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Book Review

『データの罠』表紙写真
田村秀
『データの罠 世論はこうしてつくられる
集英社新書(2006年)



評:佐藤真(アルシーヴ社)


   「〈まず結論ありき〉で持論の正当性を主張する学者や政治家、評論家、マスコミがいかに多いか」ということを分かってもらいたい。そのなかでも、「公平中立な立場から報道を行うべきマスコミがあまりにもデータの罠に陥ってしまっている実態」を、とくに明らかにしたかったと著者は「あとがき」で述べている。
   小泉内閣は、初期の段階で「国債の発行額を三○兆円に抑える」ことを政治目標にかかげ、強い支持を得てきた。しかし、なぜ三○兆円なのか、それは国民にとって本当にメリットのあることなのか。そういうことはほとんど問われぬままに数値だけが一人歩きしてきた。数値目標が設定されるとその分かりやすさにすぐさま飛びついてしまう。小泉政治を、ワンフレーズ・ポリティクスと批判するまえに、まずその言葉の裏付けとなるデータに関して、それを読み取る正しい眼を養う必要がある。
   著者は、自治省といくつかの地方自治体で実際に政策づくりに関わってきた元行政マン。いわば「データ読み」のプロだ。そのプロが、ちまたに氾濫するさまざまなデータを検証しながら、そこに潜む「データの罠」を暴き出していく。そして、罠に引っかからないための”正しい”情報の読み取り方を提案する。データの信憑性や妥当性などを正しく判断できるようになるために、今、何が求められているのか。本書は、「データリテラシー」の必要性を説く。
   「小選挙区制では自民党が54%、民主党が33%」、「六五歳以上が五人に一人、先進国の最高水準」、「紅白の視聴率、初の50%割れ」、「TOEFLのスコア、アジアで最下位」、「地方公務員平均給与、民間を14%上回る」、「一人当たりの事件発生率では、在沖縄米軍の方が沖縄県民より低くなっている」、「ワールドカップの経済波及効果は三兆三○○○億円に」……。どれも、この1、2年で目にした新聞や雑誌の見出しであるが、なによりもまずその数字に目がいく。「えっ、紅白って2人に1人しか見てないんだ」、「日本人の英語力ってそんなに低いの?!」、「公務員ってもらいすぎじゃん!」。たいてい、その数字に驚いて、誰もがそう口にしたに違いない。
   数値データというものは具体的で分かりやすい。それに、客観的なものだと鼻から信じ込んでいる。ホントはどうなのかと内心疑っているようなことでも、数値で示されてしまうと、無視できなくなるものだ。それだけ、数値データのもつ影響力は絶大である。しかも、マスコミが公表するのだから間違いないはずというへんな先入観もある。マスコミが公表するからといって、それが客観的であるという保証はないし、それこそ思い込みにすぎないのに、なぜかわれわれは公表という言葉を前にすると、無条件にそれを受け入れてしまう。これは、一種のマインドコントロールなのかもしれない。
   著者は、そのマインドコントロールから、われわれを解放していく。数値データに潜むまやかしを明らかにするためには、その巧妙に仕組まれたトリックを見破ればいい。なぜそのような数値になったのか、その数値が出てきた根拠、背景を丁寧にたどり直せばいいのである。トリックは魔法ではない。マジックある。マジックである限り、必ずタネがある。要は、「種明し」をすればいいのだ。
   上記のマスコミを通じて発表された「政党支持率」、「視聴率」、「ランキング」、「経済波及効果」といった具体的数値を、「種明し」のごとく紐解きながらそのトリックを見破っていく。たとえば、世論調査。誰もがそれは世間一般の平均的声を集約したものと思っているが、著者によれば、対象者に偏りがあって、とても一般的な声とは言い難いものだという。その質問の仕方、選択肢の設定、対象者のサンプリング手法を詳細に見ていくと、一定の方向に誘導するような世論操作が行われていることが少なくないという。また、最近流行のインターネット調査やテレコングは、そもそも世論調査の名に値しない代物だと指摘する。
   たとえば、ランキング。評価ブームともいうべき現象が起こっているなか、大学や病院、さらには地方自治体や国のランキングなども盛んに行われている。こうしたランキングは多数のデータを総合化して一つの指標を作成しているが、基本となるのはあくまでも「平均」と「偏差値(標準化)」である。しかし、どのようなデータをどのぐらい採用するかは、評価する側の主観が入り、たとえば、メリハリをつけて加重平均するなどの操作が加わると、調査結果は全く異なったものになる。ランキングの妥当性そのものが問題を含んでいるのである。
   イベントや企業誘致の判断材料として使用される「経済波及効果」。データの根拠となる前提がすべて満たされた場合という達成予想がしばしば忘れられたり、プラス部分ばかりが数値化され、故意にマイナス部分は省かれたりすることもある。
   データの信頼度から評価される「無作為抽出」。サンプル数の多さが信憑性を高めるように思われがちだが、重要なのは回収率。回収率が低ければどんなにサンプル数が多くても信憑性は低くなる。また、サンプル数も誤差5%なら400程度で十分。これは統計学ではよく知られた常識なのだという。逆に「無作為抽出」だとはいえ,常に一定の誤差はつきもので、0.1%の差に一喜一憂する「視聴率」競争など、まったく意味のないことだと著者は断じる。じつは、これも統計学では、常識中の常識らしい。
   「これらをいちいち意識しているのは大変であるが、少なくともデータをやみくもに信じてしまう態度だけはとるべきではない。データの罠を見分ける力、すなわちデータリテラシーは、多くの人にとって必要なものではあるが、本来は、公平で客観的な報道に努めるべきメディアに携わる人間が、しっかりと備えていなければならない必須の条件である」。
   とはいえ、問題はやはりメディアのいうことを鵜呑みにしてしまっているわれわれ自身にあることは言うまでもないことだ。
   分かりやすい数値とワンフレーズで政治を劇場化=テレビ化した小泉内閣。新政権には、分かりにくくてもいいから、トリックのない数値をちゃんと出していただくことを期待したいが、今度のお方も大変なマジシャンと聞いてる。またしても罠にハマらないように本書をしっかり読んで、データリテラシーを身につけておくことが賢明であろう。



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