- 第1回 連載にあたって
- 第2回 ~塩の人類史を語るための「歴史」について~
- 第3回 ~塩の人類史を語るための「文化」について~
- 第4回 ~塩の人類史のスタートポイント~
- 第5回 ~塩にまつわる「大移動」(その1)~
- 第6回 ~塩にまつわる「大移動」(その2)~
- 第7回 ~塩にまつわる「大移動」(その3)~
- 第8回 ~塩にまつわる「大移動」(その4)~
- 第9回 ~塩にまつわる「大移動」(その5)~
- 第10回 ~塩にまつわる「大移動」 (番外編:夏休み塩の学習室)~
- 第11回 ~塩にまつわる「大移動」 (番外編2:夏休み塩の学習室をおわって)~
- 第12回 ~塩にまつわる「大移動」 (その6)~
- 第13回 ~塩にまつわる「大移動」 (その7)~
- 第14回 ~「移動」をともなわない塩適応(その1)~
- 第15回 ~「移動」をともなわない塩適応(その2)~
- 第16回 ~「答えは1つではない」ということ(その1)~
- 第17回 ~「答えは1つではない」ということ(その2)~
- 第18回 ~ チベットの「内陸製塩」 ~
- 第19回 ~ 現在の群馬県での「内陸製塩」 ~
- 第20回 ~ 九州の塩泉紀行 その1-大分県山香温泉・今畑鉱泉- ~
- 第21回 ~「町じゅうが塩だらけ」だということ~
- 第22回 ~九州の塩泉紀行 その2 -大分県神塩鉱泉- ~
- 第23回 ~九州の塩泉紀行 その3 -大分県六ヶ迫鉱泉- ~
- 第24回 ~九州の塩泉紀行 その4-宮崎県鹿野田神社塩井戸・高屋温泉- ~
第16回 ~「答えは1つではない」ということ(その1)~
今回は、前回までの「内陸製塩」の話題からは全くそれてしまうのだが、今年の「夏休み塩の学習室」について紹介させていただきたい。「夏休み塩の学習室」は、基本的には小学校高学年生を対象にした企画だが、一緒に来館する保護者の方に見ていただくことも想定しており、必ずしも「子ども向け」の話だけであるとは限らない。特に、今年のテーマ設定は、かなり実験的、冒険的なもので、このWebマガジンをお読みの方々にも考えていただきたいことを含んでいるため、今回、ここで取り上げてさせていただくことにした。
たばこと塩の博物館では、今年も7月21日から8月31日までの期間、「夏休み塩の学習室」を開催した。これは、毎年小学校4・5・6年生を主対象に、実験などを交えて、おもに「科学的」な側面から「塩」を紹介しようという企画で、今年で27回目であった。とはいえ、27年もの間、毎年同じ展示を繰り返しているわけではない。同じことの繰り返しでは、お客さんにも来てはもらえないだろうし、何より、企画する側(つまり私自身)が飽きてしまう。そこで、毎年、少しずつ異なるテーマを設定して、その年ごとの「テーマ展示」を企画することになる。その「テーマ展示」の内容は、結果としてみれば、「私がその時点で関心を持っていたこと」とほとんど等しいものになってくる。特に、昨年くらいからはその傾向が著しい。すでに、この連載の第10回に書かせていただいたように、昨年の「テーマ展示」は、「この連載の内容から生まれた企画」とも言えるものであったし、「私がその時点で関心を持っていること」である以上、この連載と無関係な話ではない。ということで、少々強引ではあるが、お付き合い願いたい。なお、「塩の学習室」の全体像は、「テーマ展示」の部分以外は、昨年の第10回で紹介したものと重複するので、今回の稿では省略する。
今回は、あくまで、「今年のテーマ展示」に限定してお話ししたいと思う。今年のテーマは、展示のタイトルとしては『海と塩のハテナ?いろんな見かたで考えよう!』となっているのだが、一言で「○○がテーマです」という具合に短く表現するのは難しい。というのも、今年のテーマが二重構造になっているからである。ひとつは「海と塩」であって、よく使われる意味での「テーマ」という言葉ならば、「海と塩がテーマです」だけでもよいのだが、今年の場合、実は企画者としてのテーマの重点は「いろんな見かたで考えよう」の方にある。企画者として伝えたいこと、考えてもらいたいことという意味での「テーマ」は「いろんな見かたで考えること」であって、「海と塩」というのは、あくまで展示で扱う「内容」や「対象」、「考えるための材料」を表しているにすぎないのである。
