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塩の博物館

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たばこと塩の博物館だより
(注:Webマガジン『en』2002年12月号から2007年3月号に連載されたものです。)

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第19回 ~ 現在の群馬県での「内陸製塩」 ~高梨 浩樹 たばこと塩の博物館 学芸員

第15回からの「大きな移動や交易をしなくとも、塩を含めての環境適応が可能な生業形態」としての「内陸製塩の可能性」を考えるという話題の中で、前回は「チベットの事例」を取り上げた。その後、「現在の日本の事例」に出会ったので、それを紹介しながら、今回も引き続き「内陸製塩」について考えたいと思う。

今回の情報源もテレビ番組である。ちょうど「内陸製塩」が気になっているところでのタイムリーな放送だったのだが、2006年1月26日夕方放送のNHK『首都圏ネット』というニュース番組中の約5分間のコーナーでの紹介であり、前回にも増して情報の中身が薄い点はご容赦いただきたい。

場所など

今回紹介する塩泉は、赤城山南西麓の裾野、群馬県勢多郡富士見村にあり、泉温52.6度という立派な温泉で、「富士見温泉」として村営の入浴施設になっている。地下1,000m以深からの動力揚湯で平成9年にできたばかりの温泉であるから、残念ながら、古くから「塩泉製塩」が行われてきたという可能性はない。以下、番組からの情報を中心に簡単に整理しておく。

泉質と経緯

泉質については、番組中では「塩辛くてよくあったまりますよ」という入浴中の方へのインタビューくらいで、詳しく触れられていなかったが、別情報では、源泉1kg中成分22.26gという強食塩泉(ナトリウム・カルシウム-塩化物泉)であり、海水よりは薄いものの、第14回に紹介した鹿塩温泉(長野県)や奈良田温泉(山梨県)、下賀茂温泉(静岡県)のような過去の製塩記録がある温泉よりも濃く、製塩には魅力的な濃度である。同村の村おこしのグループが、村営温泉が塩分約2%と塩辛いことに着目して、「"海なし県"の群馬県で、塩ができればおもしろいと、軽い気持ちで始めた」ということだ。平成14年くらいから研究を始め、2年がかりで、独自の製塩法を完成させたらしい。

製法など

海水からの製塩と同様、温泉水をそのまま釜で煮詰めたのでは燃料代がかかりすぎるため、濃縮工程が工夫されている。温泉水をパイプに通し、独特の形状の小屋組の上から滴下させる。それを幾重にも折り返した網状のシート(一見したところ農業資材の寒冷紗のようなもの)に受けることで、さらに細かい水滴にし、蒸発を促進させるという仕組みである。既存の製塩法を参考にしたらしく、原理的には、流下式塩田の枝条架などと共通しているが、この地域ならではの特徴として、赤城山から吹き下ろす「空っ風」を利用している点があげられる。着想の出発点は、「この空っ風を何とか利用しよう」ということだったようで、「地域の自然環境をうまく利用した技術になっている」という点でも、過去の様々な製塩法にひけをとらないと言えるだろう。
おそらく何回もこの装置を循環させながら、3日間風に当てた後、布で濾過して鹹水が得られる。ただし、この「空っ風」方式でどの程度の濃縮ができるのかは定かではなかった。
この鹹水を直径1.5mほどのガス釜で2時間ほど煮詰めると採塩できる。釜のサイズから考えると、採塩までの時間は思ったより短く、採鹹工程の効果は高いものと思われる。番組では、直煮に比べて「燃料が約半分ですむ」という説明だった。
映像では、海塩と同じく少量の母液(にがり)が残っているところで採塩しており、その後の脱水工程には触れられていなかったが、断片的な映像から推測するに、すくいとった塩をサラシやザルに受けて、ある程度にがりを切っているようだった。「1トンの温泉水から約15kgの塩が採れる」ということで、源泉濃度と比較すると、母液を残して脱水する分の損失が大きいと考えられ、しっかりした脱水工程があることがうかがわれる。
また、採れた塩は「海塩に比べてカルシウム分が多い」とのことで、海塩の場合に必要になるような石膏(硫酸カルシウム)除去の工程はないらしい。源泉が「ナトリウム・カルシウム-塩化物泉」であることを考えると、カルシウム分は石膏として析出するのではなく、塩化カルシウムとしてにがりに残存する可能性もある。炊き上がりの釜の映像で見る限り、スケール付着の問題もないようで、塩化カルシウム系のにがりである可能性を裏付ける。不確かながら、この点でも、「製塩向きの泉質」と言えるだろうか。

