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リングア・フランカへの旅――〈自由な舌〉を求めて


   食べることと話すことは、舌という器官を媒介として直接結びついています。そして、食の舌と言語の舌は、時に反発し時に癒着しながら、人類の感覚と思惟を巡る歴史を生み出してきました。この歴史の消息を読みとく旅――人類学者の今福龍太氏による連載です。


今福龍太氏写真

第12回 多孔質の舌とともに

今福龍太
いまふく・りゅうた − 1955年東京生まれ。東京外国語大学大学院教授。文化批評家、人類学者。
東京大学法学部卒業後、テキサス大学大学院博士課程を経て、メキシコ国立自治大学・中部大学・慶応大学SFC・カリフォルニア大学サンタクルーズ校・札幌大学などで教鞭をとり、2005年4月から現職。サンパウロ・カトリック大学コミュニケーション・記号学部客員教授を兼任。同時に、キャンパスの外に新たな遊動的な学びの場の創造を求め、2002年より巡礼型の野外学舎である「奄美自由大学」を主宰。著書に『クレオール主義』『移り住む魂たち』『移動溶液』『ここではない場所―イマージュの回廊へ』他多数。



   ある種のことばが、自分の舌を震わせ口から発せられたときに身体全体が感じとる理由なき快感を、私はなによりも大切にしてきた。ことばが音として発声されるとき、そこに貢献しているものは、呼吸であり、息であり、喉の震えであり、口蓋と舌の複雑な運動であり、口唇のきびきびした動きであり、最後に音が波動として空気を伝わってゆくときの鋭く幽かな揺らめきである。身体的な要素が多様に重層しあいながら音として生まれ出ることばの、その深く豊かな消息を感じながら、特別にある種のことばが私の五感をとりわけ快く刺戟するのはなぜなのだろうか。
   そんな私にとっての特別なことばは、地名であることがしばしばだった。まだ少年の頃、書物の中で「ハ・ヤ・チ・ネ」という四音節の美しい山の名に巡り遭ったとき、そのまどかな山容の視覚的な姿でもなく、その修験道にかかわる豊かな歴史でもなく、その名の音の心地よさに私はまず打たれた。それ以後、いったい何度この柔らかく心地よい音を自分の舌で反芻したことだろう。もちろん早池峰にはその後登頂もした。山麓の早池峰神社の壮麗な山伏神楽の大祭には毎夏のように通った。早池峰を下って遠野郷を彷徨する日々もあった。だがそうした出来事ののちにも、「ハ・ヤ・チ・ネ」という音をはじめて発声したときの快楽と充実を凌ぐ経験はなかったような気もする。未知の土地は、私たちのまえにまず「音」として出現し、私たちはその土地を自らの耳と舌によって最初に体験するのだ。その耳と舌の原初的記憶が、現実の土地に踏み込んだ私たちの意識と感覚をつねにおおもとで支え、鼓舞する……。
   「リオ・ジ・ジャネイロ」Rio de Janeiro という地名も、私にとってはそうした至高の快感をいまだに誘発する特権的な音だ。ブラジルのポルトガル語の常として、「リオ」(Rio=「河」)のR音は喉を微かに震わせるため、仮名書きすれば「ヒオ」の音に近い。この「ヒオ・ジ・ジャネイロ」の音がいくたびもくり返される名曲が、アントニオ・カルロス・ジョビンの「ジェット機のサンバ」Samba do avião である。静かで透明なボサノヴァよりは快活な曲調ではあるが、これもまた新たなボサ(bossa=傾向)を音楽の運動に呼び込む独創的な一曲であった。この曲では、全体に渡って「ヒオ」の地名がくり返される。いかにも深い慈しみを込めて。途中で「ヒオ・ジ・ジャネイロ、ヒオ・ジ・ジャネイロ……ヒオ・ジ・ジャネイロ、ヒオ・ジ・ジャネイロ……」と連呼する場面は、いかなる言葉を積み重ねても語りえない土地と風土と人間への愛が、ただ地名を舌で愛撫する運動としてのみ表明されていて何とも素晴らしい。この曲は、これからガレオン空港に着陸する飛行機の窓からリオの岩山と入江の壮観な眺めを見下ろしながら、昂ぶる心を抑えきれない、その気持ちの華やぎを歌っているが、すべての高揚と美は「ヒオ・ジ・ジャネイロ」という音の蠱惑に依存しているといっても過言ではない。トム・ジョビンとバンダ・ノーヴァによる日比谷野音での快活なライブ映像と、ジョアン・ジルベルトの陶酔的な独演とを、YouTubeでそれぞれ聴き比べて欲しい。

