塩風土記
塩風土記
■富山県と塩■
富山県における塩生産の記録は少なく、近世においては浜塩と呼ばれる十州塩(瀬戸内海沿岸)と能登塩(石川県)が移入されていた。海路を通じて東岩瀬港(富山港)に運ばれた塩は、神通川をたどって笹津まで運ばれ、そこからさらに牛や人によって、内陸部へと運ばれていった。また、かつては富山湾で水揚げされたブリが、塩ブリに加工され、塩と共に遠く飛騨高山や信州の山間部にまで運ばれていた。この富山と松本を結ぶ道は、ブリ街道と呼ばれている。今も、氷見の塩ブリは有名である。
【名所・史跡】
多久比禮志神社
(たくひれしじんじゃ:富山市) New
「古事記」の海幸彦・山幸彦神話に登場する日子穂々出見命(ひこほほでみのみこと)・豊玉比売命(とよたまひめのみこと)・塩土老翁(しおつちのおきなのみこと)の3神を祭神とする。老翁より、神通川中流の同所での湧出塩による塩づくりを教えられたことを感謝した林宿禰弥鹿伎(はやしのすくねみかき)が、672年にまつったという。この起源譚から、「塩社」、「塩の宮」と俗称され、湧出した塩水の池は、1940年ごろまで塩出鉱泉の名で利用されていた。
(「富山県の歴史散歩」富山近代史研究会歴史散歩部会編)
【名産品】
塩ブリ
ブリの内臓を取り、背中に切り込みをいれ塩水であらってから塩をすり込み熟成させたもの。氷見の塩ブリとして古くから珍重されてきた。特に飛騨・信州方面の山国では正月に欠くことのできないものであった。1595年(文禄4年)には前田利家の老臣4人の連署で、宇波村肝煎と百姓にあて「京都から御用を命ぜられたので、当浦からぶり17本を用意し、背がたなをいれ、よく塩をきかせ、いかにもいかにも念をいれ、そうそうに差し上げよ」との命がきたとの記録がある。
(坂井誠一『富山県の歴史』)
四十物(あいもの)
鮮魚と干物の中間にある魚のこと。40種類ほどあることからこの字をあてたといわれている。
かぶら寿し
塩漬けにしたブリを塩漬けにしたカブで挟み込み、米糀に漬け込んで発酵させたもの。
