塩風土記
塩風土記
■福島県と塩■
福島県は古くから製塩が盛んな地方であり、沿岸部では製塩土器などが出土している。近世においては、1600年代に赤穂(兵庫県)や行徳(千葉県)より入浜製塩を学び、製塩が発展していった。塩の生産高は藩内の需要をほぼ満たしていたといわれるが、瀬戸内海沿岸から安価な塩が移入されることもあった。磐城の浜で生産された地塩と平潟港・九面港に荷上げされた十州塩(瀬戸内海沿岸)は、海産物と共に内陸部へと運ばれ、その道は「塩の道」と呼ばれていた。
内陸部では数箇所で塩泉を利用した製塩が行われていた記録があり、「浦遠きこの山里にいつよりかたえず今まで塩やみちのく」という西行法師の歌が残されている。
(富岡儀八『日本の塩道』)
【名所・史跡】
大塩裏磐梯温泉(おおしおうらばんだいおんせん:北塩原村)
塩分を多く含んだナトリウム塩化物温泉。昔から製塩に利用されていた。
【名産品】
ハヤ寿司
ハヤ(ウグイ)を一晩塩漬けにし、桶にハヤ、飯、山椒と重ねて漬け込むナレズシの一種。初夏に漬け込み冬に食べる、長期に渡る熟成が特徴。
【地名】
塩沢(しおざわ:只見町)
弘法大師が塩がなくて困っている村民を見て、錫杖をつき塩の井戸をつくったという伝説を持つ。
【その他】
相馬塩(そうまえん)
海岸沿いに領地をもつ相馬藩(相馬市)では、古代より製塩がおこなわれていたが、1600年代に関東地方の製塩先進地であった行徳(千葉県)から入浜式塩田技法が伝えられて以降、飛躍的に塩産業が発展していった。
「相馬藩御経済略記」によると1817年(文化14年)から1835年(天保6年)にかけての、年間の平均産出量は年間約三万俵(約1800トン)。『相馬塩』として主に内陸部に移出されていたという。藩の直営塩田こそなかったが、藩領内で作られた塩はすべて藩が統制し、自由販売は禁止されていた。また藩政として「塩方」、「塩場奉行」、「塩目付」といった役人をおき、忍塩(密売塩)の取り締まり、藩内の塩生産や販売取扱約を命じるなどさまざまな塩政策を行っており、藩の産業として、製塩事業の保護を行っていた。(村川友彦『人づくり風土記・福島』、『福島県の塩業史1』)
【学びの場】
山塩資料館(只見町)
塩沢地区で明治頃まで行われていた塩泉製塩の資料が展示されている。河井継之助記念館に併設。

