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塩の博物館

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たばこと塩の博物館だより
(注:Webマガジン『en』2002年12月号から2007年3月号に連載されたものです。)

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第6回 ~塩にまつわる「大移動」(その2)~高梨 浩樹 たばこと塩の博物館 学芸員

前回は、ターキンという動物が、塩を求めて標高4,000mのヒマラヤ高地まで大移動するという話をした。今回はそれを出発点に、もう少し「塩の人類史」よりの話として、塩にまつわる「大移動」を考えてみたい。

ヒマラヤの標高4,000mの高地に塩があるという前回の話は、一見とてもふしぎな感じがする。とくに、古来、海水から塩を得てきたわれわれ日本人にとっては、「海」と「ヒマラヤ高地」という2つのイメージのギャップが大きすぎて、ふしぎな感じをより強く感じるのかも知れない。前回紹介したNHKの番組でも、そういう素朴な疑問にあらかじめ答えるかのように、ヒマラヤの高地に塩がある理由について、「インド亜大陸がユーラシア大陸にぶつかったときに閉じ込められた海水がヒマラヤ造山運動で持ち上げられたため」であるという具合に、簡単な解説をしていた。

実は、「内陸に塩があること」自体は、このような「地球の歴史」として見れば、それほどふしぎな話ではない。ヒマラヤの場合は、たまたま標高が4,000mもあるので、驚いただけである。地球には、このヒマラヤの例のほかにも、同じような「地殻変動によって閉じ込められた海水」がたくさんある。「閉じ込められた海水」が結晶して堆積した「岩塩」はよく知られているし、「内陸に閉じ込められた海水」という意味では、死海やグレートソルトレイクのような「塩湖」も同じである。

「海から遠く離れた内陸」という言い方があるが、上記の「内陸に閉じ込められた海水」のことを考えると、「内陸」には、「海から離れているが塩がある内陸」と「海から離れ、かつ塩からも離れた内陸」の2つが存在することになる。これに、「海に近い沿岸」を加えてみると、地上のあらゆる場所をおおざっぱに3つに分類できたことになる。

ここで、塩を好む「ある動物」が、3つのそれぞれの場所に住んでいる場面を想定して考えてみたい。「海に近い沿岸」に住んでいる場合、塩が必要ならば近くの海に行けば解決するはずである。「海から離れているが塩がある内陸」に住んでいる場合は、近くの塩がある場所に行けば解決するはずである。しかし、「海から離れ、かつ塩からも離れた内陸」に住んでいる場合には、「海に近い沿岸」か「海から離れているが塩がある内陸」を目指して、大きく移動しなければならないということになるだろう。前回紹介したターキンは、「海から離れ、かつ塩からも離れた内陸」に住んでいたからこそ、「塩がある内陸」を目指して大移動することになったのだ。つまり、「塩にまつわる大移動」は、ターキンだけの話ではなくて、「塩を好む動物」が、「海から離れ、かつ塩からも離れた内陸」に住んでいる場合なら、どこで起こっていてもふしぎではないことになる。

この場合の「離れている」というのは、かなりあいまいな表現なのだが、「日常の行動圏から離れているかどうか」だと定義すると、ターキン以外の動物で、日常の行動圏から「離れて」塩を求めて移動する例を、残念ながら、私はあまり知らない。例えば、かつてネイティブアメリカンがバッファローを狩るための場所だったSalt Lickや、「鹿塩」などという地名のもとになったようなシカの「塩なめ場」は、どちらも「海から離れているが塩がある内陸」ではあるのだが、それがバッファローやシカの日常行動圏内だったのかどうかが、よくわからないのである。どうも、それほど大移動ではないようなイメージがある。

また、「海から離れ、かつ塩からも離れた内陸」に住んでいる動物は、「塩がある内陸」を目指す例だけではなく、「海」を目指して移動するという例もあってよいはずだが、これもあまりきいたことがない。ニホンザルの中には、ときおり海岸に出て、波をかぶる磯で海藻を摘み取って食べる群れの例があるのだが、これも、それほど大移動というイメージではないようである。いずれ、きちんと調べてみなければと思ってはいるのだが、塩を求めて大移動する動物は、いまのところ、ターキン以外には知らないのである。

