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塩の博物館

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たばこと塩の博物館だより
(注:Webマガジン『en』2002年12月号から2007年3月号に連載されたものです。)

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第18回 ~ チベットの「内陸製塩」 ~高梨 浩樹 たばこと塩の博物館 学芸員

前回前々回と「夏休み塩の学習室」の紹介に話題が逸れていたが、第15回までの連載は、「大きな移動や交易をしなくとも、塩を含めての環境適応が可能な生業形態」としての「内陸製塩の可能性」について、かつての日本の内陸製塩を紹介しながら考察するものだった。今回は、再び「内陸製塩」に話題を戻し、現在の海外の事例について考えたいと思う。

第15回で紹介した日本の内陸製塩の話題のうち、とくに、北会津地方の【5】大塩村の藩政期の「内陸製塩」は、藩内の需用を満たすほどであったということから、村民の自給も全て賄えていたと考えられるもので、「大きな移動や交易をしなくとも、塩を含めた環境適応が可能な生業形態」の例としての可能性を感じさせるものであった。しかし、それら日本の内陸製塩はあくまで過去の事例であり、どの程度の需要を賄えていたのか、塩以外の生活必需品も生活圏内で賄えていたのかといった事柄の詳細を含めて検討するためには、「現在では観察できない」点が大きなネックである。また、第14回で紹介した長野県の鹿塩では内陸製塩が復活しており、いずれ調査したいとも考えているが、「観光資源としての製塩」という性格が強いものであることも想定される。そもそも、貨幣経済や流通の発達した現在の日本では、「生活上の必要に迫られての生業」とは、「生存のために環境適応的な理由で決定されるもの」というよりは「生存のために経済的な理由で決定されるもの」になっていると考えられ、現在の日本国内で「大きな移動や交易をしなくとも、塩を含めた環境適応が可能な生業形態」を観察するのに適した例を探すのは難しいように思う。

したがって、「大きな移動や交易をしなくとも、塩を含めた環境適応が可能な生業形態」が観察できるような事例は、むしろ海外に求める方が得策だということになるのだが、入手できる情報には限りがあり、そもそも、そのような視点でまとめられた情報自体が非常に少ないということがネックになる。とりあえず「内陸製塩」をひとつの手がかりにして探していき、可能性のある事例に当たったら追加調査を検討するという方法論になるだろうか。

そのように考えていたところ、先日、あるテレビ番組に出会った。TBS系で2005年12月11日に放映された『世界ウルルン滞在記 チベット・天空の塩の村に...植木理奈子が出会った』である。ドキュメンタリーというよりはバラエティに位置づけられそうな番組でもあるし、テレビ番組である事自体が、既にある視点からの編集作業を経ていることを意味するわけで、情報の信頼度という点では、全てを鵜呑みにするわけにはいかないが、「内陸製塩」の「ひとつの手がかり」としては面白いものだったので、今回はその内容を紹介したい。

所在地

舞台となるのは、中国チベット自治区の東端に位置し、チベット族の人々が生活するジャダ村である。人口約400人という小さな村のはずれには、瀾滄江(メコン川の上流)という川が流れ、そのほとりには、塩水がわき出す井戸(塩泉)がある。村の人々は1000年前から棚田のような天日塩田で塩を作り続けてきたという。川を挟んだ対岸(番組では明確に触れていなかったが恐らくチベット自治区の外になるのだろう)では、ナシ族の人々が同じような方法で製塩を行っている。両者の塩泉は川を挟んで地下でつながっているらしく、1000年前から塩泉を巡る争いが絶えなかったという。

塩泉

塩泉について、番組では「ぬるい。やや温かい」という表現があり、現地の人の「近くに温泉もあるよ」というような話もあったため、第14回で紹介した鹿塩より一層「温泉」に近いイメージの「塩泉」のようである。塩水の湧出点は塩田より川に近い低い場所で、地面を掘り下げた穴の中にあり、階段で下って到達するようなものであるから、「塩井」の方がニュアンスとしては相応しいかも知れない。川の増水から守るため、塩井の回りには円形の防壁も築かれており、村全体の「共同井戸」であると紹介されていた。

