塩風土記
塩風土記
■長崎県と塩■
長崎県の塩田は、九州西海岸地域のリアス式海岸の小干潟を干拓造成したものがほとんどで、塩田も小規模で分散して集積度が低いのが特色であった。また、1700年ごろには石炭が採掘されるようになり、薪に代わる燃料として瀬戸内海沿岸の製塩地に運ばれるようになった。
佐世保地方では、塩を一手に扱っていた塩屋松五郎が石炭を採掘し、瀬戸内海沿岸の塩と交換取引を行って大いに栄えたという記録もある。県内でも高島・高浜・今福等では石炭を燃料として利用し塩を煮詰める製塩法が行われており、1791年に藩直営の製塩所が作られた江迎町では、1960年(昭和35年)ごろまで海水を直接煮つめる海水直煮製塩が行われていた。
【名所・史跡】
浜田遺跡(はまだいせき:壱岐市)
奈良時代末から平安時代にかけての製塩遺跡。製塩土器が発見されている。
(日本塩業大系編集委員会『日本塩業大系史料編 考古』)
中尾遺跡(なかおいせき:壱岐市)
平安時代頃の製鉄遺構。製鉄時の鉄滓や製鉄施設の遺構が見つかっている。製塩土器も見つかっているが、近隣の浜田遺跡で作られた塩が器のまま運ばれてきたのではないかと見られている。
(壱岐市役所)
出島
関西で作られた焼塩壺が出土している。また、コンプラ瓶という陶器に入れた醤油がヨーロッパに向けて輸出されていた。
(財)親和銀行ふるさと振興基金『長崎出島の食文化』)
焼塩壺
焼塩を作る際に用いたコップ型の土器。砕いた粗塩を入れ窯で壺ごと焼かれた。17世紀から19世紀にかけて関西で作られ、壺ごと流通していた。当時の高級品。幕末の瓦版に、ペリー一行を供応している様子に、焼塩壷が食膳にのぼっている絵が描かれている。
(財)親和銀行ふるさと振興基金『長崎出島の食文化』)
塩俵断崖の柱状節理(平戸市)
生月島の北西海岸沿いにある玄武岩の断崖。南北約500mにわたって最大高さ20mほどの玄武岩の柱が並んでいる。海際の波によって切断された柱の、六角形の面を段違いにならべたような形が、昔、塩を運んだ俵に似ていることから「塩俵断崖」の名前がついた。地質学的に貴重な地形であり、平成元年には長崎県の天然記念物に指定されている。
(平戸市文化遺産課文化遺産班)
【名産品】
塩皮クジラ
鯨の皮を塩で漬け込んだもの。塩皮鯨料理は長崎の郷土料理である。
からすみ
ボラの卵巣を数日間塩漬けにしてた後、真水で塩抜きをし、天日干しと加圧を繰り返し約10日間かけて飴色に仕上げる珍味。唐から伝えられたものといわれ、唐墨とも書く。江戸時代には長崎のからすみ、越前のウニ、尾張のコノワタと並んで天下の三大珍味と言われていた。
(長崎文献社『長崎事典(歴史編)』)
がん漬け
有明海に面した佐賀県、長崎県にみられる郷土料理。シオマネキ等の小さなカニを殻ごとすりつぶして、塩、唐辛子、麹等を加えて発酵、熟成させた塩辛の一種。江戸時代から続く保存食で、かに漬、がに漬け、ともよばれる。
エタリの塩辛
エタリ(カタクチイワシ)を塩とコショウ(唐辛子)等で漬け込み、一月ほど発酵、熟成させた塩辛の一種。
【その他】
塩俵かぶり(しおだわらかぶり)
壱岐地方には、子供が病弱で丈夫に育たないときには塩俵に入れて捨てる真似をし、他人に拾ってきてもらうと丈夫に育つという習俗があり、それを塩俵かぶりと呼んでいた。
(宮本常一『塩の民俗と生活』)
【学びの場】
長崎市歴史民俗資料館(長崎市)
古くからの歴史資料及び民俗資料や、長崎にゆかりのある中国、ポルトガル関係資料と並んで、17世紀から19世紀にかけての市内の有力な役人や商人の邸宅跡から出土した「焼塩壺」も展示されている。

