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塩風土記

日本全国の塩にまつわる歴史・民俗的な話題をご紹介。

中国

鳥取県

鳥取県と塩

日本海に面し、中国山地の自然に恵まれた鳥取では古墳時代後期~奈良時代にかけての遺跡から、製塩土器等が出土している。江戸時代には、鳥取藩として当時は淋乾法と呼ばれていた最新技術である枝条架法による製塩が試験的に行われた記録がある。
山陰で最大の温泉地「皆生温泉」は塩化物泉(含塩化土類)である。 1900年に海中から源泉が発見され、「海に湯が沸く」と唄われる塩の湯として親しまれている。

行事

潮汲市(しおくみいち:米子市)
旧暦正月二七日に山間の人々が海岸まで来て、竹筒へ一杯ずつの潮水を汲んで帰り、この潮水で家を清めカマドをきよめて荒神様をまつる風習があった。こうした人々を目当てに開かれていた農具市を潮汲市と呼んだ。(宮本常一「塩の民俗と生活」)

名所・史跡

郷原地才工下平遺跡(ごうはらじざいくしもひらいせき:鳥取市)
古墳時代後期から奈良時代にかけての遺跡。製塩土器などが出土している。
(財団法人 鳥取市文化財団)
皆生温泉(かいけおんせん:米子市)
ナトリウム・カルシウム塩化物泉。山陰で最大の温泉地。

名産品

とうふちくわ
鳥取県の東部地方のみで作られている、もめん豆腐と白身魚のすり身に塩を加えて混ぜ、細い竹につけて蒸した料理。江戸時代からの伝統があるという。
砂丘らっきょう漬
鳥取県特産の砂丘らっきょうを酢や塩等の調味料とあわせてつけこんだもの。
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島根県

島根県と塩

日本海に面した島根県には、塩の付く地名や姓が多く、遺跡から製塩土器等が出土している。江戸時代、古浦(松江市)では製塩業が行われていたが、その運上(税金)の取立てに苦しみ、減税を訴える古文書等も残っている。
淡水と海水が混ざりあい特有な生態系を持つ汽水湖として、宍道湖や中海などが知られている。

名所・史跡

塩井(しおのい:出雲市)
須佐神社境内に湧き出す井戸。塩分を含んでおり、昔から浴用すれば万病に効き、産湯に少し用いれば健康に育つという言い伝えがある。
伊屋谷遺跡(いやたにいせき:松江市)
古墳時代後期(7世紀)の製塩土器が出土している。
(島根大学地域貢献推進協議会・遺跡データベース分科会)
塩ケ平温泉(しおがひらおんせん:雲南市)
ナトリウム-塩化物・炭酸水素塩泉(低張性中性冷鉱泉)
石見銀山(いわみぎんざん:大田市)
2007年(平成19年)に世界遺産に指定された。石見銀山での銀精錬の効率化の為、塩を使用していたという説がある。

名産品

香茸の塩漬(こうたけのしおづけ)
香茸という、黒くひろがった形で香りの強い茸を、風味を逃さないよう塩漬けにしたもの。

塩の道

芸石道(げいせきどう)
安芸(広島県)から石見へと続く山陰と山陽を結ぶ道。石見銀山からは安芸に向かい銀が運ばれ、安芸からは石見方面に向かって瀬戸内沿岸の塩が運ばれていた。塩の道であり銀の道でもある。
(富岡儀八『塩の道を探る』)

その他

塩祓い(しおばらい)
石見神楽の演目のひとつ。四方祓いとも言われ「四方の神々よ、ここにお集まり下さい」という意味で、舞座を清める儀式。
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岡山県

岡山県と塩

瀬戸内海に面し、「晴れの国」(降水量1mm未満の日数が全国第1位)である岡山県は、その名の通り雨が少なく、温暖で製塩に向く気候と地形を持つ県である。製塩は弥生時代中期頃に始まり盛んに行われていた。瀬戸内で最古の製塩土器も出土している。
1800年代には塩田王と呼ばれた野﨑武左衛門により、大規模な塩田事業が起こり、瀬戸内海沿岸地域の十州塩に名を連ねた。