番組では、温度に言及していたにもかかわらず、肝心の「濃度」や「組成」についての情報が全くなく、非常に残念だった。「湧出量」については、具体的な数量は紹介されなかったが、半日分の汲上げ作業で数枚の蒸発池を賄う程度のようで、翌日まで放置して溜まるのを待った後、次の蒸発池を満たすのに使うという紹介だったので、それほど多くはないようだった。

塩田の構造

棚田状の塩田と聞いて、私が思い浮かべたのは、ペルーのアンデス山中にあるマラス村の塩田のような、斜面を段々に掘り込んで築いた(要は日本の棚田のような)蒸発池であったが、番組で紹介されたのは、斜面に丸太を段々に組み上げ、その上に塩田地盤を築いて作った「棚田」であり、想像していたものより一層手の込んだ構造で、驚かされた。

製塩は乾季の間(何月から何月といった具体的な時期は不明)のみに行うということで、雨季の終わりに、塩田の補修作業を行うところから収録されていたため、塩田の構造についてもある程度の情報が得られた。

それによると、木の丸太をやぐら状に組んで、その上にも、丸太を横倒しに隙間なく敷き詰めた構造の「丸太組み」が、塩田の骨格となっている。骨格自体を段違いに組んでいるので全体が「棚田」に見えるというわけである。敷き詰めた丸太の上に粗い土をかけて平らにならし、さらに細かい土と水を混ぜて作った粘土を塗ってならし、乾燥させれば、「棚田状の塩田」になる。規模も目的も違うが、作り方は、日本の古い煎熬用の塩竈のひとつである「網代釜」と似ており、網代に編んだ「竹」がここでは敷き詰めた「丸太」に、その隙間を埋めるように塗る「漆喰」がここでは「粘土」になっているというわけである。

さて、このような構造であるから、塩田と山の斜面の間には、当然、「隙間」が空くことになる。したがって、斜面の上の方から見下ろせば、規模も景観も日本のものにそっくりな「棚田」に見えるのだが、斜面の下から見上げると、少しずつ「隙間」が見え、丸太組の上に載った「屋上蒸発池」のようにも見える。このような蒸発設備は、あまり他で見たことがない。強いて言えば、「やぐらの上に蒸発池が載る」という構造自体は、インドネシア・バリ島の揚浜で結晶工程に使うものに似ているが、バリ島のものはヤシの幹などを利用した「蒸発皿」といった趣であり規模が全く異なる。構造は似ているが、バリ島のものは、おそらく「人間が作業しやすい」ように腰高に小規模な蒸発池を設置したものであり、今回の棚田は、「平地がないところになんとか蒸発池を設ける」ために作られたもので、その構造が選ばれた理由も全く異なっている。チベットの「棚田状の天日塩田」がこの地で編み出されたものなのか、他所から伝播してきたものなのかといったことにも、ちょっと興味をそそられる、風変わりな天日塩田である。

なお、番組では明らかにされなかったが、作業の様子からして、おそらく蒸発池と結晶池の区別はないと思われる。また、番組で取り上げていた例が特殊なものでなければ、1人が数枚の蒸発池を所有する(または使用権をもつ)ようである。

製塩工程と作業

朝、塩田よりも低い位置にある共同井戸から担い桶で塩水を汲み上げる。この村では、塩作りは女性の仕事ということで、担い桶自体は、能登の揚浜のものより小振りにできているようだったが、それでも、ひとかつぎ30kgだそうだ。掘り下げた井戸であるから、まずは井戸の階段を担いで登り、さらに塩水を投入する自分の塩田まで登らなければならない。これは存外の重労働である。先に書いたペルーの塩田の先入観で、塩田より高所に湧き出す塩水を、「低きに流れる」水の性質を利用して、水路で各自の塩田に導く「棚田」をイメージして見ていたのだが、番組を見る限り、塩水は全て人力で担ぎ上げているのであるから、その意味ではイメージしていたような「棚田」ではない。むしろ、斜面ばかりで、塩水を水平に張るための場所がないために、一見すると「棚田」のように見える蒸発池を作っただけで、平地に恵まれた場所であったならば、通常の天日塩田のように蒸発池を平らに並べていたのではないかと思わせる作業風景である。要は、能登の揚浜の塩田部分が蒸発池に替わっているようなもので、いずれにしても、塩水を運ぶのは大変な作業である。

