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塩の博物館

塩について学んだり体験したりできる全国の博物館、資料館等のリンク集です。クリックすると外部のサイトに移行します。

たばこと塩の博物館だより
(注:Webマガジン『en』2002年12月号から2007年3月号に連載されたものです。)

記事一覧

第1回 連載にあたって高梨 浩樹 たばこと塩の博物館 学芸員

たばこと塩の博物館とは?

たばこと塩の博物館は、日本専売公社(当時。昭和60年に民営化され、現在は日本たばこ産業株式会社)が扱う専売品であったたばこと塩に関して、文化遺産としての絵画や工芸品、民族資料などをもとに、文化史、産業史などの調査研究や資料収集を行い、その文化と歴史を系統的に展示・紹介することを目的として、昭和53年11月3日に開館しました。その後、昭和60年1月には、開館後の活動による情報の蓄積や資料の収集などを展示に反映させるべく常設展示の全面改装を行い、より広く「たばこと塩の歴史と文化」を紹介する展示になりました。

塩の展示

塩に関連するものとしては、3階の常設展示室「日本の塩・世界の塩」があります。「世界の塩」では、世界各地の様々な岩塩や湖塩などの内陸性の塩や、乾燥した気候を利用して作られる天日塩などの分布を紹介し、実物標本を展示しています。「日本の塩づくり」では、内陸性の塩資源や気候に恵まれていない日本では、太古より海水から塩を取り出す独自の製塩技術が発達してきたという歴史を紹介しています。そのほか、塩の科学的な性質や、広くくらしを支えていながら意外に知られていない塩の用途なども紹介しています。

また、毎年夏休みには、主に小学校高学年生を対象にした特別展として、「夏休み塩の学習室」を開催しています。今年の夏で24回を数えた「学習室」は、小学校の理科の中で「ものの溶け方」などの内容があることに関連して、実験なども交えた、どちらかといえば理科的な内容が中心ですが、毎年少しずつテーマ設定を変えながら、塩の奥深い世界をできるだけ広く紹介したいと考えて取り組んできました。「知っているようで意外に知らなかった塩」について、小学生だけでなく、家族ぐるみで楽しんでもらうことができる企画として定着してきました。

いま考えていること

さて、その博物館でもっぱら塩を担当する学芸員として、隔月でこの「塩の博物誌」に塩の記事を連載するという機会を得たわけですが、すでに当館のホームページや塩事業センターのホームページなどに記載されているような「事実」というよりは、ちょっと冒険をして、その時々で気になっていることや考えていることというような、私の「考え」を書いていきたいと思っています。正規の博物館活動の中では、なかなか形にすることができなかったテーマを考える場にしたいということです。中には、事実誤認や、未熟な考察なども多々あるかとは思いますが、そのような点については、読者のみなさんから、むしろどしどしご指摘やご意見をいただいて、徐々に充実した内容になっていけば幸いだと考えております。

内容はその時その時で考えていきたいので、まちまちになるとは思うのですが、そのままではあまりにも散文的ですから、今回はその所信表明というか、一定の方向性のようなことを書いておきたいと思います。

塩にまつわる究極の質問

博物館で仕事をする中で、小学生の子どもから投げかけられる様々な質問の中でもっとも答えるのが難しい質問というのがあります。それは「塩はなぜしょっぱいの?」というものです。読者のみなさんなら、どう答えますか?

ひとつは「舌には味蕾という、味の刺激を感じて、それを信号に変えて神経に伝える場所があって、その信号が脳に伝わると脳はしょっぱいと思うんだよ」というような、いわば生理学的な答え方です。しかし、これだけでは、子どもは何だか納得したくない様子です。そこで私が考えたもうひとつの答え方は、「塩は生きていくために必要なものだけど、特に草食動物では食べ物の中にはあまり入っていない。草だけだと塩が不足するから、たぶん、塩を見つけることができた動物、つまりしょっぱい味がわかる動物だけが生き残ることができたんだよ。人間ももともとは草食動物に近い生きものだったから、しょっぱい味がわかるように出来てるんだよ」という、進化の概念まで織りまぜたややこしい回答です。この答えだと子どもは何となく納得したような、満足したようなそぶりを見せてくれます。もちろん、きっちり理解できたわけではないでしょうし、説明そのものの「正しさ」にも問題があるかも知れません。そもそも、答えが思ったよりややこしかったので、とりあえず納得したそぶりを見せただけという感も否めません。それでも、なんだか決着することはするのです。

子どもは本当は何を知りたくて質問したのでしょう? それは、結局のところよくわからないのですが、進化の話まで含めた、予想外に壮大な説明に、それが壮大であるが故に、何となく満足したのではないかと考えています。そして、確証のないその壮大な説明に、私自身も何だかわくわくするのです。そのわくわく感は、大袈裟にいえば、「知的好奇心のよろこび」とでもいえばいいでしょうか。

