塩風土記
塩風土記
■長野県と塩■
内陸部に位置する長野県には製塩の記録はほとんどなく、塩は他所からの移入に頼らなければならなかった。そこに多くの「塩の道」の歴史が生まれ、各地には塩の流通に関する史料が残されている。最も有名な「塩の道」は千国街道で、糸魚川港から松本街道を抜け、糸魚川街道に入り、大町を抜け松本・塩尻に至るルートである。このほかにも、日本海側からは十州塩(瀬戸内海沿岸)が新潟、直江津から移入され、太平洋側からは碓氷峠を経て十州塩と行徳塩(千葉県)が移入されていた。
【人物】
黒部銑次郎(くろべせんじろう)
阿波徳島藩士。岩塩を求めて大鹿村鹿塩で私財を投資して探掘を試みたが失敗。後に、製塩場を開設して塩を作り出し、さらに鉱泉浴場の営業を申請した。これが今日の鹿塩温泉の始まりとなった。
(専売事業協会『せんばい第41号』)
【行事】
あめ市(松本市)
戦国時代、上杉謙信が武田信玄に塩を贈った故事にちなむ新年の祭典、当初は塩市と呼ばれていた。
塩の道祭り(小谷、白馬・大町地域)
5月の連休中3日間に渡り、塩の道を歩くイベント。
【名所・史跡】
沙田神社(いさごだじんじゃ:松本市)
製塩の神「沙土煮命(しおつちのおじ)」を祀った神社
【名産品】
野沢菜漬
野沢菜を塩で漬け込んだもの。信州の食の文化財にも指定されている。
塩イカ(塩丸イカ)
海から遠い地方へ送るためにイカを塩からく加工した郷土食。スルメイカのワタを抜き、ゆでて皮をむき塩漬けして一晩置き、塩を身がぱんぱんになるほどつめ、足で蓋をしたもの。交通の便が悪かった中南信地方の夏の季節料理として、キュウリとの粕あえや酢の物等に料理されることが多いという。(中澤弥子、三田コト(2004).長野県における「塩イカ」と「煮イカ」の食習慣の伝承と地域性 日本家政学会誌Vol55 168-169 )
塩打豆(しおうちまめ)
炒った豆を熱いうちに麦粉をつけてかため、塩などで味をつけたもの。古くからある食べ物で、『醒睡笑』(江戸前期の笑話集)にも塩打大豆の笑い話があるという。(渋谷敬三『塩俗問答集』)
【塩の道】
千国街道(ちくにかいどう)
日本海側の糸魚川港から姫川沿いに松本街道を抜け、新潟県境の峠を越して糸魚川街道に入り、千国の番所、問屋町の大町を抜け松本・塩尻に至るルート。主に瀬戸内の塩と加賀の能登塩が運ばれた。
(田中欣一編『塩の道・千国街道』)
もっと詳しく
【学びの場】
塩の道博物館(大町市)
この地で代々塩問屋を営む平林家の母屋を主展示場とし、塩の道で活躍したボツカや牛方の身支度、道具類、塩の道に伝わる民俗資料などを展示している。
小谷郷土館(小谷村)
小谷村の民俗資料や塩倉の模型などを展示している。
千国の庄史料館(小谷村)
千国番所(関所)の塩倉などが展示されている。
牛方宿(小谷村)
千国街道に現存する唯一の牛方宿を利用した資料館。
【その他】
歩荷と牛方(ボッカとうしかた)
歩荷とは荷物を背負って運ぶ人たちのことである。一人で塩一俵(約47kg)の荷物を背負い、十数人が一団となって、雪の山坂を越えた。
牛方とは牛を使って荷を運ぶ人たちのことで、牛方は一頭の牛に二俵(一駄)ずつ付けて運ぶ。一人前の牛方になると一度に六頭の牛を追い、これを「牛ヒトメエ」と呼んだ。
牛による輸送は八十八夜(5月2日)から小雪(11月23日)までであり、雪のため牛が通れない半年間が歩荷の出番であった。歩荷、牛方どちらも沿道の農民であった。
糸魚川からは「上り荷」として塩や海産物が、信州からは「下り荷」として麻やたばこ、大豆、生薬類、綿などが運ばれた。
(写真の人形は大町民話の里づくり「もんぺの会」作成。「話の里おおまち小太郎」JR信濃大町駅前「アルプスロマン館」に展示。季節により入れ替え有り)

