知る・調べる
塩の博物館

塩について学んだり体験したりできる全国の博物館、資料館等のリンク集です。クリックすると外部のサイトに移行します。

たばこと塩の博物館だより
(注:Webマガジン『en』2002年12月号から2007年3月号に連載されたものです。)

記事一覧

第10回 ~塩にまつわる「大移動」 (番外編:夏休み塩の学習室)~高梨 浩樹 たばこと塩の博物館 学芸員

前回(第9回)の末尾では、「塩のありかへの移動」について、昔の日本の事例を紹介して、話を続けると書いた。しかし、その話はまた次回に順延させていただくことにし、今回は、第5回から前回まで続けてきた「塩にまつわる移動」の話の本筋をちょっと離れて、たばこと塩の博物館の夏の特別展『夏休み塩の学習室』についてご紹介したい。

夏休み塩の学習室は、小学校高学年生を主対象に、毎年、夏休みの期間に合わせて開催してきており、今年で26年目になる。塩の性質を紹介する実験などもまじえて、どちらかと言えば「理科的」な視点から塩を紹介する企画で、自由研究のヒントを提供する場として、社会的にも定着していると感じている。

夏休み塩の学習室は、ストーリーに沿った実験を見せながら塩の性質を紹介する『塩の実験室』をはじめ、子どもたちも簡単な実験が体験でき、塩に関する質問にも答えるワークショップ『体験・質問コーナー』、そして、毎年少しずつ異なった内容を取り上げる『テーマ展示』を3本柱に構成されている。今回、この場を借りて、夏休み学習室をご紹介しようと考えたのは、今年の『テーマ展示』の内容が、この連載と深く関わっているからである。

今年の夏休み塩の学習室のタイトルは、『生きものにきこう!塩のひみつ』で、これはそのまま『テーマ展示』の内容を表わしている。そして、ポスターやチラシのデザインの中心には、この連載の第5回に登場し、「塩をめぐる移動」についての議論の出発点になった『ターキン』のイラストが配されている。つまり、今年の『夏休み塩の学習室』の出発点もターキンなのである。

今回のテーマ展示では、ターキンのほかにも、ヌー(オグロヌー)、アオバト、ウミガメ(タイマイ)、ミズナギドリ(ハシボソミズナギドリ)、サケ、ウナギ、アカテガニ、モクズガニ、マングローブ(ヤエヤマヒルギ)という具合に、様々な生きものが登場する。哺乳類もいれば、鳥類や魚類、甲殻類、さらに植物まで混ざっていて、一見すると、何の脈絡もないように見えるが、実は、すべて、塩に関係が深い生きものなのである。以下にざっとご紹介しよう。

○ターキン

すでに第5回で紹介したように、ヒマラヤ山麓にすむターキンは、標高1,500mの亜熱帯の森から、春の芽吹きの温帯林を抜け、標高4,000mの高山帯を目指して登り、その目的地には塩水の泉がある。移動の目的を塩だと言い切ってしまうのは問題があるが、塩が不足しがちなウシ科の草食動物で塩欲求が高いと考えられること、登る途中で塩(ナトリウム)をほとんど含まない若葉を大量に食べること、登る途中で子どもを産むため、出産(子どものからだを構成している血液などの塩分)と授乳(乳には子どもに与えるための塩が若干含まれている)でかなりの塩を失うと考えられることなどから、塩も、移動目的の1つにはなっているだろうと考えられる。

○ヌー

アフリカの草原にすむヌーは、雨季と乾季の変わり目に、タンザニアのセレンゲティ国立公園とケニアのマサイマラ国立公園の間を、大群で移動することで有名である。移動の目的は水と草であって、塩は直接の目的ではないだろう。しかし、塩が不足しがちなウシ科の草食動物という点ではターキンと同じで、マサイマラへ移動した後は、毎朝、塩まじりの泥のある場所に大群が集まってきて、塩水や泥をなめる。かなり塩分濃度が高いらしく、ひとなめか、ふたなめくらいで通り過ぎていく。セレンゲティとマサイマラの間の大移動の理由は塩でなくとも、マサイマラの中での日周移動の目的の1つは塩であるといえるだろう。