十州塩(じっしゅうえん)
瀬戸内海沿岸地域の入浜式塩田で作られていた塩の総称。主な生産地が十州地方にあったため、この名がついた。 江戸初期から中期にかけて、瀬戸内海沿岸地方では入浜式製塩法が発展していった。入浜式製塩法による生産性の向上と、内海航路を利用した海上運送によって、安価で良質な塩を多量に提供することができたため、十州塩は、生産・流通の両面から他地域の製塩を凌駕し、国内製塩市場のほとんどを占めることとなった。 実際に『十州塩』の名称が使われるようになったのは1875年(明治8年)頃からであったといわれている。
十州地方(じっしゅうちほう)
長門(山口県)、周防(山口県)、安芸(広島県)、備後(岡山県)、備中(岡山県)、備前(岡山県)、播磨(兵庫県)、阿波(徳島県)、讃岐(香川県)、伊予(愛媛県)。

(日本たばこ産業株式会社高松塩業センター『香川の塩業の歩み』)

人物

野﨑武左衛門(のざきぶざえもん)
江戸後期、児島湾一帯に大規模な塩田を築き、塩田王と呼ばれる。
本姓は昆陽野。足袋製造販売で資金を蓄え、1827年(文政10年)に味野・赤崎の海岸などを開墾し塩田経営を行った。塩田王と称せられ、その事業は現在のナイカイ塩業株式会社に引き継がれている。居宅は現在、野﨑家旧宅として一般公開されている。
(多和和彦『児島の歴史』)
春藤武平(しゅんどうぶへい)
天日塩製法を研究し、明治末期に台湾の天日製塩からヒントをえて枝条架式流下塩田を開発した。枝条架式流下塩田の導入により、いままでの入浜式塩田と比べ、生産量は約3倍に増加し、労力は1/10程度にまで削減されたという。
(多和和彦『児島の歴史』)

名所・史跡

師楽式製塩土器(しらくしきせいえんどき)
弥生時代から平安時代にかけてのものとみられる製塩土器。主に瀬戸内海の沿岸部を中心に分布している。岡山県南東部、牛窓町師楽にちなむ命名。
(近藤義郎『歴史研究第223号』)
味野専売局山田出張所(玉野市)
約100年前に建築された旧大蔵省の味野専売局山田出張所とその文書庫。塩専売時代の庁舎と文書庫がそろって現存する例は珍しい。現在は、市が所有する施設となっているが、老朽化が激しく有志による保存運動が行われている。
(玉野市 商工観光課)

名産品

ままかり漬け
ままかりという小魚を塩でしめた後、酢漬けにしたもの。ご飯(まま)をかりてくるほど美味しいということからこの名がついた。これを酢飯にのせたままかり寿司も有名。

学びの場

野﨑家塩業歴史館(倉敷市)
江戸時代に塩田を開発し、現在も塩をつくり続けている野﨑家の旧宅。3000坪の敷地すべてが岡山県の史跡に指定されている。
敷地内にある蔵のひとつが塩業資料の展示館になっており、塩づくりについても学べるほか、近世後期の建築技術の粋を集めた建物もみどころ。予約をすれば、塩つくり体験も可能。
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広島県

広島県と塩

広島県では江戸時代、塩分が強く耕作に向かない干拓地であった竹原地区の土壌を利用した製塩業が始まり、播州赤穂から導入した入浜式の製塩技術をもとに発展していった。十州塩の生産地のひとつである。それらの塩は、「竹原塩」と呼ばれ日本中に出荷されるほどの成功を収め、町の繁栄とともに町人文化が栄えた。竹原市歴史民俗資料館では実際に使用されていた製塩用具や資料を見学することができる。

十州塩(じっしゅうえん)
瀬戸内海沿岸地域の入浜式塩田で作られていた塩の総称。主な生産地が十州地方にあったため、この名がついた。 江戸初期から中期にかけて、瀬戸内海沿岸地方では入浜式製塩法が発展していった。入浜式製塩法による生産性の向上と、内海航路を利用した海上運送によって、安価で良質な塩を多量に提供することができたため、十州塩は、生産・流通の両面から他地域の製塩を凌駕し、国内製塩市場のほとんどを占めることとなった。 実際に『十州塩』の名称が使われるようになったのは1875年(明治8年)頃からであったといわれている。
十州地方(じっしゅうちほう)
長門(山口県)、周防(山口県)、安芸(広島県)、備後(岡山県)、備中(岡山県)、備前(岡山県)、播磨(兵庫県)、阿波(徳島県)、讃岐(香川県)、伊予(愛媛県)。

