塩の制度の歴史

1905年(明治38年)の創設以来、塩の需給と価格の安定に寄与してきた塩専売制度は1997年に廃止され、現在は『塩事業法』という法律のもと、原則自由の市場構造へと移行しています。

塩専売制度とはどんなものだったのか、その歴史を簡単にご紹介します。

塩専売制の実施(1905年)

塩づくりの原料を海水に頼る日本では、古くから塩浜法が行われ、江戸時代には瀬戸内に入浜式塩田が発達し、全国の約八割の塩を産しました。

明治の開国後は日本の塩も国際市場の影響下に入りましたが、当時は差塩が大半を占めていました。品質に勝り低価格な外国の塩への危機感も高まり、国内塩業の育成・保護、製塩技術の改良や価格の低廉化が急がれ、打つべき政策・施策の議論が重ねられました。さらに、日露戦争のための膨大な戦費の調達に苦慮した明治政府は、国内塩業の基盤整備と財政収入を確保する両面から塩の専売制導入を検討し、1905年(明治38年)6月、塩の専売制度を実施したのです。その底流には、海水からいかに安く良質の塩をつくるかという、今に引き継がれる日本の塩づくりの命題が見て取れます。

差塩(さしじお)

塩田製塩時に使われていた言葉で、塩化ナトリウム純度の低い塩のことをいい、それに比し、純度の高い塩を真塩(ましお)と呼んでいた。

塩製造の歩留まりを上げるために、真塩をとった後に残る、にがり分を多く含む液を、次のかん水にまぜて結晶させたもので、純度は、真塩90%程度に対し、差塩は60%から70%程度だった。

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第1次塩業整備(1910年~1911年)

塩専売制の実施後も塩の価格が安定せず、他の物価への影響も大きいことから、政府は塩の価格を引き下げ、消費者の便益を図ることを目的として、塩の元売人、小売人を指定するとともに官費による塩の輸送を行い塩の価格の安定に努めましたが、更に生産の安定化を図るため、生産性の低い塩田を廃止する塩業整備に関する法律が1910年に施行され、同年と翌年に塩業整備(第1次塩業整備)が実施されました。これにより、約13,400人の製造者(かん水製造者を含む)と約1,800ヘクタールの塩田が整備された結果、塩の価格を引き下げることに成功し、整備の目的を達成しました。なお、このときの整備で温泉熱利用などの特殊な製塩方法のものはほとんど廃止されました。

かん水

濃い塩水のこと。海水を濃縮してかん水を採ることを採かんという。

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塩専売の収益主義から公益主義へ(1919年)

日露戦争の軍費調達という収益主義的な制度として出発した塩の専売制度でしたが、この頃に入ると早くも大きな変革を求められました。

塩が生活必需品であり塩価を低く抑えなくてはならない反面、その生活税的な性格は国民生活に苦痛を与えるとして廃止論も出されました。

一方、国内塩業の保護・育成、ソーダ工業等の発展のため、保障や免税の必要も生じ、当初1,000万円を見込んだ塩の専売益金は、大正中期には約200万円に減少しました。

種々の論議の結果、国内製塩業のさらなる育成を図る一方、生命の糧である塩の価格をできるだけ低廉にし、安定して国民に供給することを主眼とする制度に改革することになりました。塩の専売制度は、収益主義を捨てて「公益専売」として再出発し、1997年の塩専売制の終焉まで引き継がれました。

第2次塩業整備(1929年~1930年)

公益専売へと方向転換した後、製塩業改善の主導権を握った政府(専売局)は、全国の主要産地に技師を派遣し、塩の増収や品質改善、生産費削減等の製塩指導を実施しました。

1920年代中頃には、沼井の改良や、せんごう装置の大規模化に奨励金を交付する制度も設けられました。この時期には、蒸気利用式せんごう装置の普及という、江戸時代以来の平釜から工場生産化へ向かう大きな飛躍も見られ、国内塩の生産量も増大に転じました。一方、台湾や関東州の塩も供給力を高め、それら供給過剰の状態を解消するため、第2次塩業整備が実施されたのです。

この事業では約1,600人の製造者と1,200ヘクタールの塩田が整備され、在来塩業の本格的近代化という、次に控える大改革に向けての下地が固められていきました。

沼井(ぬい)

揚浜式塩田、入浜式塩田で使用した濃い塩水をこしとる装置のこと。

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せんごう

かん水または海水を煮つめて塩の結晶をつくること。

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食卓塩の包装要領の改定、統一価格の実施(1938年)

当時、食料用・工業用合わせて250万トン程度の需要があり、国内自給率は20%程度でした。

自家用塩制度実施(1942年)

太平洋戦争が勃発すると塩の生産が激減、輸入も困難となり、塩は割当配給制になりました。また、非常手段として、自家用の塩の製塩が認められました。

第3次塩業整備(1959年~1960年)