○アオバト

よく知っている身近なハト(ドバト)とは、一見して異なることがわかる、鮮やかな緑色をした森林性のハトである。「渡り」をするようなので、1つの森に定住しているわけではないようだが、春から夏にかけて丹沢山地(神奈川県)にすんでいるアオバトは、毎日、大きな群れになって、大磯海岸の岩場に飛来し、海水を飲むことで知られている。台風の影響などで海が荒れているときには、荒波にのまれて命を落とすアオバトもいる。まさに命がけで海水を飲みに来るのである。春から夏のアオバトは専ら塩分に乏しい漿果類(木イチゴのような果汁に富む果実)を食べていること、子どもに与えるピジョンミルクに塩分が必要だと考えられることから、海水を飲みに来る理由の1つは塩だと考えられている。海水吸飲行動をはじめ、解き明かそうとして活動しているグループもある。

●ウミガメ

ウミガメの仲間は、産卵に上陸するとき以外、ほとんどの時間を外洋でくらしており、真水を飲む機会がなく、海水を飲んでいる。そのままでは体内の塩分が濃くなり過ぎるため、体中の塩を集めて捨てる塩類腺という器官を持っている。ウミガメの塩類腺は目に開いているため、産卵時に涙を流しているように見える。

●ミズナギドリ

海鳥もウミガメ同様、外洋でくらす時間が長く、塩類腺を持っている。なかでもミズナギドリの仲間は外洋性が強い。海鳥の塩類腺は、鼻に開いている。

●マングローブ(ヤエヤマヒルギ)

植物は、ふつう、海水程度の塩水で育てても枯れてしまうが、熱帯に分布するマングローブと総称される植物は、かなり海水に近い濃度の塩水でも生育できる。満潮時にはほとんど海に見えるような場所にも生育するヤエヤマヒルギは、体内の塩を葉の中に集めて溜め込み、落葉として捨て去ることで、塩に対応している。塩を溜め込んだ葉は黄色く変色して、やがて落ちる。根元には黄色の落ち葉を食べてくらすので名付けられた大きな巻貝(キバウミニナ)もすんでいる。温帯の落葉樹は季節的にまとめて葉を落とすが、塩を溜め込んでは少しずつ葉を落とすヤエヤマヒルギの根元には、いつもある程度の落ち葉があるのだろう。

◇その他の生きもの

生きものの1つとして、ヒトも取り上げる。第8回第9回で紹介したインドネシアのレンバタ島の山の民の事例(塩を求めて海に降りていく)は、塩のありかへの移動ということでは、ターキンやアオバトに似ている。逆に、塩がない場所へ塩を運んだり、他のものと交換するのは、ほかの生きものには見られないという話として紹介する。そのほか、海にしかすめない魚(マグロやカツオなど)と川にしかすめない魚(コイやフナ)はどうちがうのか。海と川を行き来できる魚(サケ、ウナギ、アユなど)は、なぜ塩があるところにも、ないところにもいけるのか。産卵に海に下らなければならないカニ(アカテガニ、モクズガニ)と一生淡水域で生活するカニ(サワガニ)はどうちがうのかなども紹介する。

以上に掲げたような生きものを、どういう形で「展示」すれば、子どもたちに喜んでもらえるだろうか。実は、これまでの夏休み学習室の『テーマ展示』では、写真パネルと解説文という組み合わせでの展示になってしまうことが多かったのだが、そうした平面的な展示だけでは、興味を持つ子は限られてしまう。今回は、これだけたくさんの生きものを取り上げるのだから、欲を言えば、動物園のように生きて動いてくれる動物を見せたいところだが、それは無理な相談というものである。せめて、平面の写真パネルではなく立体、できれば本物がいい、ということで、オグロヌー、アオバト、タイマイ、ハシボソミズナギドリに関しては、国立科学博物館の協力を得て、剥製を展示できることになった。