担ぎ上げた塩水は、ひとまず、各自の塩田の直下に設けた「ため池」に入れる。先に述べたように、丸太を組んで築いた塩田地盤と実際の斜面との間に空間があるので、塩田を「一階」とすれば、ため池は「地下」という関係である。むしろ、ため池の上に塩田という屋根が付いていると表現した方がイメージしやすいかも知れない。番組では詳しくは分らなかったが、塩井戸から塩田直下のため池まで、おそろく何回か塩水を担ぎ上げる必要があると思われる。

ため池に移した塩水は1週間ほど放置しておく。その間に、不純物が沈澱して泥水のようだった塩水が澄み、濃度も多少上がるという。濃度については、ここでも具体的な数字に触れていなかったので不明だが、時間的制約のある番組内で、あえて「濃度が上がる」という工程を取り上げていることから考えると、それほど高濃度の塩水ではない(せいぜい海水程度か?)ように思われる。この工程は、通常の天日塩田でいえば「調整池」にあたるものだろう。

1週間ほど放置しておいた塩水は、直接塩田に注ぐのではなく、塩田面に置いた竹籠に注ぐ。竹籠の目を通った塩水が、粘土を乾燥させて作った塩田面に広がって行く仕組みで、簡易な濾過工程を兼ねている。具体的な水深はよく分からなかったが、2~3センチほどの深さになるまで、塩水を注ぐ作業を何回か続けるようだ。ここで作業に使われた塩田は2~3メートル四方のものが5~6枚だった。

あとは放置して、太陽と風の力で水分が蒸発し、結晶が出てくるまで待つ。晴天が続けば、3日ほどで上質な塩が採れるという。番組では、天候が悪いと塩の質が悪くなると言っていたが、「質が悪い」というのが具体的に何を意味するのかはよく分からない。収録中はちょうど晴天続きだったということで、3日後には塩田一面が白く結晶に覆われるようになった。遠景で撮影された映像を見ると、一面が結晶に覆われている塩田は数枚ほどで、他の塩田は塩水は入っているものの、赤茶けた塩田地盤の色のままであった。撮影の関係で、当該の塩田だけ先行して作業した可能性も否定できないが、先に述べたように、塩泉の湧出量が多くないために、タイムラグが生じるのだろう。番組では、結晶化するのを待つ間、別の話題に切り替わってしまったので、3日間全く放置しておくという印象だが、何らかの手入れの作業をしている可能性もある。

できた塩の収穫は、木の板で表面だけをかき集めて行う。表面のきれいな結晶だけを集めたものは人間用の塩となり、残りの塩田地盤の土が混ざってしまうようなものは家畜用の塩になるということだった。このようにして、人間用と家畜用の塩を区別する方法は、ボリビアのウユニ塩湖の塩の収穫とよく似ている。ただし、結晶の堆積が相当あるウユニでは人間用の塩がかなり純白に近いのに対し、このジャダ村の人間用の塩は、原料塩水に混ざっている赤土や、塩田地盤の赤土が混入して、この方法でも色づく。短い映像で分かりにくかったが、白く見える結晶の厚みは1センチに満たないほどしかなく、原料が海水ならにがりに相当する水も、泥まじりで相当残っている状態での採塩なので、赤っぽく色づくのは避けられないだろう。言葉が聞き取れないため、現地でどう呼ばれているのかは分からないが、番組では人間用の塩も「紅塩(あかじお)」と表現しており、現地では「塩はふつう赤っぽいもの」として流通しているのかも知れない。

かき集めた人間用の塩は、通常の天日塩田と同じく、一旦は塩田内に山積みにしているようだったが、映像が短くてよく分からなかった。その後は、竹籠に移して塩田の縁に置き、一晩乾かしておくということだった。この竹籠は、能登の揚浜などで見られた「居出し場」と同じ役割であり、要は、脱水工程である。しかしながら、元の原料塩水の組成が分からないため、「にがりを切る」工程なのか、単に「脱水」なのかすら不明で、できあがった塩の成分などを予想することも不可能である。