その他

できた塩は、『赤城の山塩』として120g入りが580円で販売されている。村営の源泉を分けてもらっているらしく、源泉取得にかかる費用はないはずだが、ガスで煮詰める方法では、採鹹工程があるとはいえ、燃料代が大きく、値が張るものになっているのだろうか。第14回に紹介した下賀茂温泉(静岡県)のような完全な「温泉熱利用製塩」までは行かなくとも、52.6度という泉温を利用した余熱工程や、ガスだけでなく安価な廃材を燃料に利用するといった工夫の余地もあるようである。 味は「なめた瞬間は塩辛さがまろやかで、後味が塩辛い。海塩とは違う味」と表現されていた。できれば入手してみたい。

まとめ

以上、もともと情報量自体が少ないものであるし、観光資源的な動機での製塩であり、この連載のテーマである「大きな移動や交易をしなくとも、塩を含めた環境適応が可能な生業形態」を観察するのに適した事例であるとは言い難い。
一方、前回でも少々指摘したように、現在の日本でも、観光資源(村おこしなど)の形で、新たに「内陸製塩」が行われ得るという可能性を示した事例としては興味深い。その意味では、塩分の濃い「温泉」と、赤城おろしの「空っ風」という地域の特徴を、うまく「製塩」という形に結びつけており、「村おこし」としては優秀なものであると言え、技術的にも面白いと言えるだろう。

今後への展望

今回の事例は、直接的には、私が求める「内陸製塩」像に寄与するものではなかったのだが、今後の方向性を考える上で、前回までは見落としていた可能性に気付かせてくれた事例であった。その可能性というのは、「日本に存在する(した)製塩可能な塩泉は、私が考えている以上に多い」かも知れないということである。第15回で幾つか紹介した日本の内陸製塩の過去の事例は、あくまでその文献で紹介されていたものだけに過ぎず、既存の製塩関係の文献に登場しなかった地域にも、製塩可能な未知の塩泉が多数あっても何ら不思議ではない。私は、温泉好きでもあり、日本には塩泉が多いということは漠然と知ってはいたが、「製塩」との関わりとなると、ちょっと聞いてみたところでなかなか判明しないことが多く、調べるより前にあきらめの気持ちが先に立つようになってしまっていて、この場で「内陸製塩は興味深い」などと書いている割には、まじめに調べなくなっていたと言わざるを得ない。日本にも、「思っていたより多くの、未知の面白い事例が埋もれている可能性がある」ということであれば、もう少しまともに調べてみるのも有効かも知れない。

そんな折、この連載をお読みの考古学の分野の方から感想と意見をいただき、それをきっかけに、幾つかの展望が開けてきた。

ひとつには、過去の「塩泉製塩」についての考古学の分野からのアプローチである。文献上は、漠然とした記述や、曖昧な伝承しか残されておらず、私には「それ以上のことは不明」と言うしかない事例でも、考古学的な調査により、その規模や流通範囲などを明らかにできる可能性があるということである。私自身には、考古学調査の技術はないが、考古学の方法によっては、第15回で紹介した北会津地方の大塩村【5】の藩政期の「内陸製塩」、さらには藩政期以前の状況についても、もう少し具体的なことが明らかになるかも知れない。文献から知り得ることだけでは、「藩内の需要を満たすほどで、村民の需要も賄えていた "と考えられる"」とか、「大きな移動や交易をしなくとも、塩を含めた環境適応が可能な生業形態であった"可能性を秘めている"」というように、「""付き」の表現にとどまるしかないが、考古学的裏付けがあれば、""の部分を外す道が開ける。また、考古遺物の側面から、文献には記載がない場所においても、「塩泉製塩が行われていたこと」を立証できる可能性もある。

私ひとりでは、手詰まりの感もあった「内陸製塩」だが、このように異なる分野の研究者の協力が得られれば、「塩泉をめぐる考古学」といった形で、研究の進展が期待できるということである。それぞれの分野からの成果を持ち寄ることで、「内陸製塩」についての理解を前向きに進めることができると感じられるようになったのは、数カ月前に比べて大きな進展である。また、「内陸製塩」というマイナーなテーマに興味を持っている人が私だけではないということも、大変、勇気づけられることであった。この場を借りて、貴重なご感想をお寄せいただいたことに感謝したい。

