塩風土記

塩風土記

■鹿児島県と塩■

鹿児島県の塩田は、南九州海岸地域、鹿児島湾岸地域、南西諸島地域に区分される。
南九州海岸地域は小干潟を干拓造成した小規模な入浜式塩田揚浜式塩田であり、ほとんどが農漁業の兼業であった。
鹿児島湾岸地域の塩田は、広大な干潟を干拓造成した大規模な入浜式塩田が主であり、揚浜式塩田は半数以下であった。この地域の主な塩田としては、指宿・喜入・帖佐・加治木・国分・垂水等がある。
南西諸島地域には、種子島・屋久島・奄美大島の塩田があり、こちらも入浜式塩田が主で、揚浜式塩田は少数であった。また、薪材の豊富な屋久島・奄美大島では海水直煮による製塩も行われていた。


【人物】

島津斉彬(しまづなりあきら)
1853年(嘉永6年)、大隈半島を巡視した島津斉彬は、新城(垂水)の塩作りに注目し、「米、塩、綿、鉄ノ四品ハ一日モ欠クベカラザル要品ナリ」と述べて、製塩の奨励を行ったといわれている。
(池田俊彦『島津斉彬公伝』)


【行事】

若塩売り
正月2日の早朝に家々に塩を売って回ることをいう。指宿では、何人もの子供が新しい塩を提手篭に入れ、一番鶏の鳴く頃に家々を訪れて「ワカジオ買う呉いや」といって売ってまわり、この塩は神々、床、井戸、カマドなどに供える風習があった。
(田村勇『塩と日本人』)


【名所・史跡】

辻堂原遺跡(つじどうはるいせき:日置市)
弥生時代の末期から古墳時代中期にかけての集落遺跡。製塩土器が発見されている。
(近藤義郎編『日本土器製塩研究』)

萩原遺跡(はぎわらいせき:姶良町)
古墳時代から平安時代にかけての遺跡。多量の土器、石器、須恵器などのほかに製塩土器も発見されている。県内においての製塩土器の発見は、辻堂原遺跡、荻原遺跡の2箇所のみである。
(近藤義郎編『日本土器製塩研究』)