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塩の博物館

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たばこと塩の博物館だより
(注:Webマガジン『en』2002年12月号から2007年3月号に連載されたものです。)

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第11回 ~塩にまつわる「大移動」 (番外編2:夏休み塩の学習室をおわって)~高梨 浩樹 たばこと塩の博物館 学芸員

前回は、第5回から第9回まで続けてきた「塩にまつわる移動」の話の本筋をちょっと離れて、たばこと塩の博物館の夏の特別展『夏休み塩の学習室』についてご紹介した。本来なら、今回から元の「塩にまつわる移動」の続きに戻るべきなのだろうが、開催後に『夏休み塩の学習室』のテーマに関わる新たな情報に接したことなどもあり、今回も番外編として、後日談を書いてみたい。

夏休み塩の学習室での『テーマ展示』の役割

さて、夏休み塩の学習室『生きものにきこう!塩のひみつ』は、7月17日から8月31日までの期間中に34,107人の入館者で賑わい、好評のうちに終了することができた。例年のことながら、来館者の大部分は、夏休みの自由研究や宿題のヒントを求めていらっしゃったようで、その部分では、『塩の実験室』や『体験・質問コーナー』といった実験系の企画が大きな役割を果たしたものと考えている。そういう意味では、実験系の企画なしには、夏休み塩の学習室は成立しないと言えるだろう。

それでは、実験系以外の『テーマ展示』が担っている役割とは何であろうか。私は、企画を担当するようになって以来、そのことを自問してきた。

今のところの答えの1つは、まず、「主役を張ることはめったにないが、重要な脇役として、あらゆる場面に顔を出す」という、塩の存在そのもののおもしろさにある。そのおもしろさを紹介するためには、実験だけでは、紹介できることがあまりにも限られてしまうのである。

2つ目は、「博物館は学校ではない」ということである。つまり、夏休み塩の学習室を「学年に応じたカリキュラムに沿わなくても構わない学習の場」と考えれば、「塩のおもしろさを伝えるためには必要だが、小学生には難しい」という内容も、『テーマ展示』として扱うことができる。「塩のおもしろさ」を物語るテーマは、「必要に迫られてする勉強」というより「興味がわけばおもしろい」というものが多く、「ご自由にご覧下さい」というスタンスの『テーマ展示』の方が相応しく思える。これは、必ずしも学校のように「おちこぼれ」を心配しなくてもいい博物館だからこそ担える大切な役割であり、要は、「楽しんでもらえればいいのだ」と考えている。もちろん、なるべく多くの人に「理解して」楽しんでもらえるように、最大限の努力を払う必要があるのだが。

3つ目は、大人の方々にも「塩のおもしろさ」を感じてもらいたいということである。「塩のおもしろさを伝えるテーマ」は、「機能(役割・はたらき)」に関わるものが多いため、「形態」を伝えるのに適した「モノ(資料)中心の展示」では展開しにくく、大人向けの展示としては成立させにくい面がある。しかし、必ずしも資料が並ぶスタイルでなくても成立する「夏休み塩の学習室」ならば、主対象は小学生であるが、引率者として来館する大人の方々も多く、大人の方々に「塩のおもしろさ」に関する展示を見てもらえる貴重な機会としての役割も期待することができる。子どもと一緒に丁寧に展示を見ている大人の方が、むしろ子どもよりも「塩のおもしろさ」に驚き、熱心に子どもに解説しているという場面も多いのである。

さて、上記のような3つの役割を担わせることができると考えている『テーマ展示』は、今年の場合は、『生きものと塩のかかわり』がテーマだった。企画段階では、大人も子どもも含めて、塩不足(前回紹介したターキンやヌー、アオバトなど)にしろ、塩過剰(ウミガメやミズナギドリなど)にしろ、「生きものには塩が深く関わっていること」を感じてもらえれば成功、さらに「塩は多すぎても少なすぎてもダメ」ということが伝われば大成功と考えていた。では、その成果はどうだったのか。