   こうして地名は、私たちに未知の音を恩寵のように与えてくれる。私たちの舌の運動が知らなかった、私たちの息が未体験の領域を、天啓のようにそっと指し示してくれる。新しい土地に触れるということは、畢竟、舌によるそうした未知の音の探索のことである。そして同じ意味において、詩の言葉もまた、私たちの身体に、未知の通路を開くよう要請する。だとすれば、地名とは詩の原型でもあることになる。
   オクタビオ・パスは、詩論集『弓と竪琴』(牛島信明訳、ちくま学芸文庫)に収められた「詩と呼吸」という文章で、呼吸と詩のことばとの決定的な親縁関係を次のように書いていた。


   私は呼吸と詩の間に、疑問の余地のない関係が存在していることを否定しない──あらゆる精神的事象はまた肉体的なものである。(……)詩的快感は、唇や舌、そしてその他の口や喉の筋肉が関わりあう一種の体操に還元される。(……)詩がわれわれに快感をもたらすのは、それが筋肉の快い運動を促し、惹起するからである。


   たとえ文字で書かれていたとしても、詩の本質が、それが生まれ出たときの呼吸と舌の運動がもたらす身体的快楽にあったことを、パスのこの文章は簡潔に語っている。そしてパスは、インド大使時代に書いた彼の最高の詩集『東斜面』Ladera este(1969)の冒頭で、「デリー」という地名を、そうした詩と呼吸の関係を集約するものとして讚える。スペイン語原文、エリオット・ワインバーガーによる英訳、そして拙訳によって、その断片を掲げてみよう。


Delhi
      Dos sílabas altas
rodeadas de arena e insomnio
En voz baja las digo
("El Balcón")

Delhi
      Two tall syllables
surrounded by insomnia and sand
I say them in a low voice
("The Balcony")

デリー
      砂と不眠症に包囲された
二つの長身の音節
わたしは低い声でそれらを発音してみる
(「バルコニー」)


   De-lhi、デ・リー。この、パスがいう「長身の二音節」の音を静かに何度も声に出してみよう。そのときの、呼吸と、口蓋の反響と、舌の繊細な動きを感じながら……。世界地図のなかに抽象的な点として配置されてしまっていた土地が、そうした詩的な手続きを経て、身体的な快楽として蘇ってくる。いつからか、世界中の地名を、こうした原初的な音の快楽に突き返す試みは、私にとって特別に刺激的な作業となっていった。

   たとえば「メキシコ=メヒコ」Méxicoを「メ・シ・コ」の三音節に戻してやる。すると、どのような歴史が聴こえてくるだろうか。そもそもメキシコの中央高原の先住民アステカ族は自らを「メシカ」の民と呼んでいた。16世紀初頭の征服者コルテスは、ここからMéxico(メシコ)なる地名をこの土地に与えた。当時のスペイン語はいまだ中世の音を残しており、「メシカ」の /sh/ の音はアルファベットの "x" によって代替表記されたのである。だがまもなくスペイン語における /sh/ の音が消え、綴り字の "x" はハ行の音で発音されるようになり、そのためにメシコはメヒコと読まれるようになった。だが、現在北米に住むメキシコ系の移民たちの自称でもある「チカーノ」(ないし「シカーノ」)Chicano は、アステカの「メシカーノ」に由来するが、この自称は、アステカ族の言葉(ナワトル語)の /sh/ 音を、少なくとも「メヒコ」「メヒカーノ」というスペイン語の現代用法よりもはるかに正しく温存している。不思議なことに、メキシコ人の現代的離散と流浪の現象として捉えられている混血児を指す「チカーノ」の名称のほうが、かえって古代アステカの言葉と音により深く結びついているのであり、自覚的なチカーノの作家・詩人たちは、このことを彼らにとって特別な文化的紐帯であると意識しているのである。「メ・シ・コ」。この音が、彼らに、歴史の源泉を開示し、現代の流亡における精神的な拠り所を提供したのである。
   あるいはまた、「ニホン」を「ニ・フォン」という神秘的な二音節に突き返してみるとどうだろうか。これもまた、より古い土地の名を宿した音である。17世紀初めにポルトガル人宣教師によって編纂された『日葡辞書』は、よく知られているように、「日本」にたいして「ニフォン」「ニッポン」「ジッポン」の三通りの読みを与えているが、これがまさに安土桃山時代当時の用法として人々により使われていた音だった。だが「フォ」の音は、ちょうどスペイン語の/sh/音と同じように日本語の音韻体系からまもなく脱落し、「ニホン」という平板な音が支配的となる。しかしたとえば、19世紀半ばにかかれたメルヴィルの『白鯨』は、この古い「フォ」の音を正確に聴き取って記録している。第109章、船長エイハブの片足をもぎ取った純白のマッコウクジラ、モビー・ディックが棲息するはずの「日本海域」に近づいたピークォッド号の船長室での描写の場面はこうだ(この長大な予言的世界文学の原テクストはThe Literature Pageですべて読むことができる)。


