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塩風土記

日本全国の塩にまつわる歴史・民俗的な話題をご紹介。

塩振り踊り(魚貫住吉神社)

塩振り踊りとは、江戸時代、1780年(天明元年)に魚貫住吉神社の祭典を司る者数名が、帆船を仕立てて大阪に上り、住吉神社の祭典行事を習得したものが受け継がれてきたといわれている。

天草、特に牛深地区の祭礼においては、神幸行列に「塩振り」と呼ばれる役割の者が含まれることが多い。たいていは、桶を持って塩水を撒いていくだけという形をとるだけであり、踊りとして受け継がれているのはこの魚貫の塩振り踊りのみとなる。

塩振り踊りの踊り手は、引立烏帽子を被り、鮮やかな橙色の衣装を身に纏った二人の少年だ。手桶と笹を持ち、笛や大太鼓、小太鼓のお囃子に合わせて左右に手を大きく振って踊る。行列の先頭となって踊るこの二人には、露払いを行い、行列のお供の身を清める役割がある。手桶には、昔は干潮からまた満ちて来るときの海水を汲んで使用していたが、現在では、神前に供えられた塩を使用しているという。
また、この踊りは基本的に世襲制で伝えられており、その家系の男子のみが受け継ぎ、祭で披露する。


<祭礼について>

住吉神社は、魚貫の集落と海が見渡せる場所にある。その住吉神社境内で、まず獅子舞や神楽(「ミコマ」と言われる巫女舞)などが奉納され、その後、合図とともに神幸行列の準備が整えられる。先頭を塩振りがつとめ、踊りながら塩水を振りまき、道中、神輿や供人を清める。塩振り(2人)に続いて、烏帽子に狩衣を身につけて玉手箱を持った大恩(だいおん)1人、「御手振り(おてふり)」とも呼ばれ、稚児姿の少年が手を振って歩く御両人2人、衣装箱(実際は空)を担ぐ役目の挟箱(はさみばこ)が一対、鳥毛多数、稚児不定数、神輿の順で練り歩く。
また行列を取り仕切るのは、「六尺(ろくしゃく)どん」と呼ばれる裃を身に着け、六尺棒を持った進行役で、行列の道中はすべてこの「六尺どん」に従う。

この魚貫住吉神社の祭礼は、天草でも他に類のない祭礼として知られており、1980年(昭和55年)4月1日に市の無形民俗文化財に指定されている。
(天草市教育委員会 文化課文化財保護係)

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