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塩の博物館

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たばこと塩の博物館だより
(注:Webマガジン『en』2002年12月号から2007年3月号に連載されたものです。)

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第4回 ~塩の人類史のスタートポイント~高梨 浩樹 たばこと塩の博物館 学芸員

これから塩の人類史を考えるにあたって、前回の最後に書いた「生業による塩利用のちがい」の話に入るより前に、まずは、そのスタートポイントをいつぐらいの時期に設定したらいいのかを考えてみたい。

現時点までの情報では、製塩開始の時期はある程度わかっても、人類がいつから塩を採るようになったのか、塩利用がいつから人類の文化になったのかはよくわからない。例えば日本では、製塩土器の出土によって、縄文時代後期後葉(およそ3,000年前)には、塩が作られていたと考えられている。ヨーロッパや中国でも、遅くとも3,000年前までには、塩が作られるようになっていたと考えられている。これらの「塩づくりのはじまり」は、塩の人類史にとっても大事なテーマで、今後、ていねいに扱っていきたい話題ではあるのだが、「塩の人類史」のスタートポイントとして、いきなり「作りはじめた」話をすることには違和感がある。作るより前に、「作りはしないが使っていた」という時期があったと考えられるからである。

例えば、製塩開始より前の縄文中期(およそ5,000年前)の押出(おんだし)遺跡(山形県東置賜郡高畠町)では、クッキー状炭化物(註1)が出土しているが、それにはかなりの塩分(使われた食材や、出土した周囲の土壌などからは考えられない量のナトリウム)が検出されており、塩の利用が示唆されている(註2)。また、直接の証拠にはならないが、同じ高畠町内には観音岩という洞窟内の岩壁に塩水がしみ出して結晶している場所があり、塩が利用されても不思議はない環境であるらしい。つまり、塩は作っていなかったが、利用はしていたと考えられるのである。縄文中期には、まだ製塩は始まっていなかった(少なくとも現時点では製塩の痕跡は見つかっていない)が、この時期には「塩利用の文化」はあったと考えても無理はなさそうだ。この例からも、「作る」より「使う」方が前にあったということを前提として、「塩の人類史のスタートポイント」を探っていきたい。

では、人類が塩を利用しはじめた動機、作るようになった動機、塩が必要になった理由とは何だろうか。「動機」が化石や考古遺物として出土するはずもないから、実証的に間違いのない話をするのは難しく、推論に頼らざるを得ないが、大きくは、「生理的な必要性」と「味覚としての欲求」というふたつの観点から、その動機を説明しようという試みがなされてきた。生理的な必要性からの説明とは、狩猟採集から農耕へという生業の変化にともなって、人間の食性(食物のレパートリー)が変化したことに着目し、食品中に含まれるナトリウム量の比較から、塩が不足しがちになったと考える生理学的な推測である(註3)。この説明は、世界各地で見つかっている製塩遺物が農耕開始後の時代のものであることからある程度の裏付けが得られるが、塩を使いはじめた頃の人類が「生理的に必要だから塩を摂ろう」と「考えた」わけではないだろうし、「動機」としては少し弱い。「生理的な必要を満たすため」という説明であれば、人間よりもさらにナトリウムが欠乏するであろう草食動物(哺乳類)にも当てはまる話であって、塩利用のはじまりは、「人類の歴史」の範囲を大きく超えていくことになる。

ここで、問題になるのが、もう一方の、味覚による説明、嗜好の面からの説明である。野性の草食動物は果たして塩味が分かるのであろうか。味覚は「なめた本人にしか分からない」という点で、人間どうしでも話がやっかいになる問題であり、まして、動物が感じている味がどのようなものなのかは分かりようもない。しかし、野性の草食動物が塩分を含む泉や泥などのある場所に集まり、しきりに泉の水や泥をなめる行動が広く観察されているのは事実である。ソルトリック(アメリカ)や鹿塩(長野県)のように、そうした「塩なめ場」に由来した地名が残っているところもある。

野性の草食動物も、何らかの味覚によって、塩が判別できているからこそ、「塩なめ場」に集まってくるのではないだろうか。さらには、草食動物だけでなく、肉食動物であるオオカミが、塩分を求めて人間の尿に集まるといった話が出てくる狩猟伝承も珍しくはないし、大型動物だけでなく、ネズミであっても、動物実験で真水と塩水が判別できることが知られている。きちんと調べたわけではないが、これらの例からも、味覚として塩を判別する能力は、多くの哺乳類に共通して備わっている、つまり進化の比較的早い段階ですでに備わっている能力なのではないかと考えられるのである。

生理的な必要性の話も、味覚としての欲求の話も、「はじまり」を探ろうとして次々遡って考えていくと、どちらも「人類の歴史」の範囲を大きく超えてしまうだけでなく、「文化」の話というよりは「からだ」の話になってしまうようである。「からだ」の話になってしまえば、そもそも多くの動物の細胞膜には、ナトリウム-カリウムポンプ(註4)という形で、ナトリウムを判別する能力が備わっているのであり、おそらく哺乳類の歴史の範囲をも大きく超えて、遡った時代の話になってしまうだろう。「ナトリウム-カリウムポンプを作り出す遺伝子ができたのはいつか」という話は、それはそれで、興味深いのだが、そうした「からだ」の話だけでは、「塩利用がいつから人類の文化になったのか」を考え、「塩の人類史のスタートポイント」を探ろうというときには具合が悪いようだ。

