女性を中心に、さまざまな悩みや問題を抱える人たちに話を聞いては、本にまとめるという作業を十数年続けているが、ここ数年で気になっていたのが「暴力をふるう女性」である。
たとえば都内に住む20代の会社員、A子さんは、恋人と喧嘩をするたびに、殴る蹴るの暴力をふるっているという。彼女自身は小柄だが、恋人は体格のいいスポーツマンだ。
「本気でやり返されたら、もちろんかないません。彼にはサッとかわす運動神経もある。だから安心して、本気で殴りかかっていけるんです」
北陸地方に住む30代の主婦、B子さんは夫を4、5回殴ったことがあるそうだ。
「うちから歩いて20分ほどの場所に、夫の両親が住んでいるんです。姑は、うちの庭に勝手に入って洗濯物を干し直したり、まだ子供ができないのかと親戚の前で言ったりする、気が強い人。夫に不満をもらしても、彼はろくに聞かずに逃げてしまうんです。本当に逃げるんですよ。食事の途中でも、車でどこかへ出かけちゃうんですから」
外出しようとする夫を追いかけているときに、腹立ちを抑えきれなくなり、後ろから殴りかかったり、スリッパを投げつけたりするのが、B子さんの「暴力」である。
このA子さんとB子さんは、特殊なケースに見えるかもしれない。
しかし、平成十七年の内閣府による「男女間における暴力に関する調査」では、配偶者から身体に対する暴行を受けたことが「ある」と答えた女性は二六.七%だが、男性も一三.八%いる。
ドメスティックバイオレンス(DV)に関する調査は「男性が加害者、女性が被害者」だと前提したものが多い。体面や自意識から「女性から暴力を受けている」とは、他人に対しても自分自身でも認めたくないと考える男性も存在するはずだ。夫やパートナーに暴力をふるっている女性の実数は、もっと多いのではないだろうか。
さて暴力をふるう女性と聞いて、あなたはどんなタイプを想像するだろうか。サッカーやプロレスの女子選手のような、たくましい体育会系?
答えは逆だ。A子さんとB子さんは、どちらも「女っぽくてかわいらしい」タイプで、それぞれの世代や境遇にふさわしい、流行の身なりをしている。本人の口からそう聞いても、彼女たちが暴力をふるっているとはなかなか信じられないだろう。
DV加害者の男性は「男が女を支配するのは当然」という価値観をもち、旧来の「男らしさ、女らしさ」をゆがんだ形で発揮しているケースが少なくないと言われている。
A子さんとB子さんにも、こんな意識があるようだ。
「私は女だから何をしても許される。あなたは男らしく、耐えてちょうだいね」
20代のC子さんが勤める都内のメーカーでは、女性同士の乱闘事件が起きたという。
「十数人の女性のうち、私を含め半分ほどは静観していますが、残り半分の女性は派閥を作り、対立しています。どちらも30代の女性が中心になり、ささいなことで言い争いをしていました」
やがてエスカレートして、更衣室の使い方をめぐって口論になり、暴力に発展したそうだ。
「ののしりあいながら、ロッカーのドアを蹴って威嚇したり、バッグをぶつけたり、服を引っ張ったり。私は話を聞いただけですが、かなり激しい状況だったそうです」
私はこうした当事者へのインタビューと社会的な背景のレポートを中心に、昨年『暴れる系の女たち』(講談社)という本にまとめた。
彼女たちは、男まさりで強くたくましく、粗暴だから暴力をふるうのではない。弱いから、そして繊細で女らしいからこそ、最後のあがきとして暴力をふるわずにはいられないのだ。20代のなかばに「買い物依存症」で悩み苦しんだ経験のある私にとって、彼女たちの暴力は決して他人事ではなかった。
ところで彼女たちを「暴れる系の女」と名づけたのには理由がある。私は買い物依存症の体験をベースに、恋愛、電話、家族、アルコール、ギャンブルなどに依存する女性や男性を取材しつづけ、『依存症の女たち』『依存症の男と女たち』『依存症がとまらない』(いずれも講談社文庫)をはじめとするルポルタージュを書いてきた。
私が「つい買い物をしすぎてしまう自分」に悩んでいたころは、まだ「買い物依存症」という言葉は知られていなかった。お酒や薬物には「依存症」におちいる危険があると知っていても、買い物や恋愛にも、同じような落とし穴があるとは想像もしていなかった。
