ここで、詩人は多くの舌(=国語、タング)で語っている。おそらくは、朝鮮系アメリカ人移民の視点から書かれているためであろうか、この作品は、英語に内在する非均質性と多国民性に密接に結びついた言語学習の問題性を提示している。・・・[ここ]には、他書からの引用が数多く見出される。ある意味では、・・・他の言語からのものをも含めた引用文のモンタージュであると考えてもよい。だから、この書は、一つの「自然」言語内には均質性があるはずだという人々の期待を掻き乱すのだ。
(酒井直樹『日本思想という問題』岩波書店、1997)
ややアカデミックな語法でこう言及されている作品とは、テレサ・ハッキョン・チャによるきわめて実験的な自伝テクスト『ディクテ』(邦訳、青土社、2003)である。亡命者として満州に生まれた朝鮮人を母に持ち、釜山に生を受け、12歳でハワイを経由してカリフォルニアに移住し、バークレーとパリで学んだチャの苛烈な移動と言語的越境の軌跡が、この詩集とも断章エッセイ集とも自伝的コラージュともつかぬ稀有の書物をするどく貫いている。一人の作者がもつ一枚の舌が、すでにあらかじめ幾重にも分裂した組成をはらみ、その舌=言語が織りなすテクストが必然的にかかえることばの重層性を著書が体現してしまうこと・・・。それを文学者の酒井直樹は、「多くの舌」で語られた書物、と表現したのである。
『ディクテ』を英語で書かれた本、と無条件に規定することはたしかに不可能だ。みかけの記述言語としても、すでにそこにはフランス語がしばしば挿入されており、さらにときおり重要な指標としてハングル、漢字(中国語・日本語)が混入し、各章はギリシャ語による女神の名によって飾られている。ひとつの記述行為が遂行される言語内における言葉の「均質性」という、文学作品を読む時の当然の前提がここではあらかじめ破綻している。しかも書字にかんする変異も多く、通常の活字ページに混じって、毛筆の漢字、英語の手書きのメモ、英語タイプ打ちの書簡、漢字の鍼灸医学人体解剖図、日本語による口蓋解剖図、ハングルの碑文の拓本などなど、文字がさまざまな様態によって変奏されてこの本のなかに取り込まれている。ここで文字は、視覚的な媒体として充分に自立することなく、触覚や嗅覚に向かって自らを開いている。書物でありながら、声の伝達体のような、あるいは手のひらにのせられた脆いオブジェのような質感を本書がたたえているのも、そうした特徴のゆえにちがいない。
たとえばつぎのような一節は、読者の身体感覚に直接触れてくるような『ディクテ』の言語的指向性をみごとに示している。
あなたは書き/話す/隠され覆いをかけられた声を/あなたは言葉を月に植え/風を通して送る。四季折々のあいさつをかわしながら。空路から水路から言葉が誕生し、言葉がくっきりと形を与えられる。一つの口からもう一つの口へ、一つの解読から次の解読へ/言葉はその十全な意味において了解される。風。明け方、あるいはたそがれ時、一塊の粘土、移動し飛来する鳥/南回りの鳥たちは、伝言の種子にたいする亡霊のヴェールを身に着けた代弁者。通信。言葉を撒布するために。
(池内靖子訳)
ここで呼びかけられている「あなた」とは、作者の母親である。18歳で満州の生地から離れた小さな村の学校に教師として単身赴任し、他者による政治支配のもとで異言語(=日本語)を媒介にした労働生活を余儀なくされた母親の辛苦・・・。それを娘であるチャは想像しながら、母の分裂した舌の苛烈な歴史を自らの現在にも引き受けようとする。隠れ家としての「母語」(朝鮮語)を自分自身の故郷として隠し持つことがいまだ可能だった母親と違い、離散者チャの舌はすでに奪還しえない母語の上に、英語とフランス語という西欧的支配言語による二重の重ね書きを施されてか細く震える舌である。「英語」という言語内においてすら、その舌の震えは、通常の文法や用法を逸脱する文章として書きつけられるほかはない。たとえば、先の引用の冒頭の一文は、原文ではつぎのようなピリオドを欠いた異様な英語である。
You write you speak voices hidden masked you plant words to the moon you send word through the wind.
