福岡県と塩
福岡県では古くから製塩が盛んであり、海の中道遺跡からは8世紀から9世紀にかけての製塩土器(玄界灘式製塩土器)が出土している。703年(大宝3年)には大宰府から観世音寺に『焼塩山二処』を寄進した、との記録がある。「焼塩山」とは、海水を煮詰めて塩をつくるための燃料として、樹木を伐採するための山である。
(平野邦雄、飯田久雄『福岡県の歴史』)
近代においては、周防灘に面した地域では広大な干潟を干拓造成した塩田開発が行われ、九州有数の製塩地帯となり、1911年(明治44年)には県内の生産高の70%を占めるまでになった。この地域の周防灘の主な塩田は「苅田」と「小波瀬」である。また玄界灘に面した地域ではリアス式海岸の干潟を干拓造成した小規模の塩田がほとんどであった。この地域の主な塩田は黒田藩により1741年(寛保元年)に開発された「津屋崎塩田」で、この塩田では全国に先がけ1700年ごろから製塩に石炭が使われるようになったという。
人物
- 大野忠右衛門貞勝(おおのちゅうえもんさだかつ)
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1703年(元禄16年)に藩主黒田綱政の命により、和白・三苫両村の約30町歩の塩田を開拓し、土地の発展と民の福祉に寄与したといわれる。
(水上清『塩と碑文』)
名所・史跡
- 波切不動尊(福岡市)
- 1858年(安政5年)に築かれた和白塩田の堤防安泰のため地元の人々により立てられた。
- 四社神社(福岡市)
- 1703年(元禄16年)和白海岸の塩田開墾の折、製塩発展を祈願し、塩浜四社宮の祭神を祭ったのが始まりとされている。
- 新開築堤記念碑(福岡市)
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1910年(明治43年)の第一次塩業整理時に廃止された塩田跡に、1959年(昭和34年)和白町により記念碑が建立された。
(水上清『塩と碑文』)
- 海の中道遺跡(福岡市)
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奈良時代から平安時代の遺跡。1979年(昭和54年)から1981年(昭和56年)に実施された調査で、8世紀から9世紀にかけて使用されていた甕形せんごう土器と、焼塩壷と考えられる土器が出土した。
(朝日新聞福岡本部編『福岡の古代を掘る』)
名産品
- めんたいこ
- スケソウダラの卵を塩漬けしたもの。からし等で味付けをした辛子明太子も有名。
その他
- 御庄の習
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12世紀末ごろから、筑前国野介荘(福岡県西部)の百姓たちは塩浜で製塩を行ない、焼きあがった塩を船にのせて翌年の2月、3月ごろまで各地を廻り交易を行っていた。このように廻船により塩売を行うことを「御庄の習」と呼び、こうした塩の交易は瀬戸内海から北九州にかけて広く一般的にみられたという。
(網野善助著作集第9巻中世の生業と流通)