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Director's Notes

情報について

2007年2月号 No.52

   テレビやインターネット等の普及により、情報があふれている昨今、その取り扱いについては一層の慎重さが必要になってきているように思う。それは、発信する側にも受け手にも言えることである。

   最近、某テレビ番組のデータ捏造事件があった。この手の事件は、あとを絶たない気がする。情報は山ほどあるが、視聴者が心惹かれるような新規性のある確かな情報を探すのは難しい。定期的に情報を発信するとなると、そのノルマが重くのしかかってくるようになる。私もたまに期限を間近にして頭が真っ白になったりする。一山超えるごとに、次回はもっと早くとりかかれるようにアンテナを張り巡らせようと心に誓うのだが、日々の生活に流されてしまうことも多い。外へ出て行動的に動いている時は、ある一つのことをきっかけに連鎖的に様々なことが思い浮かぶのだが、机に向かって日常業務をこなしているだけでは、なかなかピンとくる言葉や出来事というのをキャッチできない。

   インターネットは、キーワード1つで大量の情報を得ることが出来る。ただ、その裏を取ることは大変難しい。不特定多数の人が、自由に意見を述べられる一方、発信元が不明で、そこに書かれている記事が、真実なのか嘘なのか、客観的なのか主観的なのか、善意なのか悪意なのかを読み取ることが難しいことが多い。発言に責任を負っていないのだ。だから、言いたい放題。酷い場合は誹謗中傷にまで発展している。

   最近、新聞で理科の授業が苦手な小学校教員が60%以上いるという記事を目にした。こういう問題は、以前からあったのだろうか、インターネットでご自分の理科の授業の手順書を公開されている先生方がいる。理科の授業が苦手な教員や、授業に一工夫をしたいと思う教員にとって、こういう情報はありがたいに違いない。ただ稀に大変主観的な授業をして、生徒に偏った、或いは誤った知識を自信たっぷりに教えておられる事が読み取れるような手順書もある。そういうページを見ると、教師という仕事の影響力の大きさを再認識して、客観的知識を伝える場では、多角的に情報を捉えた上で責任を持って発信して欲しいと切に思う。

   自分の仕事や興味のある事柄については、その記事の信憑性がある程度わかるが、門外漢となると鵜呑みになってしまう部分も否めない。自分が受け手となるときは、情報を一歩引いて受け止めるよう努め続けたいと思う。また、私自身も情報を発信する者として、その重さを忘れないようにしたい。


Webマガジンen編集部



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