邦訳者は、訳文において便宜的に「/」を使用して文意を明らかにする工夫をしているが、この英語による尋常ならざる言葉づかいのニュアンスは、むしろ分節を欠いたつぎのような異様な日本語への置換によってより深く感じとれるかもしれない。
あなたは書くあなたは話す隠され仮面を被った声であなたはことばたちを月に植えつけるあなたはことばを風に乗せて送る
(拙訳)
こうした複雑なレイヤーを抱えたノン・スタンダードなテクストによって特徴づけられた書物が示すある種の身体性とは、まさに母というような存在が人間にたいして持つ根源的な身体性に似ている。なぜなら、母の身体には、あらかじめその母の、そしてそのまた母の身体が書き込まれてあるからだ。パリンプセストとしての舌は、母への記憶を語ることばを通じて、「母」という存在の重ね書きされた重層性そのものを導き出してゆく。
あなたは汽車で家に帰る。お母さん・・・あなたはもう木戸口からあなたの母親に呼びかけている。お母さん、あなたは待ちきれない。彼女も手にしていたすべてを放り出してあなたを出迎える。彼女はやってきてあなたを内側に入れ、あなたに食べ物を運んでくる。あなたはいまや帰宅していて、あなたの母、家のなかにいる。彼女の独自性、彼女の風貌というべきものから切り離しがたい母。・・・お母さん、わたしお母さんに会えるようにお母さんの夢を見るの。眠りこんで、天国を近くに感じている。お母さん、わたしが発した最初の音。はじめての発声。最初のコンセプト。
これはチャによる、母の母が娘を出迎える光景の想像である。祖母が、疲れ疎外された母の一時的帰郷を、母語と母の料理によって抱きとめるときの、未知の風景の再現である。だがこの「母」によるその母への呼びかけは、いうまでもなくチャによる母への呼びかけをすでに内蔵している。祖母、母、娘をつなぐ身体と舌の連鎖が、こうしたテクストを結ぶ文法の核心にある。そのとき、ピリオドやカンマは、常套的な言語学的文法規則は、すでに不要のものとなる。人々が日常を生きる言語の織り目(テクスチュア)の錯綜した現実にひたすら忠実に育てられた、パリンプセストの舌が、リングア・フランカが、新たな文法を創造したのだ。『ディクテ』とはフランス語で「口述された」という意味だが、この強制的なディクテーション(口述筆記)の抑圧を迫る国家語のはざまで叛乱するリングア・フランカの声の口述を、母の声を通じて、チャはテクストとして示そうとしたにちがいなかった
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日本における日本語による文学的行為のなかに組み込まれた方言のあり方もまた、単一国家言語の内側を食い破る、母の言語、母の舌の浮上にかかわりをもっている。現代において、方言(ダイアレクト)をテクストに豊穰に援用するもっとも冒険的な作家の一人、石牟礼道子もまた、母の声と記憶をつうじてその母、すなわち祖母の身体へと自らつながろうとする。盲となった祖母との茫々たる葦原の散歩の光景を回想する「あやとり祭文」の一節である。
──犬のよめごが、蓮の舟よば、
といいますと、孫がそれを受けていうのでした。
──犬のよめごの名は、なんち、いわるかぁ。
──ふふふふ。三日月さまよなぁ。
老婆は嬉しいうたを囁き聞かせるようにひそひそと申します。
──ふふふふ。三日月さまよなぁ。
孫は、祖母のものいいをそっくり覚え、その魂に描かれる絵に夜の海が拡がって、三日月さまがあらわれます。
生活苦の果てに気がふれた祖母の、その目として、手として、彼女につきそう日課のなかで、少女である石牟礼道子は、ことばが意味の「裏」(うら)=「洞」(うろ)へと回り込んでゆく秘儀的な世界に目覚める。石牟礼はつづけてこう書いている。
このような会話を交わしあったわけではありません。盲で気のふれた老婆と、その孫娘がやっていたのはたぶん、声に出さない言葉の所作事だったと思われます。雪国の子どもたちがつくって遊ぶというあの〈かまくら〉に似た、いわば〈声のない言葉のかまくら〉をつくり出し、ひとには見えぬその洞(うろ)の中に這入って、遊んでおりました。現世からすこしはずれた仄暗がりに、ふたりだけのかまくらをつくって。
(石牟礼道子「あやとり祭文」『妣たちの国』講談社文芸文庫、2004)
リングア・フランカとしての舌は、ときにこのような「声に出さない言葉の所作事」をすら、「言葉のかまくら」のような意識の洞(うろ)のなかで繰り出すことができるのだった。そのようなことが可能である秘密は、もっぱら、そのことば=舌の組成が、祖母ー母ー娘という身体的記憶の連鎖によって裏打ちされているがためだった。来たるべき文学が「口述」の一形式でありうるのなら、それは、国家(父権的)の言語制度による強圧的な「ディクテ」の要請を躱しながら、パリンプセストとしての重層的な舌が語り(あるいは沈黙する)母の声を「口述」する新しい耳によってなされるにちがいない。
テレサ・ハッキョン・チャとおなじように、石牟礼道子もまた、夢のなかでの、この、祖母と母と娘の声と像とが混淆し一体化する奇蹟のような光景を、たしかにこう書きとめていたのだった。
「こげんよか所に、いつも来よったとなあ」
「うん、稲のなあ、よか香りじゃあ」
しゃがれた優しい声に胸がつまり、よしよし、おんぶして帰ろうと思い、今も工業高校の横に残っている田の道まで手をひいて、背負帯をとり出し、祖母の背中にまわして抱き寄せたら、祖母は裸の赤んぼになっている。
裸の背中だから寒かろうと思い、モスリンの花模様の帯の皺をのばしにかかった。背中ぜんぶは包めないので掌でぬくめ、お腹の方へ返してぬくめようと抱き直したら、わたしを見上げたその顔は、死ぬ四、五日前の母だった。
(石牟礼道子「死んだ妣たちが唄う歌」『妣たちの国』)
<次号につづく>
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