展示会場では、海と塩に関わる6つの『ハテナ?(=設問)』をカードにして用意した。来館した子どもたちは、設問カードを1枚とって、全部で6台あるコンピュータに差し込んで、それぞれのコンピュータの「答え」を聞いて回るという構成になっている。6台のコンピュータはそれぞれが異なり、以下の「回答者」の役割をする。
- 理科の先生
- 社会の先生
- 小学生の男の子・女の子
- 漁師さん
- 生きもの(クジラ、干潟のカニ、海の魚のスズキ、シカ)
- 占い師(設問に応じて海上保安庁の人、国語の先生、塩工場の人を紹介)
1枚のカード(1つの設問)であっても、それぞれのコンピュータ(回答者)から得られる「答え」はすべて異なるように制作してある。つまり、たずねる相手によって「答え」が異なるというわけである。それによって、「ものごとの答えは必ずしも1つじゃないこと」「見かたによって答えは変わること」に気付いてもらおうという趣向である。
そして、6つの設問の内容は、以下の通りである。
- 海はなに色?
- 海はどこからどこまで?
- 海はどのように分けられる?
- 海の水はなぜしょっぱい?
- 塩はなに色?
- 塩はどこからきた?
設問だけを見れば、何も難しいことではないように見えるかも知れない。小学生からの質問としてもありそうなものである。これをお読みの皆さんならどのように答えるだろうか。ここで一旦、先を読むのを止めて、しばし考えてみていただきたい。
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さて、すでに「答えは1つではない」とタネを明かしてしまっているので、いくつかの答えを考えられた方もいるかもしれないが、タネを明かしていなかったら、どのような「答え」になっていただろうか。以下のような「答え」が多かったのではないかと思われる。
- 海はなに色?
「青」。なぜ青く見えるかと言えば、太陽の光(可視光線)を7色に分光したとき、赤や橙などの色は海水に吸収されやすく、海中に差し込んだまま戻って来ないのに対し、青い光は吸収されにくいため、海中での散乱や、浮遊物や海底での反射などで再び海面に戻ってくる量が多く、青く見える。 - 海はどこからどこまで?
「陸から陸まで」「陸じゃないところが海」。例えば、千葉県九十九里浜の海岸線とカリフォルニアの海岸線の間は太平洋と呼ばれる海。 - 海はどのように分けられる?
太平洋、大西洋、インド洋、北極海、南極海の「5大洋」と、その付属海。 - 海の水はなぜしょっぱい?
平均して約3%の「塩が溶けているから」。 - 塩はなに色?
「無色透明」「色はない」。 - 塩はどこからきた?
「海」。
従来の「塩の学習室」であれば、上記の「1つの答え」で解説をして終わりにしていた。クイズを作ったり、テストを作ったりするなら、それで終わりでもよい。むしろ、その方がクイズ作り、テスト作りという仕事は簡単になるし、早く終わっていいのかもしれない。世の中の大部分の人も、1つの設問に1つの「答え」が得られれば満足するのではないだろうか。逆に、1つの設問に2つ以上の「答え」が出ることを嫌う方もありそうである。というのは、例えば、自由研究での質問を受けて、2つの「答え」を解説(Aという説もあるし、Bという説もある)した場合、「レポートにはどちらを書けばいいか」というようなことを聞かれることがあるからである(ほとんどの場合は親から)。これは、「答えは1つになるはず」で、「2つ以上の答えがあるのは例外的」で「できれば答えは1つにしたい」と考えているということだろう。今年のテーマ展示の趣旨は、「それで本当によいのか」という話である。
そこで、先ほどと同じ設問で、例えば、以下のような「答え」は不正解なのかをじっくり検討してみていただきたい。
- 海はなに色?
コップに一杯だけ汲んで見れば青ではなく「透明」。東京湾で船の上から見たら「茶色」だった。テレビで見た北極の海は氷だらけで「真っ白」。 - 海はどこからどこまで?