実は、例年、『テーマ展示』の内容を理解して、おもしろいと感じてもらえる方は、残念ながら、来館者の中でも少数派である。アンケートで「気に入った展示に丸をつけて下さい」という選択式の設問で集計すると、かなりの割合で「おもしろい」と感じてもらえた結果になり、決して全く成果がなかったというわけではない。しかし、選択式の設問だけでは、「どのように」おもしろいと感じてもらえたのかがわからないため、アンケートの末尾には自由に感想を書いてもらう欄も設けてある。その感想文の内容を集計すると、『テーマ展示』に関する感想は、実験系の感想に比べて見劣りする傾向があるのである。今年の場合、一応の成功の目安と考えた「生きものには塩が深く関わっていること」を書いてくれた感想も、少数派ながら見受けられ、伝わる人には伝わったので、一応成功だったと言うことができる。しかし、もう一歩踏み込んで、ここまで伝われば大成功と考えていた「塩は多すぎても少なすぎてもダメ」ということに触れた感想は、残念ながら皆無だった。

その意味では、今年の『テーマ展示』は大成功だったとは言えないわけだが、子どもの感想と大人の感想の代表例を1つずつここに転記して、先述の『テーマ展示』に期待できる3つの役割に照らして、今年の成果を考えてみたい。どちらも、回収したアンケート用紙にその感想を発見したときに、「やった甲斐があった」と感じられる、企画担当者にとって嬉しい感想だった。

<子ども(小学校5年生)>
夏休みの宿題で、塩の事を調べています。 そのことで一番驚いたのは、動物がどのように塩と関係しているのかという事でした。 すごく楽しかったです。

<おとな(小学校1年生の母)>
生き物の話では実物が良く分かり(「どこで見ることができるか」まであり)、ヌーの大きさに驚いていました。子供がとても楽しく参加できました(親も)。毎日使う塩についてとても良く知ることができました。とてもありがたい企画でした。今後も楽しみにしております。

子どもの感想文の方は、ハッキリとは書かれていないものの、企画の成功の目安と考えた「生きものには塩が深く関わっていること」を書いてくれたものだと考えることができ、少なくとも興味を持ってくれたことがわかる感想である。これと同じような感想で、「マングローブが興味深かった」など、具体的な生きものに触れたものもいくつかあった。

これらの感想からは、先の3つの役割のうち、1つ目の『いろんな場面に顔を出す塩の機能のおもしろさを伝える』役割は果たせたと言えると思う。2つ目の『カリキュラムには関係なく、小学生には理解しにくい内容も扱う』役割も、少数派ではあるが興味を持ってくれた子がいたという点では、ある程度成果があったと言えるが、「できるだけ多くの人に理解して楽しんでもらえるように」という面では、少々物足りない成果といわねばならない。また、当初、大成功の目安と考えていた「塩は多すぎても少なすぎてもダメ」ということに触れた感想がなかったことは、アンケートに書かれてないだけで中には伝わった人もあった可能性もあるが、少々内容が難しかったという感じは否めない。とくに今年は、小学生には、「塩は大切である」という単純な結論に行き着く内容ならよく伝わるが、「塩は多すぎても少なすぎてもダメ」という両義的な結論に行き着くような内容は伝わりにくいだろうという、企画時に考えていた懸念通りになってしまった。

とはいえ、両義的な話が伝わりにくいのは、大人でも同じである。例えば、「ポリフェノールを豊富に含む赤ワインはからだにいい(取り過ぎれば当然弊害がある)」とか「ヒ素はからだに悪い(ごく微量は体内に存在している必要がある)」という話が、()内が抜け落ちて、「よいもの」と「わるいもの」として語られるように、なかなか「多すぎても少なすぎてもダメ」という話にはならない。しかし「多すぎても少なすぎてもダメ」という話を伝えることは、利害関係から一歩離れた立場にある博物館などの施設が担うべき大切な役割でもある。

たとえ少数派であっても、『テーマ展示』に興味を持ち、よろこんでくれる子は毎年必ずいる。博物館としては、安易な方向に流れずに、工夫しながら、博物館が担うべき役割にチャレンジし続けていきたいと思う。

次に、大人の感想の方だが、これは3つ目の『大人の方々にも塩のおもしろさを感じてもらう機会』という役割を果たせた典型例だと言える。ここにあげた感想文では、とくに、今年試みた実物展示(ヌーの剥製)についても触れられており、我が意を得たという思いがした。

今後とも、『いろんな場面に顔を出す塩の「機能」のおもしろさを伝える』『カリキュラムに関係ない博物館の特性を生かし、小学生には理解しにくい内容も扱う』『大人の方々にも塩のおもしろさを感じてもらう機会として活用する』といった、私が考える『テーマ展示』の3つの役割を念頭にチャレンジしていきたい。

