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年始には、わが舌を無垢な好奇心と憧憬に充ちたもっとも透明な器官に還したい。無味と無言の持つ深々とした力によって、ふたたびこの中途の生を生きはじめることがかなうなら……。そう希求して、元日の朝にはまず、清冽な沢水をいただくことにする。雑食と飽食の、饒舌と多弁の垢がこびりついた日常の舌を透明な岩清水で洗い流し、無味の空白をゆっくりと味わい、多孔質のみずみずしいスポンジのような原初の舌を蘇らせるためである。
水は、常温では無色透明、無臭の液体である。にもかかわらず、その存在はあらゆる色を映して千変万化、もっとも多彩な色相をその流動する姿のなかに秘めており、無味無臭といいつつ、口に含め舌の上を転がし喉に流し入れたときには繊細な嗅覚や味覚をなによりも刺激する飲料でもある。無をもって充満を指し示す不思議な物質といわねばならない。しかも自然状態において、それはつねに走り去り、漂い流れてとどまることがない。「この」水、と名指した瞬間、それはもうすでにどこかに流れ去っていて目前の水ではなくなるので、比喩的にいえば、その存在は虹のような非在すれすれの過渡性・消失性をはらんでいる。そんな刹那の水をいただくとすれば、それはもっぱら、私たちが訪ねるひとつの空間をいま水が流れてゆく、その一瞬にかすかに現われる己の身体と水の交差する界面においてしかない。
流れ水をたどる小さな旅に出た。京都鴨川。元旦の北山には斑(ハダレ)雪が残り、晴天下の川水は雪解けの勢いを得ていつもより心持ちすばしっこく南へと陽気に走り下っていた。青空を映す鴨川を高野川縁にすこし遡り、馬橋の手前で右に折れて小さな流れに沿って坂を二十分ほども登ってゆけば一乗寺葉山の山腹である。土塀の美しい蔵がいまだ残る集落の軒先をかすめながら、初日の冴えるのどかな斜面を曼殊院、清賢院、一燈寺、圓光寺、丈山寺、北山別院・・・と見事に誰もいない静かな寺々を訪ね歩く。門前で、山からの細い流れを引いた手水の清冽な再生の力を得、その透明な水で口を濯ぐためである。日陰の手水には、大晦日の深夜か元旦の未明に張った薄氷が、いまだ結晶のような断面を煌めかせて静かに浮いている。その薄氷の下で、だが水は微かに動き、流れ、森の精を運び、あたりに分泌する。わたしの舌は、その美味の恩寵を受けようととりわけ敏感な器官と化す。
美味、という形容は水には当たらないのかも知れない。だが、少なくとも日本のような鬱蒼たる樹林をもつ山中から流れ出す清水は、しばしば私の舌に、これ以上の充足感はあり得ないと感じさせるほどの透明な味覚をもたらしてくれることがしばしばだった。たとえば信州入笠山、大阿原湿原の北斜面に広がるコメツガ林からもれでる夏の湧水を、シエラカップに並々とすくい取って一息に飲めば、「うまい」という陳腐なほど日常化した形容詞が、魔術のようにして私の舌の歓喜を受け止める至高の賛辞となる。樹木の葉が創る腐葉土と木々の根に透過された水はほんのり甘く、優美な舌触りで私を恍惚とさせる……。古語の「うまし」という音が「美し」であり「旨し」であり「甘し」でもあったことの理が、そのとき直観的に腑に落ちるのである。
あるいは奄美群島、沖永良部島屋子母集落のはずれに吹き出るホー(井川)。サトウキビ畑と小高い丘の蔭に隠れた亜熱帯の珊瑚石の半洞窟に潜む浅い流れは、穴井の暗闇に入ったとたんに驚くほど冷たい清水となり、口に含めばまろやかな石灰質の水が舌から喉へと自ずから広がって身体に染み渡ってゆく。自然水のこれほどの浸透力を感じることもまた稀である。いうまでもなく、ホーの奥まった水口には水神が祀られていて、水を飲料としていただく時も、沐浴の時も、また洗濯の時ですら、神は人間のかたわらで水の幸への感触を信仰として支えている。「うまさ」は舌だけでなく、心の反応でもあったことになる。
