資本主義とは何か、この現代のモンスターの正体を完ぺきに解明することができたら、おそらくノーベル賞がもらえるだろう。ある時はグローバリズムの駆動原理として、またある時はナショナリズムの手段として、資本主義はわれわれを支配し続けてきた。確かにその原理やメカニズムはわかっている。こういってよければ資本主義はすでに十分すぎるほど理論化できている。しかし、問題はそんなところにはない、ということがじつは資本主義の最大にして最後の問題なのだ。資本主義を解明し尽くしたところで、資本主義が何かわかったことにはならないということ。資本主義とは、あえて挑発的に言えば、資本主義でないことによってのみ資本主義であり続けることができる運動である。それは起源からパラドックスであるほかない「運動」それ自体なのだ。
「運動」を記述すること。その運動している当のものとは何か、そこから資本主義を捉え直してみる。通常のルートとは正反対の方向から資本主義を見るということだ。本書の著者も、以前『緑の資本主義』において資本主義を一神教的世界観から再構築してみせた。そこに現れた資本主義は、グローバル資本主義とは全く逆向きのもう一つの資本主義(という可能性)であった。著者は今度はその裏返された資本主義も、じつは表の資本主義によって包含されつつあり、今や着地点を見出すことなく彷徨し続けていると示唆する。所詮運動の諸形態である限りにおいて、資本主義はいずれ「一」なるものへと終焉せざるを得ないにしても、動くことを止めることはないのだ。
本書は、著者がこの数年探求し続けてきた宗教と資本主義の深い結び付きを解き明かしたものである。キーワードは「三位一体モデル」。「父」「子」「聖霊」の三つの概念の関係を読み解けば、むき出しになった資本主義が顔を現すというのである。
「三位一体」とは何か。本書はそれを三つの輪が結び合う図で示している。いわゆる「父」「子」「聖霊」の三つの輪の重なりによって構成されているもので、キリスト教に顕著に見出される一種の「世界模型」である。「父」とは、「ものごとに一貫性や永続性や同一性を与える原理」で、言い換えれば「この世界を、かくあるごとくあらしめている」というものである。「子」は、その父から生み出されたもの。イエス・キリストのことで、「父」とまったく同じ本質を備えたいわば「父」の完全なコピーである。「神と人間とのあいだをつなぐ媒介のはたらき」をするものでもある。では、「(聖)霊」とは何か。キリスト教で、それは「三位一体」という神に組み込まれたものと説明されている。この組み込まれたものというのがくせ者で、同じ一神教であるユダヤ教、イスラム教にはない考え方である。この「霊」は、ではいったい何をしているのか。「増殖する」というのである。「増殖し、躍動し、拡大し、伝染していくもの」、それが「霊」だというのだ。
宗教はもとより芸術や文化を考えていく時に、「三位一体モデル」は有効な思考モデルになりうるのだが、じつは資本主義とも非常に相性がよい。「三位一体モデル」を通じて資本主義社会というものを見てみると、その本質がよく見えてくるというのである。資本主義の大きな特徴の一つに価値の増殖ということがある。利潤を生み出し、増やし、拡大することによって、資本主義は生き続けてきた。たとえば、貨幣というものを増殖させる利殖行為にその典型的姿を見出すことができる。貨幣が貨幣を生み増えていく。資本主義とは、最も単純化すれば、貨幣の自己産出行為という運動なのだ。
「三位一体モデル」の「霊」は、まさに「増殖する」ところにその最大の特徴をもっている。常にふらふらと漂いながら増えていくものとしての「霊」。一神教では神は完全な「一」でしかなく、絶対に「霊」などというものは認められない。ところが、キリスト教では、神を「ただひとつの神」と考えずに、なぜかそこに増殖という考えを持ち込んで、それを「霊」と名付けてしまったのである。「三位一体」のTRINITY構造に組み込まれた「霊」は、しかし、決して安定したものではなくて、不安定で予想不可能な振る舞いをする「信用ならない」存在として、キリスト教の内部に漂い続けるのである。
「安定した同一性をおびた秩序をつくりだそうとする〈父〉の原理。もうひとつは、〈霊〉という増殖原理。そして、それらを媒介する〈子〉の原理。キリスト教では、以上の三つの原理を組み合わせ、しかも、それらが絶対にはずれないようにした。そのうえで、この構造を、世界で起こることを理解するためのモデルにしようと考えた」。なぜそう考えるようになったのか、著者はそれを明らかにしないが、とにかくキリスト教ではそういう考えをもち、そして、西欧社会に伝播していったというのである。
資本主義は、まさにこの「三位一体」のTRINITY構造の「霊」が増殖した結果である。イスラム教では認められていなかった利子というものを認め、安定した経済秩序をあえて混乱させるような増殖という考えを自らの内部に取り込んだ。その結果、資本主義はわれわれの社会の隅々にまで侵入するような支配原理へと発展していくことになったのである。
「資本主義社会で増殖する、〈価値〉。いま、その価値の増殖をどうやってコントロールしていくのか、ということが、私たちの社会にとって、大きな課題」となっている。「混乱する現代の資本主義経済を健全なものにしていくためには、〈霊〉の部分が増殖し、ゆがんでしまった〈三位一体〉の構造を、本来の正しいかたちに戻していく、その方策を見つけていかなければなりません」と著者は、最後にそう結ぶ。
本書は、都内で行われたレクチャーを、ライブ感覚を残した形で再構成したもの。したがって、著者もいっているように、随所にあいまいな表現や論理の飛躍がある。なにより、最も重要な概念である「霊」がなぜキリスト教において現れたかが一切述べられていない。読者には物足りなさが残るだろう。しかし、わずか原稿用紙(400字)にして50枚前後の語り下ろしという内容を一冊の本にしてしまったという時点で、われわれはある程度諦めなくてはならないのだ。さすがに中身が薄すぎると思ったのか、最後にうちわの読者座談会が掲載されている。まえふりでは、「ほぼ日刊イトイ新聞」(略して「ほぼ日」/本書は「hobonichi books」の一冊として刊行された)の糸井重里自らがこの本の成り立ちを記していて、付録の部分が目立つ本でもある。そもそも、本書そのものが「霊」の増殖だといわんばかりの構成になっているのである。「父」である糸井さんの出版社から「子」としての著者が出版した「霊」としての本書。この本そのものが「三位一体モデル」なのではないか、というのが筆者の感想。
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