「究極の質問」をめぐる驚き

『テーマ展示』の話ではないが、今年は、とくに企画者にとって嬉しかったことが1つあったので、書き加えたい。それは、この連載の第1回に書いた「塩はなぜしょっぱいの」という「究極の質問」に関するものだ。

『体験・質問コーナー』から連絡を受けて降りていくと(基本的には学生アルバイトのインストラクターが回答するが、インストラクターでは回答困難な質問は私に回ってくる)、小学校4年生の女の子とお父さんが待っていた。毎年ある「究極の質問」だが、今年は好都合なことに生きものに関わるテーマで展示をしており、内心「よしきた!」と思いながら説明していった。はじめに「あなたがしょっぱいと感じるものをあげてみて下さい」と訪ねた上で、「しょっぱいものには全て塩が入っている。しょっぱいものは塩だけで、しょっぱい味のもとを塩と呼んでいる」ことを説明する。ここまではいつも通りの説明で、子どもの反応もいまひとつだ。

そこで、続けて「舌には味蕾という、味の刺激を感じて、それを信号に変えて神経に伝える場所があり、そこに塩(正確にはナトリウムイオンと塩化物イオンの両方)がやってくると、信号が脳に伝わって、脳がしょっぱいと思うんだよ」というような生理学的な説明をしたとき、その子が言った言葉には驚かされた。

「しょっぱい味は、塩の中にあるんじゃなくて、私の中にあるんだ!」

これほど嬉しい理解の仕方を示してくれた子は今までなかった。毎年、少しずつ改良しながらこの説明を繰り返してきた私も気づかなかった、ズバリと要点を指摘したすばらしい表現ではないか。

その後から、女の子は、満足そうな楽しそうな様子で、私の説明に目を輝かせてくれるようになった。私は、今年のテーマにも則しながら「塩が入っていない植物ばかり食べている草食動物は塩が不足しがちで、きっと、塩の味が見分けられたものだけが、うまく生き残ることができたのだと思う。人間も、肉食動物よりは草食動物に近い生きものだから、しょっぱい味が感じられるようにできているんだよ」という、進化の概念まで織りまぜた説明もして、その親子には本当に理解してもらえたという実感が持てた。やはり、小学校4年生でも、興味を持ってくれる子は興味を持ってくれるし、理解してくれる子は理解してくれるのだ。企画担当者にとっては、大いに来年からの励みになるというものだ。

今年は使えなかった新情報1(積荷の岩塩にかじり付くラクダ)

さて、「夏休み塩の学習室」は開催期間の決まっていることだから、毎年、『テーマ展示』に相応しくても、情報を得た時期が遅すぎて、スケジュール的に『テーマ展示』に組み込めない情報というものが出てくる。今年の場合はとくに、開催期間中に得た情報の中に、おもしろいものがあったので、ご紹介したい。

1つ目の新発見は、岩塩鉱山や塩湖、天日塩田、塩を運ぶキャラバンといった、海外の塩に関する写真を撮り続けており、当館の常設展示でもお世話になっている写真家、片平孝さんからもたらされた。片平さんは、「地球 塩の旅」と題して科学雑誌『日経サイエンス』で連載をされていたが、今度、その連載をもとに大幅に加筆し、新たに撮影した写真を追加、再構成して、日本経済新聞社から単行本として出版することになったという。

その原稿に目を通してほしいということで、夏休み塩の学習室の開催期間中に来館されたのだが、私は、今まで目にしたことのなかった写真のひとつに驚いた。それは、アフリカのマリにあるタウデニ塩床で採掘した岩塩の板を運ぶキャラバンの写真で、そのキャラバン自体は目新しくはなかったのだが、なんと、キャラバンのラクダのうちの1頭が、前を歩くラクダに括られた積荷の岩塩板にかじり付いた瞬間の写真であった。

タウデニの岩塩を運ぶキャラバンでは、岩塩の板はむき出しのまま括りつけられているのだが、通常はラクダに轡がはめられているので、このような光景を目にすることはない。この写真でかじり付いているラクダは片平さん自身の騎乗用だったため、荷役ラクダのような轡がなく、たまたま撮れた写真ということだった。「草食動物は塩が不足しがちで、塩欲求が強い」というテーマを語る上で、なんと分かりやすい写真だろうか。事前に目にしていれば、間違いなくテーマ展示の一角に使わせてもらっていただろうと悔やんだが、すでに開催期間中でどうしようもなかった。

