親切なタクシーに乗って、今畑鉱泉をあとにし、杵築市役所に向かう。前夜に宿泊した山香温泉「風の郷」の支配人さんからの情報では、「かつての今畑鉱泉より神塩温泉の方がずっと塩分が濃い」ということだったし、神塩温泉の昔のことを調べるなら市役所を訪ねたらどうかということで、市役所の担当者に連絡までしていただいていたからである。
実は、東京にいる時点で、水文学の研究者から「神塩鉱泉も塩を含むようだが調査はできなかった」という情報は得ていたのだが、第20回に書いた今畑鉱泉の「塩の小山」が気になっていたので、この地域では、今畑をメインに調べ、神塩は「行けるようだったら」「ついでに」という計画だった。しかし現地に来てみると、前夜の支配人さんの話でも「神塩温泉の方がずっと塩分が濃い」ということだったし、そのとき頂戴した雑誌のコピーでも、「神塩温泉は塩分がとても濃いことで有名」というような表現がある。つい先ほどの今畑のおばあさんからの聞き取りでも、「自分は行ったことはないが、神塩鉱泉は50年くらい前には木賃宿で栄えてた」という話もあった(この時点では神塩「温泉」だったり「鉱泉」だったり不明確だったが、後にこの疑問も氷解する)。市役所に向かうタクシーの中でも、だんだんと昔の神塩鉱泉のことも調べた方がいいような気がしてきた。この際、支配人さんから紹介してもらったのを幸いに、市役所でできるだけ情報を得ようと思う。
山あいの今畑集落の谷間からゆるやかに下って、神塩鉱泉や中山香駅のある平野部を通り過ぎ、再び坂を上りかかってほどなくの高台に、思いのほか立派な市役所が建っていた。親切なタクシー運転手さんにお礼を述べて、紹介してもらった担当者に面会する。名刺交換すると「高齢者福祉係」とあり、「神塩温泉の歴史」という目的とのギャップに、「文化財担当とか教育委員会ではなく、なぜ高齢者福祉?」と頭をひねる。ともかく、当方の目的を伝えてお話をするうちに、やはり、昨夜も支配人さんにコピーをいただいた『山香町史』に話がおよび、全体を見せていただくと同時に、昨夜のコピー『山香町内の鉱泉・湧水の泉質』の項目とは異なる『史跡』の項目にも、昔の神塩鉱泉の記述があることを教えてもらい、またまた該当部のコピーをいただくことになった。
以下に、『山香町史(註1)』から、神塩鉱泉についての該当部分を引用する。
「<前略>甲の尾山南麓の、立石川と小谷川の合流点付近の川床から、塩分などを多量に含んだ鉱泉(冷泉)が湧出している。昔、付近の民家では、この塩を清めの儀式に用いたので、神塩(こうじお)の地名が今に残っている。
昔は、この鉱泉を利用して、近在の農民たちの湯治場が営まれていたが、最近ここにボーリングして、摂氏四九度の温泉が湧出するようになった。ナトリウム塩化物などを多量に含んでいて、リウマチ性疾患・運動機能障害・婦人病一般などに、顕著な治療効果が期待されることが分かったので、山香町立病院や、近く建設を予定されている老人憩いの家(仮称)などで利用することになっている。<後略>」
記述された文章量としては少ないものだが、有用な情報が詰まっている。まず、神塩鉱泉は、今畑鉱泉とは異なり「塩分などを多量に含む」ものであることがわかって、塩泉製塩や塩の代替としての塩泉利用を探しに来た身としては、期待が高まる。また、先に、人によって「温泉」だったり「鉱泉」だったりと不明確だったが、「かつては鉱泉(冷泉)で、ボーリング後に49℃の温泉になった」ことが分かり、この疑問も氷解する。今畑でおばあさんに聞いた鉱泉宿の話もちゃんと出ている。そして、ボーリング後の泉質について「ナトリウム塩化物などを多量に含む」と明記されているから、他の塩類の話ではなく、今度こそ塩(塩化ナトリウム)の話が聞けそうである。さらに、何と言っても、「付近の民家では、塩泉の塩を清めに使う」という記述もあり、「これは、塩泉利用の文化として、おもしろい話が聞けるのではないか?」と、俄然、期待が高まる。