戦後の困窮期を乗り切り、日本専売公社に引き継がれた塩専売事業では、食料用塩の国内自給を目標に、生産技術の改良や法的整備が進められました。

1950年前後から、せんごう工程への立釜の導入が本格化し、採かん工程でも、入浜式塩田から流下式塩田への転換が実施されました。流下式塩田の普及は、近世以来の過酷で熟練を要する塩田労働を駆逐し、労力で10分の1、生産量で2倍から3倍という画期的な技術革新をもたらしました。また、加圧式海水直煮製塩も軌道に乗り、国内塩の生産量は飛躍的に増加し、1953年には塩の消費者価格も統一されました。しかし一方では、製塩技術の飛躍的な進歩が塩の過剰生産を招き、1959年から1960年にかけて塩業整備臨時措置法に基づく第3次塩業整備が行われ、約2,000ヘクタールの塩田が姿を消し、国内製塩業は新たな近代化の時代へと向かうことになりました。

立釜(たてがま)

熱の利用率を高めるために、密閉した釜の中を真空にした蒸発装置のこと。こうすることで、低い温度で水が蒸発し効率よく塩を煮つめることができる。

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海水直煮製塩(かいすいちょくしゃせいえん)

塩田を使わず(採かん工程を経ずに)海水を直接煮つめて塩をつくる方法。効率よく熱を使うために加圧式の立釜が使用された。

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イオン膜技術が実用可能な段階へ

塩の輸入量が増加する中で、コストの高い国内製塩は見直しを迫られ、輸入塩の価格に対抗できる国内製塩業の再編が急務とされました。こうした状況にあって、採かん工程で開発が進められてきたイオン膜の技術が、この頃には実用可能な段階を迎えました。

イオン膜(イオン交換膜法)(いおんまく(いおんこうかんまくほう))

採かん方法のひとつで、塩が水中ではナトリウムイオンと塩化物イオンに分かれて存在していることに着目し、電気の力を利用して海水を濃縮する方法。

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第4次塩業整備

イオン膜の実用化に向けた基盤整備が進む中で、この年、塩業審議会から指示された「塩産業近代化方策要綱」の答申を受け、第4次塩業整備事業が実施されました。この塩業整備事業は、第3次までの非効率的な塩田の整備・統合とは基本的に異なり、採かん工程をすべてイオン膜方式に転換し、2,200ヘクタールの塩田が姿を消し、製塩工程全体が装置産業化するという日本の製塩史上例のない大改革でした。

全国7社の製塩業者による新たな製塩体制は、輸入塩の低価格に対抗し得る低コスト化を目指しましたが、1973年の第一次石油危機で深刻な影響を受け、 1976年には23年ぶりに塩の消費者価格が値上げされました。しかし、一方では一貫パレチゼーション方式が塩の流通に導入されるなど、所期の目的達成に向けての努力が続けられ、日本の塩産業は新たな時代へ船出することとなりました。

日本専売公社から日本たばこ産業株式会社へ

全国7社の製塩企業によるイオン膜・立釜法が軌道に乗った以降、塩業界は、石油危機などの難関を乗り越えながら、効率化と品質向上への努力が続きました。そのなかで、塩田が姿を消し、採かん方法が大きく変化したことで、イオン膜・立釜法による塩づくりを一般の人々に正しくPRする必要性も増しました。

たばこと塩の博物館が夏期に開催する、子ども対象の塩の企画をベースに、名古屋を皮切りに札幌、福岡、大阪など、地方都市で塩のPR展が企画され恒例化しました。地方の特色をいかした各企画は、イオン膜・立釜法の周知だけではなく、身近な塩に関するPRの場として大きな役割を果たしました。

一方、本格化しつつあった行政改革の波の中で、1985年、たばこの専売制が廃止され、日本たばこ産業株式会社が発足しました。塩事業は、日本たばこ産業株式会社に置かれた塩専売事業本部によって専売制が継続されつつ、将来の在り方が議論されることになりました。

イオン膜・立釜法(いおんまく・たてがまほう)

イオン膜により海水からかん水をつくり、これを立釜で煮つめて塩をつくる方法。

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塩専売制度の終焉

行政改革・規制緩和への流れの中で、1989年、大蔵大臣からたばこ事業等審議会に対し「今後の塩事業の在り方について」の諮問がなされました。1995 年、その答申が大蔵大臣に提出され、専売制の廃止を前提として、製造・輸入・流通にわたる原則自由の市場構造への転換が図られることとなりました。一方で、生命の糧としての塩の重要性や、急激な変革による混乱を避けるための経過措置が講じられるとともに、「財団法人塩事業センター」が設立されました。かくして1997年4月、92年間続いた塩専売制度は廃止され、生活用塩の供給や緊急時に備えた備蓄などの機能を財務大臣の指定を受けた塩事業センターが担う体制がスタートしました。そして、国内塩産業の一層の発展、多様な消費者ニーズへの対応を柱に、新しい日本の塩産業創世の扉が開かれました。