今年は使えなかった新情報2(「海の魚・川の魚」と汽水域)

2つ目の新発見は、夏休み学習室終了間近の8月28日(土)21:00~21:52に放映されたテレビ番組、NHKスペシャル『四万十川 驚異の汽水域』(註1)によってもたらされた。汽水域とは、川の下流部で海水と川の水が交錯する場所のことである。それをこの場で取り上げる理由については、いささか長くなるのだがご了承いただきたい。

実は、私は、たばこと塩の博物館に入る前は、環境科学研究科という大学院に在籍しており、『河川の資源利用の持続性と多様性に関する文化生態学的研究~川漁師から見た四万十川~』というタイトルで修士論文を書いている。長期間の現地調査で漁師さんの家にやっかいになって、番組で取り上げられた地域をうろついていた経験がある。

修士論文のテーマの性質上、実際の漁の現場での参与観察のみならず、番組で取り上げられたような生きものたちの生態に関する話を漁師さんからきいて回ってもいた。獲物となる生物の生態を知らなければ漁獲が期待できない漁法が多く、漁の話をしているうちに、自然と生きものの生態の話になるからである。

今年の『テーマ展示』でも、そのときに見聞きしたことをもとに、「海の魚・川の魚」などのコーナーを構成しており、ウナギやモクズガニ、アオノリを例に、塩分濃度の変化への適応などを簡単に紹介した。今年の『テーマ展示』では取り上げなかったが、四万十川には、ほかにも海と川を行き来する魚が多数いる。アユはもちろんのこと、ヌマチチブ(地方名はゴリ)、ギンガメアジ(エバ)、キチヌ(チヌ)、シマイサキ(スミヒキ)、スズキなどは、海と川を行き来する魚で、漁の上でも重要な地位を占めていた。

当時は、修士論文の構成上、最終的に調査地域を河口から6~40kmの中・下流域に絞り込んだので、汽水域(河口から0~6km)は調査地域から外してしまったのだが、生きものたちの生態を語る漁師さんの話の中では、しばしば汽水域が登場していた。

例えば、「アユは、塩水を飲まんとハラコが解けん(秋の産卵期が近付くとアユは増水のたびに汽水域まで下り、平水になると再び遡上する行動をくり返し、その往復幅が次第に狭くなって産卵にいたるという意味)」とか、「四万十の川漁師にとって大切なアオノリは、汽水域でも、海水と淡水がちょうどよく交錯したところにしか生えない。汽水域では比重の関係で下が海水、上が河川水になっているが、河床の浚渫工事でその境界面が変わり、うまく育たなくなった」とか、事実は定かではないが漁師によっては「ウナギの産卵場はフィリピン沖の深海だという新聞記事が出ているが、わしらの考えは違う。アユの子でもテナガエビの子でも同じように、ウナギの子も汽水域で育つ」という人までいた。これらはほんの一例で、漁師さんと話をしていると、すぐに汽水域の話が出て来るのだ。

また、四万十川の汽水域には、「石倉(いしぐろ)漁(干潮時に浅瀬に石を積んでウナギの巣をつくっておき、満潮を経て再び干潮になったときにそれを網で取り囲んでから崩しウナギなどを捕る)」や「柴漬け漁(木の枝を束ねて沈めておき、巣としてウナギやエビ、様々な稚魚などが潜り込んだ頃合いを見て引き上げて捕る)」といった、一説には縄文時代から続くともいわれるような、淡水域とは異なる素朴な伝統漁法も残っているときいていた。

また、川岸に立って見ただけでも生きものの姿が濃い四万十川の中でも、海の生物まで入り込む汽水域には、とくに多様な生きものがおり、当時の文献(註2)では、魚類だけでも、全体で94種、汽水域では88種が記録されているとされていた(註3)。ひとくちに魚と言っても、コイやウグイ(イダ)のような純淡水魚(註4)もいれば、シロウオやサツキマスなどの遡上回遊性魚類(註5)、ウナギやカマキリ(アユカケ)などの降海回遊性魚類(註6)、アユやヌマチチブなどの両側回遊性魚類(註7)、さらには、本来海水魚であるスズキやキチヌ、ギンガメアジ、シマイサキなどの周縁性魚類(註8)にいたるまで実にさまざまで、日本で、こんなに多様性を持った川は、四万十川の他にはない。