「海面から海底まで」。「海岸線から海岸線までが海だと思うが、満潮時と干潮時では海岸線がちがうので、明確には決められない」「海水があるところまでが海だと考えると、海と川との境目のうすい海水のところがハッキリしないので、決められない」 - 海はどのように分けられる?
「暖かい海と冷たい海」「深い海と浅い海」「領海と公海」 - 海の水はなぜしょっぱい?
「人間は塩水をしょっぱいと感じられるようにできているから」。 - 塩はなに色?
「袋に入って売られているのは白」「赤や青、茶色、ピンクの岩塩もあるのでいろいろ」。 - 塩はどこからきた?
「地面の下からきた(岩塩)」。「湖からきた(塩湖)」。「温泉からきた(塩泉)」。「水蒸気とともに大気中にあった塩素(塩化水素の形で)と地殻中にあったナトリウムが合わさって海が誕生したといわれているのだから、空と地面の中からきた」。
いかがだろうか。中には少々屁理屈だと感じられる「答え」や、設問自体があいまいだから、違う答えが出たのだと感じられた方もあるかもしれない。そういう面もたしかにある。しかし、上記の「答え」を不正解だと言い切れるだろうか。私はどれも間違っていないと考える。
先に示した「1つの答え」とは異なっていても、不正解にはしがたい、別の「正解」が出てくるのはなぜだろうか。私は、それは、「答え」を出すために使われている「考えかた」や「見かた」が異なっているからだと考える。海の色の例では、素直に考えた小学生の「見たまま」という「見かた」では「青」とか「東京湾は茶色」という答えが感覚的に自然な「正解」だろうし、理科の先生の「見かた」で考えると「青いのはなぜか」という話が「正解」になるだろう。製塩工場の人の「見かた」では、あまり意識的でないにせよ海水は「透明」だと考えているだろうし、間違っても「塩作りの話の中で」海水が「青」と意識される場面はないだろう。そもそも、ヒトの色覚という、無意識の前提になっている「見かた」を外して、ウミガメにはなに色に見えているかと言い出せば、海がどんな色になるか分かったものではない。
要するに、異なった「答え」が出るということは、突き詰めて考えれば、「答え」を出すための「見かた」が異なっているということであり、「正解」というのは、ある特定の「見かた」の上でのみ成り立つものなのである。だから、「見かたが変われば答えは変わる」のである。そして世の中のことは、ほとんど全ての場合、「見かたが変われば答えは変わる」はずで、先に書いたのとは逆に、「答えが1つでない方が正常」で「答えが1つしかない方が例外的」なのではないだろうか。
ここまでお読みいただいて、「小学生を相手に、何を屁理屈をこねているのだ」と感じた方もあるだろう。もちろん、できるだけ小学生向けになるように努力もしている。それについては、たばこと塩の博物館のホームページでご覧いただきたい。また、自由研究の宿題で「海と塩」のことを調べにきた子どもたちにも、海と塩という「内容」「対象」の自由研究として、最低限まとめられるように展示したつもりである。
コンピュータでは、回答者それぞれに異なる簡単な「答え」のあとに、 よりくわしい内容の解説はどのパネルを見ればいいかという指示も表示するようにしてある。
コンピュータにカードを差し込んでは、その回答者の「答え」を読んでメモを取り、その指示に従ってくわしい解説パネルを読みに行き、次に違うコンピュータにカードを差し込んで・・・というように、まじめに取り組んでくれた子どもたちは、企画段階で想像していた以上に多く、「わけわかんねえ」などと言って投げ出さずに、楽しんで見てくれている様子で、企画者としては、今は少しホッとしているところである。
それでは、今回のテーマ展示の真の企画意図(「答えは1つではない」「見かたを変えれば答えは変わる」ということ)が小学生にうまく伝わったかと問われれば、企画者である私でさえ、「あまり伝わっていないだろう」と答えるしかない。今年の「テーマ展示」に限っては、企画意図の伝達度という点では、はじめから過度の期待はしていなかった。それでもあえて、このような「テーマ展示」にしたのには、理由がある。その理由の出発点は、子どもたちにあるのではなく、むしろ、大人の方にある。
(注 : 本稿は、Webマガジン『en』 2005年9月号に掲載されたものです。)