『山香町史』の記述にざっと目を通した後、市役所の担当者に、『山香町史』の該当部分の話をさらに詳しく聞ける方がないかをたずねると、「編纂当時、歴史的な項目は民間の郷土史家に委託していたが、残念ながら、編纂に関わった方々は全員亡くなってしまった」という回答だったので、一瞬、落胆する。
しかし、直後に「かつて、神塩鉱泉で鉱泉宿を営んでいた本人(ここではMさんとしておく)がお元気なので、話をきいてみてはどうですか。今日は在宅だと思うので連絡してみましょう」という。それは願ってもないことで、さっそく連絡をしてもらうと、Mさんは「これから外出するが、昼過ぎには戻る」ということで、13:00からご自宅でお話をうかがうというアポイントまで取り付けてくれた。先ほどまでは、「文化財担当とか教育委員会ではなく、なぜ高齢者福祉?」と訝っていたが、「風の郷」の支配人さんは、神塩鉱泉の歴史の話が聞きたいなら、当時を知る高齢者に通じた人、つまり「高齢者福祉」の担当者を紹介してあげるのが近道だと配慮してくれたらしい。都会の役所では書類の中の住民を相手にしているような感じがしないでもないが、このような地方の役所では、日頃から住民の顔を見ていて、特に「高齢者福祉」の担当者ならば、それぞれの高齢者の経歴や現状にも通じているというわけであろう。突然の訪問に応じてくれた市役所の担当者だけでなく、「風の郷」の支配人さんの配慮にも頭が下がる。
市役所を後にしたものの、まだ昼前で、約束まで間があったので、今度は歩いて駅の方に向かう。この後、宮崎へ向かうのに予定していた列車の時刻も午後1時台だから、わずか1時間足らずの時間で、「塩泉の塩での清めの儀式」や「昔の鉱泉宿」さらには「食用塩の代用としての利用」などを詳しく聞くというのは、かなり無理がある。しかし、こんな話が聞けるチャンスはめったにないので、予定の列車をあきらめた場合、あとの列車が何時になるかを調べ、その後、歩いて神塩鉱泉へ向かう。
約束にはまだ早かったので、昔の鉱泉宿の跡地にあるご自宅の場所だけ確認して前を通り過ぎ、国道をくぐって、ひとまず、現在の「山香町温泉センター(旧町営)」や「川床から湧出する」という鉱泉の様子などを見に行くことにした。
「温泉センター」は、立石川のすぐ側にあり、国道と川に挟まれたようになっている。「温泉センター」という語感で想像するよりも建物はこじんまりしていて、温泉銭湯や共同湯のような規模だった。裏に回って、ボーリングした源泉タンクらしきものやその配管が浴室につながっている様子を確認し、さらに立石川への排水に目をやると、川へ開いた排水口の下の川原には、鉄を含んだカルシウム析出物が大きな塊になって堆積していた。
「温泉センター」と立石川に発達した堆積物の塊
塊の大きさは、幅8.4m、川側への張り出し約3m、高さ2m |
今畑鉱泉の「塩の小山」も赤かったというから、きっとこんな具合に鉄分で赤く染まったカルシウム析出物だったのではないかと想像する。と同時に、これだけ鉄だらけだと、神塩鉱泉でも、果たして製塩が可能だっただろうかという疑問が生じる。とはいえ、この疑問は、すぐにMさんからの聞き取りで明らかになるだろう。
カルシウム析出物の上の歩道で一応その寸法を計ったり、写真を撮ったりして、川原を覗き込んでいるうちに、川の中に、レンガ組のような遺構を見つける。上から見て「口の字」型なので、橋梁の残骸ではなさそうだが、鉱泉宿の露天風呂というにはやや小さいような気もする。製塩用の釜跡にしては川の中にあるのが妙である。いずれにしても、鉱泉宿のなんらかの遺構で、これも、ほどなく聞き取りで明らかになるだろう。
川中の露天風呂の遺構らしきもの
画面中央、堆積物の先にレンガ遺構が見える |
いよいよ期待に満ちて、Mさんのお宅へうかがう。お会いしたMさんは84歳ということだったが、とてもお元気で、いまもいろいろなボランティア活動などでお忙しくされているということだった。社交的で気さくな方らしく、突然の訪問者にも、途中、昔の覚え書きなどを取り出して確認しながら、丁寧に話してくれた。以下に、その内容を、大まかな項目ごとに整理してまとめておく。 |