究極の疑問

今度は「究極の質問」ではなく、「究極の疑問」の話です。塩についての疑問(=知りたいこと、研究課題)はいくつもあります。例えば、日本では縄文時代後期後葉に古鬼怒湾(現在の霞ヶ浦沿岸)で、土器製塩が始まったと考えられています(前回の「塩の博物誌」で紹介された『日本塩業大系 原始・古代・中世(稿)』にも記載されています)。しかし、その縄文製塩は後の時代に継承されなかったようで、塩が、よく言われるように必需品なのだとしたら、これは非常に奇妙に思えます。つまり「なぜ縄文製塩は継承されなかったのか?」ということです。それはまた、「はたして塩は本当に必需品なのか?」という、さらに大きな謎にもつながります。これらの謎については、次回以降また詳しく考えたいと思いますが、今回は、そうやって考えていった先にある、私の考える「究極の疑問」を紹介して、今後の方向性を考えたいと思います。それは、そもそも人はなぜ塩を採るのか、さらには、「人間にとって塩とは何なのか?」というものです。塩についてのいろいろな疑問を突き詰めていくと、最後にはそこに行き着いてしまうのです。それこそが、塩について考えたり、研究したりする場合の究極のテーマではないかと思います。そして、そんなことを考えているとき、やっぱり私は何だかわくわくするのです。
では、その「究極の疑問」に答えるにはどうしたらいいのでしょう?

塩の人類史?

先の「究極の質問」は、子どもにとってみれば、本当に素朴に発した問いなのでしょうが、それに答えようと試行錯誤する中で、私は「究極の疑問」に答えていくスタンスについても、ひとつのヒントがあると感じるようになりました。

そのひとつは「進化」の概念が入っていることです。「人間にとって塩とは何なのか?」を考える上では、まず、「そもそも人はなぜ塩を採るのか?」という疑問に答えなくてはなりません。それには、「生命維持に欠かせない物質」という意味で生理学的、あるいは生物学的な説明も不可欠ですが、そこに「進化」の概念を滑り込ませると、草食動物(ひょっとすると38億年前の最初の生物)まで遡って、そこから人間に至るまでの塩とのかかわりを、なんとなくまとまった「物語」として説明ができるように思うのです。

もうひとつは、話が壮大になることです。例えば生理学的な説明だけでも、一応の説明はできるかも知れませんが、それだけでは何だか物足りない。もっと大きな「物語」として語ることができたら、説明する側にとっても、説明をきく側にとっても、何だか「おもしろい」のではないかということです。

さて、それでは「人間にとって塩とは何なのか?」に戻って考えてみましょう。すると、当然、「生物としての人間」だけでなく、文化的な側面を考える必要も出てきます。そもそも塩は何の役に立って来たのかという「塩が果たしてきた社会的な機能」の歴史もあれば、「浄めの塩」のような信仰・習俗の話もあるでしょう。つまり、さまざまな学問分野にわたって、いろいろな角度から考えていかないと、納得できる答えには行き着けないように感じる、ということです。

そこで私が考えたひとつの方法は、「生物としての人間」と「文化を持つ人間」の両面にわたって、関係のありそうな事例を、見つけたものから拾い上げ、「文化を持つ生物としての人間」の歴史として、とにかく1つにまとめて考えてみてはどうだろうか、というものです。そこに、さらに「進化」の概念も織りまぜて、「塩の人類史」としてながめたら、その中から答えらしい物語が見えてこないだろうかという発想です。

これは一度に考えるには壮大すぎて、この文章を読んでいただいているみなさんにも何のことやらつかみかねるでしょうし、私自身も、全体を考えてしまうと呆然としてしまいます。いつになったら、答えに行き着くのかもわかりません。そもそも、「人間にとって塩とは何か?」という疑問には、永久にひとつの答えは出ないのではないか、と危惧する方もあるでしょう。矛盾するようですが、もしかすると、答えは出なくてもいいのです。つまり、疑問に答えるべく塩の人類史を「完成させる」ことが目的なのではなくて、その作業の中から、いろいろな答えを見つけて、「人間にとっての塩」をいろいろな角度から語ることができる「物語」の数が増えていけば、それはそれで、とても「おもしろい」のではないかということです。

というわけで、まずは肩の力を抜いて、次回以降、少しずつ具体的な話を紹介して、個々の事例や方法論を考えたり、「こういう答えもあるかな」などと考えたりしながら、「物語」のレパートリーを増やしていければいいなと考えています。

(注 : 本稿は、Webマガジン『en』 2002年12月号に掲載されたものです。)

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