そのように、海の魚にとっても、川の魚にとっても、川漁師にとっても重要な役割を担っている四万十川の汽水域に、私は、多様な生物がひしめく豊饒の世界としての憧れに近い感情を持っていたし、いつか汽水域に潜り、その光景を見てみたいとも思っていた。実際に夢に見たことさえある。今回の『テーマ展示』の企画にあたっても、そんな夢にまで見た「四万十川汽水域の水中映像」があれば、「海の魚・川の魚(真水でも海水でも暮せる魚のしくみの紹介)」のコーナーで使っていただろう。

その四万十川汽水域を、1年以上かけて存分に水中撮影したNHKスペシャルだったのである。大いに驚くとともに、なぜか妬ましくもあり、何より今年の『テーマ展示』に活用できなかったことを残念に思った。

番組は、高知や宮崎の一部にしか生息せず、幻の魚ともいわれ、釣り師に人気の高いアカメ(大きなものは体長130cm、体重30kgをこえる)を中心に展開していたが、その他の生物の紹介や漁の様子などもふんだんに盛り込まれていた。

その中には、私が漁師さんにきいていた話の通りに、海水と河川水がきれいな二段重ねになっている様子、その境界面の高さが干潮満潮に合わせて上下する様子、境界面付近に生育するアオノリが干潮満潮によってたなびく方向が変化する様子なども含まれていた。また、耐塩性のない純淡水魚であるコイが、境界面を越えて海水側に入り込み、あわてて引き返して行く様子などもあった。これらはいずれも、事前にこれらの映像に接していたなら、間違いなく今年の展示にそのまま使うことを考えたであろう、垂涎ものの映像群だった。これが使えていれば来館者ももっと興味を持ってくれたろうにと考える現在の自分にとっても、修士論文の現地調査に明け暮れていたかつての自分にとっても、まさに「夢にまで見た光景」だったのである。

いずれ機会があれば、この汽水域について、この連載でもさらに詳しく紹介したい。そして何より、今後、必ずやこれらの映像群を活用して、今年のような『テーマ展示』を再び企画してチャレンジするぞと、強く念じたできごとだったのである。

そんな、個人的な感情も伴うできごともあって、この連載に本来求められているものとはズレてしまったかも知れないが、書くならこのタイミングしかないと考え、今回も番外編とさせていただいた。

(注 : 本稿は、Webマガジン『en』 2004年10月号に掲載されたものです。)

(註1)
http://www.nhk.or.jp/special/libraly/04/l0008/l0828.html

(註2)
伊藤猛夫編,1990,『四万十川<しぜん・いきもの>』,高地市民図書館

(註3)
番組では、四万十川全体で180種、その8割が汽水域で確認されると言っていた。その後の調査で確認種数が増えたのだろう。

(註4)
古い地史年代から淡水域で種の分化を繰り返してきた魚で、耐塩性がなく、海水に入ることはふつう不可能である。

(註5)
長い海水生活の後、産卵のために河川に遡上する魚。

(註6)
長い淡水生活の後、産卵のために海水域へ下る魚。

(註7)
産卵のために川から海、または海から川へ移動するのではなく、生活史の中に淡水生活期と海水生活期が組み込まれており、生活期の変わり目に川から海、または海から川へ移動する魚。四万十川の「川の魚」の大部分が両側回遊性魚類であり、いずれも川の中流域か下流域の淡水域で産卵し、孵化した仔魚は流下して海水域に入り、稚魚期に遡上して河川で成長するという生活史を持つ。

(註8)
本来は海水魚で生涯の大部分を海水域で過ごすが、ある時期に川に入って、河口域や汽水域、ときには中流域で生活する魚。四万十川に生息する周縁性魚類は日本でもっとも種数が多く、中には河口から数十kmの純淡水域まで遡上してしまう種もいることが特徴的である。番組では、このほかにも、アカメ、アカエイ、イワシの群れ、黒潮に乗ってやってきたと思われるクロボシマンジュウダイなどの熱帯魚、外洋性でありながらアカメにくっついたまま川に入ってしまったコバンザメなども登場する。

註1
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