また、この塩田では、もう一種類、別の塩が採れるということも紹介されていた。通常の天日塩田ではあり得ないことだが、丸太組の上に載っているこの塩田ならではの特徴として「裏面」もあるので、塩田地盤の裏に、中空のつらら状(ストロー状)の結晶がぶら下がってできるのである。こちらは塩水が地盤と丸太を浸透する間にじっくり濾過されているためか、色も真っ白で、「最高級の塩」ということだったが、販売せずに自家消費してしまうらしい。あくまで副産物ではあるのだが、つらら状の塩だけを集めた竹籠の映像もあり、通常の作業として収穫されているようだ。このやり方であれば、当然、毎年できる結晶であるから、望外の収穫ではなくて、あらかじめ収穫を見越しているものと思われる。しかしながら、この家の調理の場面で使われていた塩は全て「紅塩」の方であり、どのような場面で「つらら塩」を使うのかは不明である。あえて「最高級の塩」と言っているからには、何か特別な用途があるように思うのだが、番組制作側の演出で「最高級の塩」と呼んだにすぎないのだろうか?

交易

番組では、できあがった「紅塩」をラバに積み、歩いて片道1時間程度の近くの町まで売りにいく場面も収録されていた。製塩が女性の仕事であるのに対し、販売は男性の仕事であるということであった。ただし、番組で現地に滞在しているタレントは女性で、塩売りにも同行しており、番組制作上、同行しないと話にならなかったとしても、特に忌避を伴うような男女分業ではないのかも知れない。また、番組では、できあがったらすぐに売りに行くような印象だったが、通常でもそうなのか、番組のためにそうなったのかは不明である。

町には、懇意の「よろず屋」があるということで、この町で販売する場合は、いつも同じ店で取り引きするらしい。取り引きでは、店の主人の方から、「これは上質の塩だ。最高額の500gあたり1.5元(約21円)でどうか?」と切り出し、女性タレントが交渉した結果、「今回は上質なので、特別に、500gあたり1.6元(約23円)で買おう」ということになった。結局、全部で200kgの塩を売り、320元(約4,500円)を現金で得たところでこの映像は終わった(計算が合わないが、袋を開けてその都度塩の品質を確かめて値段を変えた結果だろうか)。塩を売って得た現金で、町の市場で何かを仕入れるというような場面もなかった。

このような交渉の間、肝心の売主の男性は、経緯をニコニコ見守っているだけだったのが不思議で、少々引っかかる。「今回できた塩はとびきり上質だった」「タレントが交渉したので高く売れた」という話は、「絵に描いたようなエピソード」になってもいるので、番組としての「演出」である可能性も気にかかるところではあるが、第6回第7回で紹介したネパール北部のドルポの例では買い叩かれて交渉が難航するのに対して、満足のいく売値が付いた今回の例は興味深い。

少々飛躍して考えれば、今回の例で、買い叩かれることを避けられた要因として、ドルポがあくまで「仲介者」なのに対し、今回のジャダ村は「生産者」であることを挙げることもできる。また、情報がほとんどなかったので仮定の話だが、「穀物が半分しか自給できない」ドルポに対し、今回のジャダ村では「ほぼ自給できている(仮定)」ので、「足下を見て買い叩かれるような事態を避けられた」という可能性も考えられなくはない。

製塩以外の生業

そこで気になるのは、ジャダ村の「製塩以外の生業」がどうなっているかということであるが、残念ながら、今回の番組ではこの部分の情報がほとんどなかった。限りなく少ない情報ではあるが、いくつか断片的な場面を拾い上げて考えてみたい。

家屋は二階建てになっており、一階部分ではウシやブタ、ニワトリ、ラバなどの家畜を飼養している。残飯類などが主かも知れないが、家畜のエサを賄うだけの穀物や野菜類などを自給できている可能性もある。

