した塩分が朽ちた材木に染み込んでいるのを摂取しているらしい」と解説していた。さらに、「通常の森林土壌の層は1メートル以上あるはずだが、土壌が一度失われてしまった足尾では、人が運んだ土が元になっているだけに、甚大な努力をもってしても限界があり、土壌の層は数センチしかない」「通常なら土壌中の塩分で足りているが、土壌が貧弱でミネラルに乏しい足尾の環境では、廃屋に染み込んだ塩分で補う必要があるのだろう」と解釈されていた。また、「カモシカもニホンザルと同じ行動をとる(周期性があるかどうかは不明)」ということだった。

この話は、番組中ではごくわずかな時間しか取り上げられず、詳しいことがわからない。「なぜ、廃屋の木材に塩分があるのか?」「塩分とは塩化ナトリウムなのか、その他のミネラルなのか?」といった点もあいまいである。また、「貧弱な土壌で不足する塩分を補う行動」という解釈も正しいとは限らない。しかしながら、サルが「それらしい行動」をしていることは事実で、現在でも観察できる事例でもあるから、今後、可能であれば調査して事実関係をはっきりさせたいと考えている。

現時点では、ひとまず番組での解説が正しいと仮定して考えてみたい。この話で注目すべき点は、「第5回のターキンと同じウシの仲間の草食哺乳類であり、塩なめ行動に違和感のないカモシカだけでなく、カモシカよりもはるかにヒトに近いニホンザルであっても、それなりの塩分欲求と塩なめ行動があるらしいこと」「塩なめ行動と解釈される行動は偶発的なものではなく周期性を持っていることから、適応的な意味があるとも推測可能であること」「ニホンザルの環境適応においても、エネルギー源となる食料だけでなく塩への適応を含めて考えうること」である。これはつまり、「エネルギー源となる食料だけでなく塩への適応(塩の入手)を含めて考える」というスタンスが、ヒトの環境適応を論じる(例えば内陸製塩の問題)際にも、同じように当てはめて無理のないものになるだろうということである。サルもヒトも同じ環境適応の文脈で考えうるということは、「サルを見ることである程度ヒトのこともわかるだろう」ということである。「サルを見ることでヒトを知る」アプローチの方は、前述のように、今後、足尾のニホンザルを調査することで進めたいと思う。

一方で、ヒトの環境適応を、「エネルギー源となる食料だけでなく塩への適応を含めて考える」アプローチは、方法論上は有効でも、塩が不足することなく供給され、食料の流通網も発達している現在の日本では使いようがない。塩が不足することなく供給されていることは、塩専売や塩事業センターの業務の成果で、生活者として素晴らしいことではあるが、この問題の調査者としてはいささか残念でもある。そのように「現在」の「日本」では難しいアプローチではあるが、「過去」や「海外」であれば、「ヒトの環境適応を、エネルギー源となる食料だけでなく塩への適応を含めて考える」ことは可能である。「海外」の問題はひとまず置いておくとして、「過去」の日本の事例として、このアプローチに相応しいと思われるテーマが「内陸製塩」なのである。

日本の「内陸製塩」といわれてすぐに思い当たるという方は、塩事業関係者を除くと、ほとんどいらっしゃらないと思われる。確かに、岩塩や塩湖といった内陸性の塩資源に恵まれない日本では、古来、もっぱら海水を原料に塩を調達してきたのは事実であるし、たばこと塩の博物館でもそのように展示・解説している。しかし、内陸製塩が皆無だった訳ではなく、極めてわずかな生産量ながら、例外的に行われた事例が知られており、『日本塩業体系』等にも記述がある(註2)。また、明治時代まで行われていた長野県下伊那郡大鹿村鹿塩の塩泉製塩の例は、岩塩を追い求めた黒部銑次郎の逸話とともに塩事業センター発行の『Salt 21』(註3)にも紹介されており、またこの製塩は、近年、復活してもいる。

内陸製塩自体を問題にするのであれば、復活した鹿塩の塩泉製塩を調査すればよい(いずれは調査したい)が、今回からの稿で、「現在」ではなく「過去」を取り上げようとする動機は、「流通が未発達な時代」で「塩不足が起こりえた時代」の方が、「エネルギー源となる食料だけでなく塩への適応を含めてヒトの環境適応を考える」うえで考えやすいからである。復活した現在の製塩ではうまくないのであり、かつての鹿塩の塩泉製塩について、過去の姿を復元して考える必要がある。

その意味では、戦中戦後の塩不足期の「自給製塩」はまさにうってつけで、静岡県賀茂郡南伊豆町の下賀茂温泉の事例(註4)などが知られている。

また、鹿塩のように知られていないが、鹿塩とは南アルプスを挟んで反対側にあたる山梨県早川町奈良田温泉でもかつては塩泉製塩が行われていたことを近年知った(今回発見できなかったのはこの資料である)。

今回の稿では、前置きばかりが長くなってしまい、内陸製塩の話に入れなかったが、次回以降、事例を紹介しながら、考察を続けたい。

(注 : 本稿は、Webマガジン『en』 2005年4月号に掲載されたものです。)

(註1)
http://www.nhk.or.jp/daishizen/fbangumi4/tukinowaguma.html

(註2)
日本塩業体系編集委員会(編),1976,『日本塩業体系 特論地理』,日本塩業研究会 ほか

(註3)
田中奈津子,2001,「塩泉スケッチ紀行 鹿塩温泉」,『Salt 21』通巻7号,塩事業センター

(註4)
高梨浩樹,2000,「温泉熱利用式製塩の技術的研究~南伊豆下賀茂温泉桜井製塩の場合~」,『研究紀要第7号 開館20周年記念論集』,たばこと塩の博物館

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