体長2メートル、角までの高さ1.8メートルという大きなオグロヌーは言うに及ばず、剥製を借りてきて展示するというのは、夏休み塩の学習室でははじめての試みである。当然、話の発端になったターキンの剥製も展示したかった。多摩動物公園で亡くなったターキンがいることがわかり、期待したのだが、毛皮の状態が悪くて剥製にはできず、骨格標本しかないということだった。いろいろな剥製があるのに、私をこの企画にまで導く原動力になったターキンが、写真パネルとビデオの展示になってしまった。このことは、企画担当者として、非常に残念だが、まずは、いろいろな生きものがたくさん並んでいるのを見て、楽しんでもらおうというわけである。

次に、内容を少し突っ込んで考えてもらえるようにしたい。例えば、今回紹介してきた生きものたちを、ちょっと擬人化して整理してみよう。「○印」で紹介した、ターキン、ヌー、アオバトは、いうなれば「塩が足りなくて困っている」生きものたちである。逆に「●印」で紹介した、ウミガメ、ミズナギドリ、マングローブは「塩が多すぎて困っている」生きものということになる。○印の生きものと、●印の生きものでは、塩との関わり方が逆になっているというところが、今回の『テーマ展示』の要である。

実は、今までの『テーマ展示』では、からだの中の塩のはたらきなど、「塩の必要性」の方を重点的に取り上げる傾向があったが、今回は、ミズナギドリやウミガメのように、「塩は、ときには邪魔者になる」という側面も紹介しようという試みなのである。この話は、白か黒かという話ではなく、白でもあり黒でもあるという話で、小学生にとってわかりやすい話ではない。今回は、一種の穴埋めクイズをしながら展示を見て回ってもらう「クイズ形式の展示」も取り入れ、なんとか、楽しみながら理解してもらえるように、趣向をこらしているところである。

「塩が足りなくて困っている」生きもの(ターキン、ヌー、アオバト)もいれば、逆に、「塩が多すぎて困っている」生きもの(ウミガメ、ハシボソミズナギドリ、ヤエヤマヒルギ)もいるということを通して、「生きものにとって、塩は、多すぎても少なすぎてもダメ」ということが、子どもたちにも、なんとなく伝わればと考えている。さらに、生きものの1つであるヒトの場合でも、「塩は、多すぎても少なすぎてもダメ」ということを理解してもらえれば、成功だといえるだろう。さて、どうなるだろうか。

というわけで、今回は、「ターキンという出発点」が同じだという理由で、前回までの「塩にまつわる移動」の話をいったん中断して、『夏休み塩の学習室』を紹介させていただいたわけだが、改めて考えてみると、ターキンは、1つの象徴なのかも知れない。これまでの連載を振り返ると「(生理的)必需品としての塩」「塩の人類史」「塩にまつわる移動」というようなキーワードをよく使っており、そこに共通するのは「生きものの方から塩を見たい」「生きものと関連づけて塩を見たい」という指向性である。連載という形を借りて、それらの、自分の中で漠然としていたものを文章化する機会を得られたことで、少しずつ具体的な情報も集積し、それが、今回の夏休み塩の学習室『生きものにきこう!塩のひみつ』として結実したのだろう。この連載がなければ、形をなさなかった企画だと思うのである。

今回、夏休み塩の学習室『生きものにきこう!塩のひみつ』を紹介させてもらったのは、このような、連載を契機として誕生したという経緯もさることながら、一部に、この連載よりも先に形にしてしまった内容が含まれているという事情もある。また、第8回第9回で紹介したインドネシアのレンバタ島の事例についても、このインターネット上の連載では版権の問題もあって画像が掲載できなかったが、展示では何枚かの写真パネルで紹介できる。そのような事情で、この連載をお読みいただいている方々(あまり多くはないかも知れないが)にも、展示の方に足を運んでいただければと考え、あえて、「塩にまつわる移動」の話をいったん中断して、紹介させていただいた。

(注 : 本稿は、Webマガジン『en』 2004年7月号に掲載されたものです。)

  • twitter
  • facebook
  • LINE
トップヘ戻る