塩風土記

塩風土記

■佐賀県と塩■

佐賀県の塩業の歴史は古く、平安時代中期に編纂された「延喜式」によると、大宰府に租税として塩を納めたといわれている。佐賀県の塩田は、玄界灘に面したリアス式海岸の小干潟を干拓造成したものがほとんどで、塩田も小規模で、分散して集積度が低いのが特色であった。


【名所・史跡】

塩田廃置之碑(伊万里市)
塩釜神社の境内に立つ碑。1614年(慶長19年)から1617年(元和3年)にかけて開拓された塩田が、1910年(明治43年)の塩業整備で廃止された際に建立された。
(水上清『塩と碑文』)


【名産品】

がん漬け
有明海に面した佐賀県、長崎県にみられる郷土料理。シオマネキ等の小さなカニを殻ごとすりつぶして、塩、唐辛子、麹等を加えて発酵、熟成させた塩辛の一種。江戸時代から続く保存食で、かに漬、がに漬け、ともよばれる。


【塩の道】

長浜(伊万里市)から長崎の佐世保・平戸まで塩を背負って行商し、塩と蕨や竹・野菜などとを交換したという。
(澁澤敬三『塩俗問答集』)


【その他】

塩売りと信仰
松浦郡浜崎町では、誕生頃までに知恵のつきすぎた子は、塩売りの籠に乗せてもらい、「塩ヤー、塩ヤー」といって隣まで行って買ってもらったという。
(民俗学研究所『綜合民俗語彙』)
また、西松浦郡では、塩をもらって形ばかり自分の子を遣ることを塩替え息子といい、先方の息子のように丈夫に育つように、その家と親戚関係をつくるようにという趣旨であったという。
(澁澤敬三『塩俗問答集』)

塩親類(しおしんるい:伊万里市)
専売制のしかれる前までは、伊万里市付近には塩をになって村々を売り歩く行商人たちがいた。物々交換が主であり、塩の行商人は何人もいたが、農家の方では塩を買う相手は決まっていた。このように決まった売買関係を持つ塩の行商人を、塩親類と言った。
塩以外のものを商う行商人は大勢いたが、行商人との関係を親類と呼ぶのは、塩行商者に限られていた。生活に必要不可欠な塩に関しては、他の行商人とは違い特別の親近感が生まれていたことをうかがわせる慣習である。
(宮本常一『塩の民俗と生活』)

シチメンソウ(東与賀町)
アカザ科の一年草。塩生植物であり、塩分濃度の濃い有明海岸沿いに自然の群生地がある。成長の過程で色の変化が見られ、秋期には全体が鮮やかな紅紫いろとなる。色変わりにちなんで、シチメンソウ(七面鳥)の名があり、「海の紅葉」とも呼ばれる。毎年11月には、干潟よか公園を中心にシチメンソウまつりも開催されている。(佐賀市東与賀支所産業振興課)