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塩の博物館

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たばこと塩の博物館だより
(注:Webマガジン『en』2002年12月号から2007年3月号に連載されたものです。)

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第2回 ~塩の人類史を語るための「歴史」について~高梨 浩樹 たばこと塩の博物館 学芸員

前回では、たばこと塩の博物館の設立趣旨として、博物館は「歴史」や「文化」を主に扱うことを述べた。さらに、その中でうまく消化できないでいる「塩の人類史」の構想に触れて連載をスタートした。今回からは、「塩の人類史」を考える時に関わってくるだろう「歴史」や「文化」について、改めて、私が考える枠組というか、スタンスというか、考え方の癖のようなものをお話してみたい。

「つらねる」論理で語る「歴史」

前回お話した、「塩の人類史」とは、たしかにひとつの「歴史」であるだろう。そして、一般的には、資料や遺物がたくさん並んでいて、「歴史」を語っているのが博物館だと考えられているようでもある。そこで、まず、「塩の人類史」を語るときに、私が考える「歴史」について、その考え方を整理しておきたい。

たばこと塩の博物館には、塩の「歴史」を語るものとして、例えば、江戸時代の塩浜を描いた浮世絵や版本、絵図、積荷の荷札や取り引きに関する文書、はたまた昔の塩叺や塩袋、専売時代に塩小売店にかかげられていた看板というような、いろいろな歴史資料がある。また、たばこと塩の博物館ではあまり所蔵していないのだが、かつての塩田で使用していた製塩用具なども、もちろん立派な歴史資料だ。

たしかに、これらの資料なしに、塩の歴史を語る博物館は成り立たない。資料を収集し、保管し、整理するというのは、博物館の大切な核である。資料によっては、工芸品や美術品など、モノそのものが語り出してくれて、陳列という形でも十分迫力ある、おもしろい展示が成り立つ場合もある。そこに、それらのモノを作った人、使った人に関する史実や、それらのモノが生まれた背景が添えられたり、あるいは時代順に並べてみるなど、なんらかのストーリーが伴って成り立つ展示もある。

いずれにしても、モノをたくさん並べて何かを言おうというのは、いうなれば「つらねる」論理だろう。「つらねる」論理の究極の姿は、たとえば、世界中のクワガタ虫の標本を地域別に並べる、というようなイメージになるかもしれない。それはクワガタ好きはいうにおよばず、たくさん「つらなっている」こと自体の迫力によって、それほどクワガタに興味がない人の目を惹くこともできる「つらなり」だろう。

しかし、それと同じように、先に述べたような塩に関する歴史資料を「つらねて」みたらどうだろう。たしかに古今東西の塩袋をこれでもかと並べてみれば、ある種の迫力はあるだろう。資料の整理・保管を促す効果もあって好都合かもしれない。しかし、塩の場合、それはおもしろいだろうか。私は、資料というモノを「つらねて」いくだけでは、塩が塩である故に持っている「おもしろさ」を示すのは、なかなか難しいのではないかと感じている。少なくとも、それだけでは、たとえば塩は必需品なのか否かといったような、塩の持つ性質や役割が浮かび上がって見えてくることはないだろうと思う。

広い意味での「歴史」

実を言うと私は、「歴史」がそれほど好きなわけではない。豊臣秀吉がどのように出世したかというような史実や、秀吉の甲冑はこれであるというような資料に出会っても、あまり興味を覚えないようだ。それは、博物館の学芸員を職とするものにとっては、いいことではないのかもしれない。先に述べたような塩に関する歴史資料を「つらねて」みても、あまりおもしろくないのではと感じてしまう原因の一端は、そこにあるのかもしれない。しかし、「歴史」の意味をちょっと広げて、例えば森の歴史のようなものを考えてみるとき、私はそれをおもしろいと感じるタイプの人間らしい。

富士山麓には、有名な青木ヶ原の樹海があるが、864年の大噴火で大量に噴出した溶岩流の上の生物のいない世界に、コケ類や地衣類が生え、それを足掛かりに草や木が生えるといった、千年以上の時間をかけてできあがった森だ。現在、目にすることのできる青木ヶ原樹海は、溶岩に覆われて以降の、種子を運んだ昆虫や動物を含むさまざまな生物の、生きるための営みと、その時間的な積み重なり、つまり「歴史」を含んで、目の前にあるのである。その意味では「森そのものが、歴史を語る資料だ」ということもできる。このように意味を広げて考えるならば、私は「歴史」が好きである。

では、森が歴史資料であるというのと同じスタンスで、塩のことを考えてみよう。塩が必需品であるか否かといった議論はひとまず置いておくとしても、何らかの必要があって、人々は塩を得ようという努力を積み重ねてきたはずだ。そうした人々の生きるための営み、努力の積み重なりは、例えば「製塩法」という形でとらえることができる。青木ヶ原樹海そのものが歴史資料であるというような視点に立てば、揚浜やイオン交換膜式といった「製塩法」もまた、それ自体が歴史資料であるといえる。そして、「塩の人類史」を語るための歴史資料としては、製塩用具のようなモノとしての資料だけでなく、一段上の概念である「製塩法」をひとつの資料の単位として考えるようなやり方を含める方が、全体が見渡しやすいのではないかと思うのだ。

