塩風土記

塩風土記

■兵庫県と塩■

兵庫県は温暖な瀬戸内気候と遠浅の海に恵まれ、古くから塩づくりが行なわれていた。播州荒井浜(高砂市)は、近世の瀬戸内において最も早く文献に現れる塩田のある地である。兵庫県には、「十州塩」の生産地のひとつである播磨があり、ここで取れた塩は大塩や赤穂塩と呼ばれていた。忠臣蔵で有名な、播州赤穂の領主浅野内匠頭が吉良上野介義央に切りかかった「松の廊下事件」の発端は、塩技術をめぐる浅野家と吉良家の確執にあったという説もある。


【人物】

馬居七郎兵衛(うまいひちろべえ)
大谷五郎右衛門(おおたにごろうえもん)

荒井浜の塩田巧者であり、1599(慶長4)年に阿波撫養塩田(徳島県)を開発した。
(日本塩事業編集委員会『日本塩業大系史料編近世』)

田淵家(たぶちけ)
江戸時代初期より「川口屋」と称して、塩田、塩問屋、塩廻船などを営み、1748(延享5)年から田淵姓となる。最盛期には約106町歩の塩田を有し、日本有数の塩田地主となった。歴代当主の収集品は、1994年に田淵家より赤穂市に寄贈され、現在では赤穂市立田淵記念館で見ることが出来る。
(岡光夫『日本塩業のあゆみ』)


【行事】

赤穂しおばなまつり
塩の固まりを彫刻するソルトアートコンテスト等、市内の目抜き通りを中心にさまざまなイベントが行われている。優秀作品は駅前に展示されている。
(主催:赤穂商工会議所)


【名産品】

塩まんじゅう
こしあんを薄い皮で包んだ饅頭。うっすらとした塩味で甘さを抑えた特有の味。江戸時代から続く銘菓。


【その他】

西浜塩田と東浜塩田(赤穂市)
赤穂の塩田地域は近世初頭には、中心を流れる千種川を挟んで西浜塩田と東浜塩田に大きく分かれていた。
西浜塩田は古来より開発され規模は小さめであり家族単位の経営が主で、苦汁分の少ない良質の塩を生産した。それらは「古浜塩」「真塩」と呼ばれ、主に大阪方面に移出された。
対して東浜塩田は近世初頭、浅野家の入封と共に藩の産業として開発された塩田であり、最初から規模も大きく、塩業を専業とする賃労働者たちによって営まれていた。
東浜塩田で作られる塩は、「差塩」「大俵塩」「荒塩」などと呼ばれ西浜塩田と競合しないように、主に関東方面に販売された。「差塩」は、一度塩を結晶化させた後に残る苦汁分を多く含む液を次のかん水にまぜて結晶させてつくるため、苦汁分を多く含み純度が低いものであったが、その分安価に大量に作ることが可能であった。運搬中に苦汁分がすこしずつ除去されていき、消費地でちょうどよい含有量になるという調整がなされており、遠隔地への輸送に適したものであった。
(山下 恭『近世後期瀬戸内塩業史の研究』、石田鐵郎『水産製造論』)


【学びの場】

赤穂市立海洋科学館・塩の国(赤穂市)
赤穂海浜公園の敷地内にある塩や海についての科学館。隣接する塩の国では、昔ながらの塩作りが体験できる。
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赤穂市立歴史博物館(赤穂市)
塩と義士の館の愛称を持つ博物館。テーマごとに郷土の歴史資料を展示している。
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赤穂市民俗資料館(赤穂市)
日本最古の塩務局を利用した資料館。昔ながらの民具類を展示している。
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赤穂市立美術工芸館(赤穂市)
瀬戸内海国立公園赤穂御崎の一角にある記念館。赤穂有数の塩田地主であった田淵家由来の品々を収集、展示している。
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