だからこそ迷いは深かった。自分を責め、自己嫌悪におちいっては、また買い物をせずにいられない気持ちに追い詰められていくという、悪循環にとりこまれていた。
依存症の当事者だけではなく、精神科医やカウンセラー、脳内物質の研究者、栄養学者など専門家にも取材するうちに、まずは「自分が依存しているという事実に直面すること」、さらには「人間は買い物や恋愛、人間関係にも依存することがある」という知識を得ることが、脱出への第一歩となると実感した。
また、たとえば「アルコール依存症」というものがあるとみんな知っているから、そうならないように気をつけようと考える。予防効果もあるのだ。
暴力をふるわずにいられない状態も、依存症の一つだと私は考えている。暴力が介在する人間関係は幸福とはいえない。関係性が「被害者と加害者」になり、より複雑化する悪循環にも拍車をかける。
暴力をふるう女性たちの存在を見据えることが、暴力からの脱出と予防につながると考え、「暴れる系の女」という言葉を作ったのだ。
彼女たちに共通するのは罪悪感が薄いことである。恋人に暴力をふるっている前出のA子さんは、特に反省したことはないという。
「ただむやみに殴っているんじゃありません。喧嘩をして腹が立ったからなんです。衿野さんだって、腹が立つことはあるでしょう? 腹が立っているのを無理に抑えてニコニコしているとしたら、そのほうが不自然だと思う。私は彼が好きだからこそ、自分の気持ちに正直でいたいんです」
逃げる夫に殴りかかるB子さんも言う。
「自分の母親を私まかせにして、都合が悪くなると逃げ出す……冷静にみても、やっぱり夫はずるい。暴力はいけないとは思いますが、私が怒りを感じるのは当然ですよね」
社内の乱闘事件を報告してくれたC子さんは、ため息まじりに言った。
「派閥といっても、いつバラバラになるかわかりません。みんなの状況があまりにも細分化してしまい、何がなんだかよくわからない状態なんです」
同じフロアでデスクを並べて同じ仕事をしている同世代でも、まず「正社員/派遣社員」「既婚/未婚」で格差がある。
既婚同士でも「夫が失業中で生活がかかっている/夫の収入だけでも暮らせる」「子供あり/子供無し」「夫が家事に協力的/夫は一切家事をしない」「子供のめんどうを見てくれる実家が近くにある/子供を預けられる人が身近にいない」などで、環境は大きく変わる。
格差が広がるだけでなく、細分化が進んでいるのである。また、派遣社員や契約社員による雇用調整は景気回復の一因だが、そのしわよせは女性にふりかかりがちだ。
こうした現状を目の当たりにしていると、女性たちが「この怒りやストレスをコントロールするのは不可能だし、必要もない」と考えるのは当然だという気がしてくる。
だがしかし、彼女たちの多くは一つだけ誤解をしている。それは「コントロールすべき対象」についてである。
耐え切れない状況や危機に直面したとき、怒りやストレスを感じるのは、生物として当然の反応だ。
怒りやストレスそのものは、決して「悪者」ではない。ただ、そうした怒りやストレスを表現するのに、「暴力」という手段を選択したことが問題なのだ。
彼女たちに必要なのは、怒りやストレスをコントロールすることではなく、それらを「どう表現するか」を考えることなのである。
食事と睡眠も重要だ。依存症と食事、睡眠との関係は「幸せな女になれる眠り方」(PHP文庫)に詳述したが、心のバランスが崩れていると自覚したら、まず「栄養バランスのとれた食事と、質のいい睡眠を適度にとる」が第一歩だと私は考えている。
私自身は「マラソンと料理」でのコントロールを試みている。週に2度の皇居ランニングと年に一度のホノルルマラソンが定番だ。
腹が立つと料理をする。ギョウザの具になる野菜を刻み、ひき肉をコネコネしているうちに、気持ちが落ち着くのだ。
マラソンや料理でストレスを「発散している」だけではなく、自分の心身をコントロールするという、大切な作業を「積み重ねている」と思うと、さらに深い満足感がある。
コントロールするとは「思いのままに操る」ではない。感情を表現するためのさまざまな手段の中から「暴力をふるう、買い物のしすぎ、お酒の飲みすぎ」などを選択せずにすむよう、自らの心身をいとおしみ、大切にすることが、本物のコントロールにちがいない。
(了) |