調理の場面として、「豚肉とニラを炒めて湯に加えて作った塩うどん」「ジャガイモの紅塩炒め」「紅塩入りバター茶」が登場した。また、保存食作りの場面では、「豚の血を米の飯にまぶしてニンニク・ミント・山椒・紅塩を混ぜて詰めた腸詰め」が登場しており、主食は米のようでもある。また「内臓を取り出した後に塩と山椒を詰めて再び縫い合わせて作る乾燥豚肉」という冬期の保存食作りの場面も紹介された。そして、取り出した内臓を川の水で洗う場面では、臭みをとるために、「紅塩とトウモロコシ粉を混ぜたもの」をこすりつけて洗う様子が紹介された。

これらは極めて断片的な情報にすぎないが、客人用の特別な料理でないとすれば、小麦粉や米といった穀物がふつうに用いられ、野菜やハーブ類、香辛料、ジャガイモを使うなど、料理にはそれなりにレパートリーがありそうでもあり、塩以外の食材も、ある程度は自給できていると考えられなくもない。さらに、豚の内臓を洗う場面では、食材としてではなく臭み抜きという用途に「紅塩とトウモロコシ粉を混ぜたもの」を用いており、穀物が不足しているようなら「トウモロコシ粉」をそのような用途に使うことはないだろうと考えると、塩以外の食材が自給できている可能性はあるものと考えられる。

まとめ

塩泉を原料とした今回の「内陸製塩」の事例は、一見「棚田」のように見える天日塩田が、人工的に組み上げた地盤の上に載っている点など、製塩技術として興味深い点が多いもので、その意味では私にとって収穫があったといえる。

一方、「大きな移動や交易をしなくとも、塩を含めた環境適応が可能な生業形態」が観察できるような事例を探すという目的では、「製塩以外の生業」についての情報が少なく断定できない点で極めて不十分であると言わざるを得ない。また番組中の交易の場面を「補足的な現金獲得手段」と考えたとしても、描き方に「演出」ではないかと気にかかる点もある。この辺は、テレビ番組を情報源にすることの限界だろう。

また、番組の途中では、「紅塩を首都のラサまで何週間もかけて売りに行く」という主人の話もでてきており、「大きな移動を伴っての交易」なしに、生活を営めているわけでもないようである。「製塩以外の生業」の状況次第では、塩以外の食材や穀物は自給できておらず、塩の生産者である点が異なるだけで「ドルポと大差ない状態」つまり「塩はあるが穀物不足ぎみ」である可能性もあり得る。

「大きな移動や交易をしなくとも、塩を含めた環境適応が可能な生業形態」が観察できるような事例を探す上では、海外の「内陸製塩」の事例を探して検討していく方法論には可能性があるとも言えるが、それには、(日本のように)農耕可能な気候での「内陸製塩」であることが前提条件となっており、日本のように湿潤な気候はむしろ珍しいということを考えると、ドルポのような「塩はあるが穀物不足」という事例の方が多いような気もする。

いずれにしても、今回も少なかった「製塩以外の生業」についての情報なしに、「内陸製塩」だけを追いかけてみても、意味は薄い。目的に適った考察をするためには、「内陸製塩」の情報だけでなく、いかに「製塩以外の生業」についての情報も「セットで」入手できるかという点にかかっているといえる。今回の事例についても、今後、可能な限り「製塩以外の生業」についての情報を収集したいと思う。

そもそも、このような事例探しを始めたのは、「塩の人類史の上での交易のはじまり」を考えるために、それ以前の形態として想定される「大きな移動や交易をしなくとも、塩を含めた環境適応が可能な生業形態」の実態が分かった方が、「考察がしやすいのではないか」という考えだったわけであるが、今回の例でも、少なくとも「交易」はあったわけで、この事例探しの作業は、案外、結果的に「塩が最も古い交易品と呼ばれるゆえん」を確認する作業になっていくのかも知れない。それならばそれで、「塩の人類史」を考える上で無駄にはならないことであり、しばらくはこの方法論で事例探しを続けてみてもいいだろうと考えている。

そういうわけで、「内陸製塩」については、また、情報が得られた時点でご紹介したい。もしも、読者の中に、「内陸製塩」についての情報をお持ちの方があれば、ご一報いただければありがたいと思う。

(注 : 本稿は、Webマガジン『en』 2006年1月号に掲載されたものです。)

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