   ピークォッド号は南西の方向から台湾(フォモーサ)およびバシー海峡のはざまに接近しつつあった。そこはシナ海から太平洋の熱帯地帯への出入口のひとつになっていた。スターバックが船長室にはいっていくと、エイハブは東洋の諸群島をひとつにまとめた海図と、長い日本列島──ニフォン、マツマイ、シコーク、の東海岸をしめす部分図を眼前にひろげていた。(八木敏雄訳『白鯨(下)』岩波文庫による。一部改変)


   ここでニフォン Niphon 、マツマイ Matsmai 、シコーク Sikoke 、とそれぞれ表記されている地名の背後に、メルヴィルの伝聞による錯誤を見てとるよりはむしろはるかに、土地の名が海を伝達するときの正確な音の交通の方を感じとるべきだろう。この場合のニフォンは本州を、マツマイは北海道を、シコークは四国をそれぞれ意味するわけだが、『白鯨』におけるメルヴィルは日本全体をさすときには Japan なる語彙を一貫して使用している。いうまでもなくこの Japan という西欧語は、先に触れた『日葡辞書』も明記していた「日本」の古い読みの一つ「ジッポン」が、黄金郷としての伝説の島名「ジパング」を経て「ジャパン」へとヨーロッパ圏で変化定着したものだった。ここで出逢ういくつもの音、すなわち「ニフォン」「ジッポン」「ジパング」「ジャパン」「ニホン」は、それぞれの流転の歴史を抱えながら、土地が音として舌と耳を媒介に経験されていたという本質的な事実を、もう一度思い起こさせてくれる。「二フォン」と口に出してみることは、そうした私たちの身体の歴史を「舌」を通じてふたたび浮上させる、きわめて刺戟的な行為であることになる。

   現代チカーノの詩人ホセ・アントニオ・ブルシアーガは、まさに自分の舌の歴史を、そうした複雑な音を宿した言語の混合・融合の歴史として捉えている。ブルシアーガの、おそらくこれまでに詩として成立したもののなかではもっとも壮絶な多言語詩であると思われる作品「三言語とカロによる詩」Poema en tres idiomas y caló の冒頭部分を最後に引いてみよう。


Españotli titlan Englishic,
titlan nahuatl titlan Caló
¡Qué locotl!
Mi mente spirals al mixtli,
buti suave I feel cuatro lenguas in mi boca.
Coltic sueños temostli
Y siento una xóchitl brotar
from four diferentes vidas.

英語のはざまのスペイン語
そのはざまのナワトル語、さらにはざまのカロ
なんともクレージー!
俺の意識は雲にむかって渦を巻く
口のなかでなめらかに動く四つの舌を俺は感じる
捩れた夢が病み
四つの異なった人生から
花のつぼみが膨らみだす。
(Jose Antonio Burciaga. Undocumented Love. Chusma House, 1992)



   いうまでもなく、この詩にはスペイン語、英語、ナワトル語、そして北米チカーノたちの日常のジャーゴンであるカロ(スパングリッシュ)の語彙が激烈に混ぜ合わされ、錯綜した揺れと紛争とをくり返している。とりわけナワトル語への執着は激しく、英語やスペイン語の語尾に執拗にナワトル語の接尾辞 "tl" や "tli" を直接貼り付けてゆくやり方に、「チカーノ」としてのブルシアーガの音の変転をめぐる自己意識が強烈に現われている。この、無数の小さな穴をあけ、スポンジのようにあらゆる液体を吸い込み、膨らんでは萎む多孔質の舌──。
   言語混淆の果てで、詩人はいま、ひとつの壮絶な、自らの「リングア・フランカ」を編み出しはじめているといえるのかも知れない。商業的交易の必要性から生まれたはずのリングア・フランカは、いままさに個人の文化的表現のもっとも本質的で過酷な現場に浮上しはじめる、魂の言葉となりかけている。固有言語からみれば四言語の混乱した言説に過ぎない、この「自由な舌」の初発の運動。
   私たちは、この壮絶な生身の生の実験に込められたみずみずしい呼吸、息、舌の運動をけっして聞きのがすまい。なぜなら、私たちの閉息しかけた言語意識が更新されるのは、まさに動きはじめたこの「自由の舌」に私たち自身の舌を接続させるかどうかにかかっているからである。そして、多孔質の、この舌=言語の新たなる流転を見定めたとき、私たちが味わう自らのタン料理も、まったく未知の味覚を示しはじめることはまちがいない。その味は、無数の神秘的な土地の音をも響かせる──ハ・ヤ・チ・ネ、ヒオ・ジ・ジャネイロ、メ・シ・コ、ニ・フォン、そしてミシュトリ(雲)、ショチトル(花)……。

<了>



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