(日本たばこ産業株式会社高松塩業センター『香川の塩業の歩み』)

人物

鈴木四郎右衛門(すずきしろうえもん)
賀茂郡代官として竹原の干拓地を開いたが、耕作地に向かないと判明した後は赤穂より製塩技術者を招き入れ、広島地方初の入浜塩田を作り、竹原塩の隆盛を招いた。
(西村嘉助他編『竹原市史』)
本荘 重政(ほんじょうしげまさ)
松永塩田の開祖。赤穂で製塩技術を学び、1658年(万治元年)に開拓した48の塩浜に松永の名をつけ、松永発展の基礎を築いた。松永の父とも呼ばれており、松永駅前には銅像が建立され、晩年の住居跡には本荘神社が建立されている。(大日本塩業全書)

本荘神社(福山市)

名所・史跡

かまがり古代製塩遺跡復元展示館(呉市)
古代土器製塩遺跡を発掘したままの状態で見学できるように復元し、ドームで被った展示館。
森川邸(竹原市)
塩田の浜主であった森川家の邸宅。大正初期に塩田脇に建てられた。現在は竹原市の重要文化財に指定されており、母屋内には、製塩道具、入浜式塩田の作業パネル等が展示されている。

名産品

鯛の浜焼き
300年程前から製塩の場で始まった調理法。塩釜から出したばかりの熱い塩に鯛を埋め込み蒸し焼きにして保存性、風味を高めた。藩主に献上されるほどの珍重品であった。
広島菜漬
広島地方特有の広島菜というアブラナ科の野菜を、塩漬けにしたもの。野沢菜漬、高菜漬と並んで三大菜漬とも言われている。

学びの場

竹原市歴史民俗資料館(竹原市)
1650年(慶安3年)に赤穂の入浜式製塩の技術を移入してからの310年間、塩の町として知られていた竹原で実際に使われていた製塩用具や、他の民具類の他、漁業、農業、酒造りといった産業関係資料も展示している。館内に展示されている資料のほとんどは、竹原郷土文化研究会を中心とする市民からの寄贈によるもの。
瀬戸田歴史民俗資料館(尾道市)
江戸末期の豪商「三原屋」堀内調右衛門氏が建てた土蔵を利用した資料館。
一階は考古資料、二階には民俗的資料として、製塩資料、衣食住資料、民俗芸能資料などが並ぶ。

その他

のこぎり商い
のこぎり商いとはのこぎりの刃を押し引きするように往復で互いに商いを行うさまをいう。
竹原ののこぎり商いは、塩と米。北前船は運んできた米を竹原塩田作業者への食糧として販売し、帰りの荷には塩を仕入れていた。松永では、塩と木材。塩を運んだ船の、帰りに木材等を仕入れて安価な下駄を作るようになったという。松永はいまも下駄の名産地である。(落合功『瀬戸の海に輝いた塩の町たけはら』、『ひろしま文化大百科HP』)
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山口県

山口県と塩

本州最西端に位置する山口県は、古くは大陸文化の窓口として栄え、さまざまな遺跡が残されている。古墳時代から奈良時代にかけての製塩遺跡からは、美濃ヶ浜式土器と呼ばれる特徴的な製塩土器が出土している。近代にかけては、長門、周防において入浜式製塩が発展し、『十州塩』の生産地のひとつとなった。十州塩業組合を組織した秋良貞臣や、昭和年間に塩価の維持を実現させた田中藤六などの活躍が目覚しい。

十州塩(じっしゅうえん)
瀬戸内海沿岸地域の入浜式塩田で作られていた塩の総称。主な生産地が十州地方にあったため、この名がついた。 江戸初期から中期にかけて、瀬戸内海沿岸地方では入浜式製塩法が発展していった。入浜式製塩法による生産性の向上と、内海航路を利用した海上運送によって、安価で良質な塩を多量に提供することができたため、十州塩は、生産・流通の両面から他地域の製塩を凌駕し、国内製塩市場のほとんどを占めることとなった。 実際に『十州塩』の名称が使われるようになったのは1875年(明治8年)頃からであったといわれている。
十州地方(じっしゅうちほう)
長門(山口県)、周防(山口県)、安芸(広島県)、備後(岡山県)、備中(岡山県)、備前(岡山県)、播磨(兵庫県)、阿波(徳島県)、讃岐(香川県)、伊予(愛媛県)。