元旦の朝は、この水の旨さを寿ぐにふさわしい時である。一乗寺葉山の山腹を巻く田舎道の終点に、きょう目指す金福寺(こんぷくじ)はあった。元禄期、住職鉄舟和尚を慕って芭蕉がたびたび通い、のちに荒廃したものの今度は蕪村が再興して一門の句会の拠点とした寺である。小さな山寺ながら、蹲(つくばい)の水はことのほか澄み、裏山の蔭に佇む茅葺きの庵の風情が心地よく、芭蕉庵と名づけられたその簡素な庵の畳には初日が不思議な影模様をつくっていた。裏手の林には蕪村の墓所がある。与謝蕪村こそ、水の幸とそのありようを詩的な想像力のなかで多様に変奏してやまなかった俳聖であった。故郷摂津を流れる澱水(でんすい=淀川)の水の流れを叙情的に描いた傑作詩文「澱河歌」(でんがか)は、私がひそかに青年期から愛誦してきた作品だった。元日の水巡りの旅の途上で、この敬愛する俳聖の奥津城に参ることが叶うというのも、有り難き偶然というほかなかった。
水一筋月よりうつす桂河
安永五年(一七七六年)九月二○日、蕪村がこの金福寺で定期的に行っていた一門の句会、写経社において詠んだ一句である。嵐山から桂川に落ちる小さな渓流にかかる「となせの滝」を詠んだとされるこの句は、月から一筋の水が河へと移植されるときの神秘的な道筋として滝の流れをとらえたものである。水はここで、地上的というよりは、天体的な想像力のなかでとらえ直され、水も大気もないはずの月という衛星の光が夜の闇のなかで河へ注ぎ込む一筋の流れに喩えられている。こうした壮大な情景のなかの水があるかと思えば、こんな句もある。
易水に根深流るる寒さ哉
易水(えきすい)は中国の河の名であるが、蕪村はここで白く寒々とした冬河の風情をその名から借りたまでで、現実には難波か京あたりの下町を流れる小川に根深(葱)が流れてゆく冬の透徹した空気を歌ったのであろう。昔は、日本の地方の町や村にはどこも石積みの水路がはりめぐらされ、軒先を細い川水がしぶきを上げて走っていた。私の記憶でも、甲州増穂の櫛形山麓にあった祖父母の田舎家のまわりには水が溢れ、セギと呼ばれる細い用水路を蟹や泥鰌とともに青菜や葱が流れてゆく姿を子供のころよく見たものである。セギの水は、やがて村外れで砂利河原の広がる川へと注ぎ込んでいた。祖父母の家の前から真紅の林檎ひとつでも流せば、複雑な水路の経路をたどってついには本流の川へと流れ着き、それをいまかと待ち受ける私たち子どもは大はしゃぎだった。水の隠れた流れを想像することで、子どもたちは世界には見えない連絡があることを本能的に学びとった。日の暮れるまで、そんな川水との遊びは続いた。「橋なくて日暮れんとする春の水」(蕪村)。まさに子供の世界の生成の場にも、水は遍在していたのである。
水の味とは、結局は、こうした水にまつわる日常的記憶の味をどこかに含んでいる。個体としての私の記憶を超えた、種としての人間の味覚記憶のなかに、水の味は始原的な条件としてあらかじめ組み込まれているのであろう。水の旨さ、甘さとは、畢竟そうした記憶の甘美さとどこかで通底する。いや、動植物の肉体の七割から九割が水分でできているのであれば、そもそも水とは外部からもたらされるものであるというよりは、すでに私たちの内部において継続的に生成し、更新される、生命力の本源にある泉であるにちがいない。だとすれば、清冽な水のなかに葱が流れるという風景もまた、わたしたちの内部に孕まれた聖なる記憶のひとつとなる。
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メキシコのノーベル賞詩人オクタビオ・パスが、その寡黙で冷たく透きとおった詩を「まるで水が語っているようだ」と称賛したのがエリザベス・ビショップの詩作品だった。とりわけそうした性質は、生地ニューイングランドと少女期を過ごしたノヴァスコシア半島という、水に恵まれた北の風土を舞台にしたビショップの第二詩集『冷たい春』A Cold Spring (1955) に顕著に感じられる。たとえば「不眠症」Insomnia という詩では、蕪村の句にも似て、夜の月を、地中の井戸が反転した水の浮遊体として幻視する不思議な想像力が語られているし、「湾」The Bight という詩では、引き潮のときの水の、薄い織物のような透明さからノヴァスコシアの入江の神秘的な描写が始まっている。
だがなによりも私が瞠目する水の詩は「漁師小屋で」 At the Fishhouses と題された作品である。ここでの水は海の水であるが、それは執拗にこう形容される。
cold dark deep and absolutely clear......