しかし、「塩を求めての大移動」ではなく「塩にまつわる大移動」ということなら、あてはまる動物がもう1つだけある。それはヒトである。いわゆる「塩の道」を通っての塩の交易は、まぎれもなく「塩にまつわる大移動」である。千国街道や秋葉街道をはじめ無数にある日本の「塩の道」だけでなく、サハラ砂漠をこえる「塩の道」や、標高マイナス174mのアッサル塩湖(ジブチ共和国)から標高4,000mのエチオピア高地にまでおよぶ「塩の道(註1))」などのような、ラクダのキャラバンによる大移動もある。ターキンの話に出てきたヒマラヤ(ブータンではなくネパール)にも、ヤクのキャラバンによる「塩の道」があって、苦労して塩を運ぶ様子は『キャラバン』という映画(註2)にもなり、数々の賞を受賞している。このヒマラヤ越えの「塩の道」は、北ネパールのドルポ地方に住むチベット系少数民族が、北側の中国領チベットの岩塩(湖塩の可能性もある)を手に入れ、最高所が5,000mを超えるという険しい峠を命がけで越えて、ドルポより南側のネパールの町まで運び、ドルポの村では必要量が得られない穀物と交換するというものである。

これら人類の「塩の道」の例と、前回のターキンの例は、どちらも「塩にまつわる大移動」という意味では同じであり、どちらも「塩の大切さを物語るエピソード」として興味深い。しかし、人類の「塩の道」と、前回のターキンとは、移動の方向が大きく異なっている。ターキンの例では、「塩を求める者」が「塩のある場所」へ移動していくのに対し、人類の「塩の道」の場合は、どちらかというと、「塩のある場所にいる者」が、塩とともに「塩を求める者」の方へと移動していくのである。同じ「塩にまつわる大移動」ではあるが、「塩のありか」を基準にして見たときには、出発点と目的地の関係が逆になっている。

では、同じ「塩にまつわる大移動」であるにもかかわらず、出発点と目的地が正反対になってしまったのはなぜだろうか。私は、そのカラクリは、「交易」という行為の中にあると思う。「交易」を「他者のために何かを運び」かつ「運んだモノを他者の持つ何か他のモノと交換する」行動だと考えるならば、動物には、親が子に餌を運ぶような「他者のために何かを運ぶ」行動は見られても、「運んだモノを他者の持つ何か他のモノと交換する」行動は見られない。つまり「交易」は人類が産み出した「文化」なのである。

「文化」というのは、とらえどころのない概念ではあるのだが、第3回にも書いたように、ここでは「塩の交易」という「文化」を、「ある環境へ適応した結果」として解釈してみたい。

まず、単に物質としてみた場合、塩は、地球上のあちらこちらに見られ、とりたてて珍しいものではない。しかし、歩いて移動することだけを想定して「塩を好むある動物」の立場から考えてみると、塩は必ずしも手に入りやすい物質ではなく、「塩のありか」が偏っていることがハッキリしてくる。先に述べた言い方で言い換えるならば、塩は、「海」または「海から離れているが塩がある内陸」に偏って存在しているのであり、「海から離れ、かつ塩からも離れた内陸」に住んでいる者は、"もし塩を必要とするならば"、何らかの対策を考えて「適応」する必要が出てくる。ターキンなどの動物は「塩のありか」へ移動することによって「適応」したのに対し、ヒトは、「塩のありか」に近い者に塩ごと移動してきてもらう「交易という文化」によって、塩が存在しない環境に「適応」しているというような解釈になるだろうか。

とはいえ、人類史のはじめから「交易という文化」があったとは考えにくい。「塩のありか」から離れて住むヒトは、はじめは、ターキンと同じように「塩のありか」へと移動していたのではないだろうか。そう考えてみると、「交易という行為がいつから人類の文化になったのか」「塩の交易はどのようにして成立したのか」というテーマは、「塩の人類史」にとって、非常に大きなテーマになってくる。また、今回の論では、そもそもの移動の動機について、「塩を好む動物」とか「もし塩を必要とするならば」という仮定だけで単純に片付けてしまったのだが、「交易」を「適応」という文脈できちんと考えるときには、「塩が必要な理由」についても、もう少し具体的に考えなければならないだろう。次回以降は、「塩が必要な理由」と「塩交易の成立」についてもう少し話を続けて、「適応」という論理につらぬかれた「塩の人類史」の物語を描く努力をしてみたい。

(注 : 本稿は、Webマガジン『en』 2003年11月号に掲載されたものです。)

(註1)
このキャラバンについては、[Salt Gallery 切手に描かれた塩]として、以下の文献にも簡単に紹介した。
塩事業センター旧企画部刊,『Salt21』(9),2002.4

(註2)
この映画(原題:Hymalaya - L'enfance D'un Chef)で監督をしている現地在住のフランス人エリック・ヴァリは、写真家としても活動しており、廃刊となってしまった雑誌『GEO(日本語版)』にもキャラバンの様子を紹介している。
Diane Summers[文],Eric Valli[写真],1996,「ネパールの秘境地帯ドルポ~最後のキャラバン南へ」『GEO』 3(2),同朋舎,80-102

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