(日本たばこ産業株式会社高松塩業センター『香川の塩業の歩み』)

人物

秋良貞臣(あきらさだおみ)
明治時代、防府を中心に十州塩業組合を組織した。このころから製塩業者は塩業組合や株式会社を組織するようになった。
(塩業遺跡保存会編『煮海私記』)
田中藤六(たなかとうろく)
明和年間に、三八替持法(さんぱちかえもちほう)を提案。3月から8月の間だけ塩をつくり、冬季の期間だけ生産を休むと言う生産調整で生産制限策を普及させ、塩価の維持を実現した。
(児島洋一『近代塩田の成立』)

行事

塩田まつり(防府市)
入浜式塩田の諸施設を復元した三田尻塩田記念産業公園で年に一度開催されている。当日は公園を無料開放し、塩の釜たき実演や塩づくり体験など、塩づくりについての理解を深めることができるイベントを行う。

名所・史跡

波雁ヶ浜遺跡(はかりがはまいせき:宇部市)
古墳時代から奈良時代にかけて営まれた製塩遺跡。短い棒状の脚部の上に碗形の容器がつくワイングラスのような形をした美濃ヶ浜式土器と呼ばれる製塩土器が多量に出土している。
(日本塩業大系編集委員会『日本塩業大系史料編 考古』)
熊谷氏庭園(萩市)
問屋と金融、仲買、製塩を業とし、萩藩御用達として栄えた豪商熊谷家の庭園。樹齢600年のソテツなどが見られる。1768年(昭和5年)に新築したといわれる住居部分は美術館として一般に公開されている。
三田尻浜大会所跡(みたじりはまおおかいしょあと:防府市)
近世における塩業の発展に伴い、塩業にかかわるものは製塩者以外にも多数に及んだ。これらの浜人・浜子・商人・職人・船乗りなどを統括する機関として、各塩浜ごとに塩田会所が設けられていた。
塩田会所には浜主から選ばれた浜掛り役人が勤め、石炭改めや塩廻し、日雇い頭などの役職があり塩業全般における事柄を処理していた。
防長浜を代表する三田尻浜には1771年(明和8年)に三田尻浜大会所が設けられ、特別に大年寄役座がおかれた。大年寄は休浜方規定の取り締まりや、塩田の営業上の取り決め、塩の販売統制など、営業停止処分や罰金刑を課すほどの権限を持って塩業全般を統括していた。初代の大年寄役座は三八替持法を案出した田中藤六である。(防府市史通史Ⅱ近世、防府市教育委員会)

名産品

寒漬(かんづけ)
冬に収穫したダイコンを塩漬けにして、2週間から1ヶ月の間寒風に晒して、叩いて伸ばし、醤油ベースの漬汁に漬け込んで発酵させた漬物。

その他

釜石のぐろ
不要になった石釜の石が捨てられて堆積したところを「ぐろ(畔)」という。その場所で塩が焼かれていたことを示す遺構である。石釜とは土器から発達した形で、釜の底に石をしいてそのすきまを漆喰で固めたもので、鉄釜などとくらべると耐久度は低く、石釜に使う石は消耗品であった。
(防府市史通史Ⅱ近世)

学びの場

三田尻塩田記念産業公園(防府市)
江戸時代中期から昭和30年代まで約260年間にわたって、全国有数の塩の産地として栄えた防府の塩田跡地の一角にある公園。入浜式塩田の諸施設を復元し、製塩道具等の展示や塩づくりの様子を紹介している。予約をすれば、塩作り体験が可能。年に一度塩田まつりも行われている。
周防大島ふるさと学習館(周防大島町)
廃校となった高校の施設を活用して開設されている。西部大島の先人が残した4つの遺産である「大島大橋」、「小松塩田」、「屋代ダム」、「大島商船高等専門学校」について、パネルと映像でわかりやすく展示している。
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