そこで、何かを「つらねて」塩の人類史を語ろうという時に、世界中の「製塩法」そのものを、例えばクワガタの標本のように並べることができたら、どうだろうか。「いろんなものがあるなあ」と感嘆するという楽しみ方、つまり「多様性を楽しむ」というスタンスで、「つらねる」論理だけでも十分楽しめるものになると思うのだ。とはいえ、「製塩法を並べて展示する」のは容易ではない。いまのところ、たばこと塩の博物館の展示室に並んでいるのは、ある時代、ある地域の日本の製塩法を再現したジオラマと、それを補完、説明するための映像装置である。それはそれで、日本の塩作りの歴史を語るという目的には適っている。しかし、昆虫標本と同じように「製塩法」を「つらねて」楽しむためには、標本の数やバリエーションが不足している。

タイムマシンを含む、あらゆる乗り物を駆使して、古今東西のさまざまな製塩地を訪ねるガイドツアーができたならば、昆虫標本を並べるイメージに近い形で、「製塩法」を展示することに成功したといえるのかもしれないが、それはまあ、夢物語だ。ひとまずは、時代や地域にこだわらず、世界のさまざまな製塩法を集めた、図鑑のようなデータベースを作りたいと思い、その作業を始めてみている。

いまのところ始めただけで、まだ何の成果があるわけでもない。しかし、生きて行くためには食料が必要であるように、塩もまた、生きて行くために何とか手に入れる必要のあるものだとすれば、製塩に向かない地域や、逆に、食品生産に向かず、塩を作って交易するしかないような地域などには、「よくぞこんな方法を編み出したなあ」というような製塩法がありはしないかと、漠然と期待している。そこには、「なんでこんな変な形、変わった色の昆虫がいるんだろう」という驚きと同じような楽しさがあるのではないかと考えているわけである。

「つらぬく」論理で語る「歴史」

ところで、青木ヶ原の樹海の歴史は、ある種の必然に支えられた歴史であるともいえる。その必然とは「遷移」という生物学の用語で説明されるもので、他の似たような条件を備えた火山地帯の場合にも、ある程度共通して、当てはめて考えることのできるような必然だ。同様に、多種多様なクワガタは「進化」と「適応」という用語で説明される必然によって、さまざまな形で存在しているということができる(「進化」と「適応」の繰り返しの歴史を経て、現在の姿になって目の前にいるクワガタは、森の場合と同様に歴史資料でもある)。同じ「進化」と「適応」を使って、クワガタ以外の動物を説明することも可能だ。

このような考え方は、さきの「つらねる」論理に対比してみるならば、「つらぬく」論理である。必ずしも、このような「つらぬく」論理ですべてが説明できるわけではないが、「つらぬく」論理には、「つらぬいて」説明することができた時の楽しみ、「そういう見方ができるのか」と納得する時の楽しみというものがあると思うのだ。「つらぬいて」説明するということは、一種の物語を生み出すということでもある。

前回の稿で述べたように、「塩の人類史」の目的は、それを完成させることよりも、むしろ、そこからおもしろい物語を紡ぎ出すことにある。ならば、「塩の人類史」の中に「つらぬく」論理を見つけだすこと、「つらぬく」論理で「塩の人類史」を説明してみることは、塩の物語を紡ぎ出すための有力な手段のひとつになるのではないだろうか。

昆虫を考えるのと同じようなスタンスで考えるとき、さまざまな「製塩法」は、ひとつひとつが、昆虫標本に相当するもので、世界のさまざまな製塩法を集めて、図鑑をつくる行為は、いわば「標本あつめ」に相当する。では、さまざまな「製塩法」を「つらぬいて」説明することのできる論理とはなんだろうか。そのうちの少なくともふたつは、昆虫の多様性を説明する場合と同様に、「進化」と「適応」ではないかと、現時点では考えているのだが、その話はまた次回以降に譲りたい。

私が考えようとしている「塩の人類史」とは、この稿で述べたような意味を積極的に含んだ「歴史」で、それは、どちらかといえば、自然史に近いものなのかもしれず、違和感を覚える方もいるかもしれない。しかし、必需品としての塩を語る「歴史」としては、例えば豊臣秀吉について事物をつらねて語る「歴史」よりも、むしろ昆虫や森の歴史について考える方法論の方がうまくいくのではないかと思うのだ。「塩の人類史」が自然史に近いのであれば、「文化」についてはどう考えたらいいのだろう。次回以降では、「文化」と「進化」と「適応」を扱う学問分野として「生態人類学」の話を紹介しながら、「塩の人類史」を探っていきたい。

(注 : 本稿は、Webマガジン『en』 2003年2月号に掲載されたものです。)

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