塩風土記

塩風土記

■東京都と塩■

近世において国内最大の消費地であった東京都だが、海岸線が短いため塩の生産はほとんど行われていなかった。徳川幕府は江戸湾近郊での塩の生産を奨励し自給自足を目指していたが、それだけでは不足であったため、下り塩として十州塩(瀬戸内海沿岸)が移入されていた。


【人物】

佐藤信淵(さとうのぶひろ)
幕末の絶対主義的思想家。幕末の米・塩の自給体制を整えるため、江戸湾を干拓し塩田、水田を作るという計画を立てた。
(広山堯道『塩業時報第18巻』)


【行事】

火渡り祭(八王子市)
高尾山薬王院有喜寺で毎年3月第2日曜日に行われている行事。
柴燈護摩(さいとうごま)を焚いた後の残り火の上を渡ることでさまざまな功徳を受ける。火渡りを行うものは清められた塩を踏んで出発し、渡火の終わりにはまた塩を踏む。最初に火渡りをおこなう先達は三方に乗せた塩を撒きながら渡火を行う。この塩には、製塩の四つの行程が、四徳に通じるものであり、塩を踏むことで四徳の宝を献じ、同時に四徳の心を奮い立たせ新たにし火渡りを行うという意味があるという。

四徳と塩
1.海水をくみ上げる(発心)、2.天日で干す(修行)、3.製品になる(菩提)、4.人の為になる(ねはん)に相通じるという。
(高尾山薬王院有喜寺信徒課)


【名所・史跡】

小名木川(おなぎがわ:江東区)
旧中川と隅田川を結ぶ運河。徳川家康が、行徳の塩を江戸城に運ぶため開削した。

東京都内の塩地蔵
東京都内には各地に塩地蔵と呼ばれる地蔵尊が存在する。これらの造立時期、由来などははっきりしないものが多いが、古来より塩は清めとして用いられており、これを供える、あるいは供えられている塩を持ち帰るなどして、人々は健康祈願、商売繁盛などのご利益を求めていたと考えられる。

塩船観音寺(青梅市)
八百比丘尼という尼僧がこの地に立ち寄った際に千手観音を安置したのが始まりと伝えられている寺。「塩船」とはこの谷間の水田の西が細長く東に広いさまを、法華経に説く千手観音の広大な慈悲によって、人々を苦海から救って彼岸へ渡す“弘誓(ぐぜい)の船”にたとえてつけられたと言われている。
(古橋才次郎(編)『塩元売会報』)


【名産品】

べったら漬
大根を砂糖と塩を混ぜた甘酒で漬けた浅漬け。

くさや
ムロアジやトビウオなどをくさや汁と呼ばれる魚を繰り返し長年漬け込んで熟成させた塩水に漬けてつくった干物。


【その他】

塩年貢(伊豆諸島)
稲作に適した土地が少ないため、江戸幕府は年貢を塩で納めることを求めた。
(児玉幸多、杉山博『東京都の歴史』)


【学びの場】

たばこと塩の博物館(渋谷区)
塩の性質、生活との関わり、日本の塩づくりの歴史や世界の塩などを展示している。