もうひとつは、塩業資料室の河井さんが連載の第21回(通巻38号)の最後にも紹介されているが、水文学(すいもんがく)の分野からのアプローチである。水文学の分野の専門家の方から河井さんに連絡があり、日本各地の塩井の起源などについて、現在、調査を進めておられるとのことであった。またこの方とは、河井さんを通じて、私の方でもご連絡をさせていただいた。日本には、前述のように塩泉自体は「多数存在」し、中には「製塩可能な泉質や濃度を持つもの」、「過去に製塩をしていたもの」が「多数存在」する可能性もあるという認識はあったわけだが、私が知っている具体的な塩泉の数は多くはなく、あくまで "可能性がある"という漠然とした前提に過ぎなかった。しかし、塩泉に限らず、様々な水の起源や挙動を探る方法を持つ水文学の専門家から見れば、具体的に把握できる塩泉は私の比ではない数に増え、"可能性"がより大きくなる。加えて、水文学的調査だけでなく、古老の言い伝えや伝説などの聞き取り調査もされるということであるから、"可能性がある"という次元を越えて、「製塩が行われた塩泉が多数存在する」と言い切れる事例が次第に積み上がっていくことも期待できる。

その成果を、私も利用させていただいて、後付けでも聞き取り調査ができれば、製塩技術的な側面でも、他の生業との関わりの側面でも、事例を積み上げていくことができるはずだ。つまり、前回までに何回か書いたように「日本の過去の事例の掘り起こしを"諦めて"、現在も観察可能な海外の事例を探す」という消極的な姿勢ではなくて、水文学での塩泉の把握をベースにすることで、「日本の過去の事例の掘り起こしを"進めつつ"、現在も観察可能な海外の事例も探す」という方法論がとれるようになるということである。これは、私としては、目の前が大きく開けていくような転換であった。

そういう次第で、考古学、水文学(加えて民俗学)、製塩技術史(加えて生態人類学)という異なる分野で連係して「内陸製塩」を考えるという展望が開けてきたのであるが、今回紹介した富士見村の事例は、塩泉自体が動力揚湯の新しいもので、過去の製塩事例の可能性がないという点で、残念ながら今後の進展が望みにくい事例である。しかし、少なくとも私にとっては「日本にも製塩可能な塩泉はまだまだ多数ある」ことに気付いた点で大きな意味を持つ事例であり、今後の方向性を大きく転換する契機となったという点でも意味のある事例である。

また、水文学の専門家の方からの情報提供によれば、今回紹介した富士見村のほぼ真南にも面白そうな塩泉があり、すでに現地調査に入られているらしい。富士見村から前橋市を挟んでさらに南下した埼玉県境の「八塩温泉」で、こちらには富士見村にはなかった「歴史」の蓄積もある。私が温泉を訪れる目安にしている「日本秘湯を守る会」に属した宿もあるのだが、情報提供を受けるまで全く見落としていたのは迂闊だった。第14回で紹介した鹿塩温泉(長野県)や奈良田温泉(山梨県)、第15回で紹介した北会津地方の大塩村【5】についても、現地訪問を含めた追加調査の余地があるのだが、まずは「八塩温泉」から、現地を訪れて調べていければと考えている。ただし今後は、これまでのように一人で考えるのではなくて、情報を共有しながら、それぞれの分野での作業を進めていければと思う。その中で、特に興味深い事例については、いずれ、各分野で連係して、より総合的に「塩泉製塩」「内陸製塩」の実体に迫ることができたら本当に素晴らしいのではないかと、夢が大きく膨らみはじめたところである。

今回でこの連載も丸2年が過ぎようとしているが、ちょうどその時期に、連載をきっかけとして、新たな展望が開けたわけであり、この場を借りて、連載という「場」を与えていただいたことに感謝したい。新たな展望が開けたからといって、すぐに成果が出るわけでもなかろうが、今後とも進展があった時点で紹介させていただきたい。また、「内陸製塩」についての情報をお持ちの方があれば、引き続きお知らせいただければありがたいと思う。

(注 : 本稿は、Webマガジン『en』 2006年3月号に掲載されたものです。)

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