(冷たく、暗く、深く、完全に透きとおった……)
カナダの北の海に突きだした荒寥たる半島において、孤児に等しい不幸な生い立ちのまま家郷の愛を失っていったビショップの心に湧く水もまた「冷たく、暗く、深く、透明な」ものでしかありえなかった。そして彼女は、この水のなかに手を差し入れ、口に含むことの憧憬と、その危険とを、同時に詩の最後の部分で語ることになる。
幾度も幾度も私は見てきた 変わることのない 同じ海
石ころの浜を 微かに 無関心に 寄せては返していた
氷のように冷たく自由に
石ころの上を そして世界の上を。
あなたが手をその水に浸せば
たちまち手首が きりきりと痛むだろう
骨は疼き 手のひらは燃えるだろう
海水は火の化身のごとく
小石の浜で獲物を食らい 暗い灰色の炎を上げて燃えるだろう。
その水の味は はじめ口に苦く
やがて塩辛く ついにはきっとあなたの舌を焼くだろう。
知識というものもきっとそんなふうだ。
暗く 辛く 透きとおり 揺れる まったき自由とともに
固く凍てついた世界の口から引き出され
永遠の岩の懐から洩れて来る
よどみなく流れ 引き出される
そして知識は歴史的なものだから
ただよい流れ、溢れだす。
(Elizabeth Bishop. ”At the Fishhouses”.Poems: North & South - A Cold Spring.
Boston: Houghton Mifflin, 1955, p.74. 拙訳)
静かながら、恐るべき詩である。ビショップのなかでは、水の冷たさこそが「自由」のしるしだった。その暗さも、深さも、塩辛さも、焼けるような舌への刺激も、すべては外界への畏怖を孕んだ未だ見ぬ「自由」を指し示していた。知的世界に参入することを、すでに確立された制度への過不足なき参加ではなく、痛烈な野性としての自由への畏れとして感じとったビショップは、不幸によって言葉の恩寵を手に入れた稀有なる詩人だった。
ビショップの口に、水の味は苦く、塩辛かった。それはやがて、彼女の舌を焼いた。知識がまた、彼女の舌=言語を燃やしたように。この水の味が、ビショップの舌による寡黙な言語を生みだした。その舌は、多くを語らず、控えめな寡黙さによって、かえって語られないものに潜む富を明らかにした。オクタビオ・パスによるビショップ詩への賛辞は、ビショップ自身の水にたいする形容詞を無意識に援用しながら、たえず水の比喩で語られている。
水のように、彼女の声は暗く深い場所から流れ出る。水のように、それは精神の二重の渇きをみたす、すなわち現実への渇きと、驚異への渇きを。水は私たちにものをその深みで休息した姿として見るように促しながら、みずからはたえざる変容状態にある。それは光の微かな変化とともに変化し、波立ち、震え、影のような生命を生き、突然の強風によって飛び散る。ビショップの詩には、水として聴こえる詩がたえず聴こえている。
(Octavio Paz. "Elizabeth Bishop o el poder de la reticencia".
Obras Completas II. México: FCE, p.314, 拙訳)
この深い寡黙の舌を、清冽な川水とともに、私もまた今日みずからの肉体にそなえよう。水の味とは、すなわち味覚として味わうものではなく、自らのなかに感知する暗く深い舌の再生の感触のことにちがいない。苛烈な畏れとともに、私もまたこの「自由の舌」が語りだすべき言葉の世界へと戻ってゆこう。
夕暮の京都をあとに関ヶ原を越える列車の上に、一瞬、空の細かい水滴を集めて冬の虹が立った。
<次号につづく> |