では、もう少し人間に近い霊長類の場合はどうか。例えば、宮崎県幸島のニホンザルの場合、海水でイモを洗う行動が観察され、広く知られるようになった。イモ洗い行動には、「イモに付いた砂を洗う」という目的も考えられるので、純粋に「塩味」だけを目的とした行動とは言い切れない面もある。とはいえ、はじめは真水で洗っていたが、海水で洗うサルが現われて以降、群れの中のほかのサルも海水を使うようになったこと、しだいにイモ洗い行動には真水よりも海水を使うサルの方が多くなっていったこと、中には、イモをかじるたびに海水につけるのを繰り返すサルも現われたことが観察されてり、これらの観察から、ニホンザルが塩味を「好ましい味覚」として判別できていると考えても無理はないと思われるのである。

この幸島のサルたちが有名になったのは、実は「海水を使った」からではなく、サルにも「前文化」というべきものがあるという話になったからである。単に、塩味を判別できるという「からだ」の話だけではなく、「前文化」の話になっているのは、群れの中の1匹のサルが始めた行動が、他のサルにも「伝播」して、群れの中に広がっていった、その過程がすべて観察されているからである。さらに、イモ洗い行動は「その群れに特有の行動」として定着し「世代を超えて受け継がれている」からである。それゆえ、人間につながる進化をテーマとする「サル学」にとって、「文化のはじまり」に関わるような話題として有名になったのだ。

しかし、ここで、「塩の人類史」の立場から、もっとも注意しておかなければならないのは、草食動物的なニホンザルは「生理的に塩が必要」だと考えられ、さらに「塩味が判別できる能力を持っている」にもかかわらず、「もともと海水を利用していたわけではない」ことである。「生理的な必要」は、なにか別のこと、例えば、考えていたより草食動物的でなかったり、「塩なめ場」があったり、という形で補えていたと仮定したとしても、「塩味が判別できる」にもかかわらず「海水を利用していなかった」ことは残る。つまり、必ずしも「持てる能力をフルに使ってはいなかった」のである。

そこで、人類に至るまでの進化の歴史を考えてみよう。もちろん、ニホンザルから人間に進化したわけではないし、チンパンジーが人間になったわけでもない。しかし、幸島のニホンザルの例を考えるならば、類人猿との共通祖先から人間になるまでの間に、「塩味を判別できる能力をそれほど積極的に活用してはいなかった期間」があってもよいことになる。その中断期間があったとするならば、眠っていた「塩味を判別できる能力」が、何らかのきっかけで「目覚めた時」こそ、「塩利用が人類の文化になった時」ということになるだろう。

その中断期間は何回かあってもおかしくはない。ならば、現生の人類にまで「世代を超えて受け継がれる」ようになった「最後の目覚めの時」こそが、「塩の人類史のスタートポイント」ということになる。今の段階では、ひとまず、それは類人猿との共通祖先から現在の人間までの間のどこかにあるということに想定しておいて、また、折に触れてこの「塩の人類史のスタートポイント」の話題に立ち帰ることにしたい。

(注 : 本稿は、Webマガジン『en』 2003年6月号に掲載されたものです。)

(註1)
クリやクルミなどの木の実の粉に、シカやイノシシなどの動物の肉片等をすりつぶして焼いた「クッキーとハンバーグが合わさったようなもの」で、炭化して利用されなかったため遺物として残ったものと考えられている。縄文クッキー、パン状炭化物、炭化食品などいろいろな名称があるが、ここでは比較的広く使われている「クッキー状炭化物」と表記した。ただし、註2にも述べるように、使用された食材、とくに、肉の使用とそれらの具体的な種名については、近年、その根拠となった脂肪酸の分析手法そのものの信憑性が疑問視されており、「クッキーとハンバーグが合わさったようなもの」ではない可能性も大きい。なお、押出遺跡出土のクッキー状炭化物は、国指定重要文化財にも指定されている。

(註2)
この部分の記述については、下記の文献がきっかけになっている。ただし、その著者の中野益男教授(帯広畜産大学)の研究は、残存脂肪酸の分析により、クッキー状炭化物がどのような食材で作られたものかを明らかにするのが主目的で、塩の分析を目的としたものではないようだった。同教授に問い合わせたところ、塩の分析は「脂肪酸の分析とは別に、補足的に行ったもの」ということで、成分分析表の載った別文献のコピーを送っていただき、「使われた食材や、出土した周囲の土壌などからは考えられない量のナトリウムが検出されたこと」「同町内に塩のしみ出す洞窟があること」を確認することができた。近年、他の遺跡の遺物を含む一連の残存脂肪酸による分析については、自然科学分野から疑義が提出されているが、本稿では、脂肪酸の分析とは異なる方法で行われた塩分の分析に関しては、信頼できるものとして考えた。
中野益男,1998,「縄文のクッキーを脂肪酸で分析する」,『季刊 生命誌』21(1998年秋号),JT生命誌研究館

(註3)
例えば以下のような文献がある。
村上正祥,1998,「人はなぜ塩を欲するのか-生物体内のNaとK-」,日本海水学会誌42(3),日本海水学会

(註4)
からだの中の塩分(ナトリウム)は、おもに細胞の外側の体液にあって、細胞の内側にはほとんどないのが正常な姿である。それぞれの細胞には、この状態を維持するため、細胞の内側に入り込んでしまったナトリウムを細胞外に運び出すしくみがあるが、はたらきがポンプに似ているので、「ナトリウム-カリウムポンプ」と呼ばれている。正確には、「ナトリウム-カリウムATPアーゼ」という酵素が、細胞膜の中にはまり込んだものである。

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