塩風土記

塩風土記

■山口県と塩■

本州最西端に位置する山口県は、古くは大陸文化の窓口として栄え、さまざまな遺跡が残されている。古墳時代から奈良時代にかけての製塩遺跡からは、美濃ヶ浜式土器と呼ばれる特徴的な製塩土器が出土している。近代にかけては、長門、周防において入浜式製塩が発展し、『十州塩』の生産地のひとつとなった。十州塩業組合を組織した秋良貞臣や、昭和年間に塩価の維持を実現させた田中藤六などの活躍が目覚しい。


【人物】

秋良貞臣(あきらさだおみ)
明治時代、防府を中心に十州塩業組合を組織した。このころから製塩業者は塩業組合や株式会社を組織するようになった。
(塩業遺跡保存会編『煮海私記』)

田中藤六(たなかとうろく)
明和年間に、三八替持法(さんぱちかえもちほう)を提案。3月から8月の間だけ塩をつくり、冬季の期間だけ生産を休むと言う生産調整で生産制限策を普及させ、塩価の維持を実現した。
(児島洋一『近代塩田の成立』)


【行事】

塩田まつり(防府市)
入浜式塩田の諸施設を復元した三田尻塩田記念産業公園で年に一度開催されている。当日は公園を無料開放し、塩の釜たき実演や塩づくり体験など、塩づくりについての理解を深めることができるイベントを行う。
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【名所・史跡】

波雁ヶ浜遺跡(はかりがはまいせき:宇部市)
古墳時代から奈良時代にかけて営まれた製塩遺跡。短い棒状の脚部の上に碗形の容器がつくワイングラスのような形をした美濃ヶ浜式土器と呼ばれる製塩土器が多量に出土している。
(日本塩業大系編集委員会『日本塩業大系史料編 考古』)

熊谷氏庭園(萩市)
問屋と金融、仲買、製塩を業とし、萩藩御用達として栄えた豪商熊谷家の庭園。樹齢600年のソテツなどが見られる。1768年(昭和5年)に新築したといわれる住居部分は美術館として一般に公開されている。

三田尻浜大会所跡(みたじりはまおおかいしょあと:防府市)
近世における塩業の発展に伴い、塩業にかかわるものは製塩者以外にも多数に及んだ。これらの浜人・浜子・商人・職人・船乗りなどを統括する機関として、各塩浜ごとに塩田会所が設けられていた。
塩田会所には浜主から選ばれた浜掛り役人が勤め、石炭改めや塩廻し、日雇い頭などの役職があり塩業全般における事柄を処理していた。
防長浜を代表する三田尻浜には1771年(明和8年)に三田尻浜大会所が設けられ、特別に大年寄役座がおかれた。大年寄は休浜方規定の取り締まりや、塩田の営業上の取り決め、塩の販売統制など、営業停止処分や罰金刑を課すほどの権限を持って塩業全般を統括していた。初代の大年寄役座は三八替持法を案出した田中藤六である。(防府市史通史Ⅱ近世、防府市教育委員会)
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【名産品】

寒漬(かんづけ)
冬に収穫したダイコンを塩漬けにして、2週間から1ヶ月の間寒風に晒して、叩いて伸ばし、醤油ベースの漬汁に漬け込んで発酵させた漬物。


【その他】

釜石のぐろ
不要になった石釜の石が捨てられて堆積したところを「ぐろ(畔)」という。その場所で塩が焼かれていたことを示す遺構である。石釜とは土器から発達した形で、釜の底に石をしいてそのすきまを漆喰で固めたもので、鉄釜などとくらべると耐久度は低く、石釜に使う石は消耗品であった。
(防府市史通史Ⅱ近世)


【学びの場】

三田尻塩田記念産業公園
(防府市)

江戸時代中期から昭和30年代まで約260年間にわたって、全国有数の塩の産地として栄えた防府の塩田跡地の一角にある公園。入浜式塩田の諸施設を復元し、製塩道具等の展示や塩づくりの様子を紹介している。予約をすれば、塩作り体験が可能。年に一度塩田祭りも行われている。

防府市文化財郷土資料館(防府市)
防府市の歴史に関する資料を展示した資料館。三田尻塩田関連資料等が展示されている。

海洋民俗資料収蔵庫(防府市)
1961年(昭和36年)に建設された資料庫。三田尻塩田で使用されていた製塩用具や、能登の揚浜式塩田で使われていた製塩用具、塩田模型等が収集されており、一部のものは国の重要民俗文化財の指定を受けている。現在は原則非公開。