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直接海水を煮詰めると膨大な燃料を必要とするため、日本の塩作りは、古来から、海水から濃い塩水を作り出す工程と、それを煮詰める工程の2段階の工程を経ている。前工程の役割を果たす塩浜は、大きく分けて以下に示す3形態があった。後工程は、どれも主に塩釜とよばれる釜で濃い塩水を煮詰めて塩を結晶化していた。
<揚浜式塩田>
人力で海水を汲み上げて塩田まで運んで撒き、太陽熱と風の力によって水分が蒸発して塩分が砂に付着するのを待ち、この砂を集めて付着した塩分を海水で溶かして濃い塩水をつくる方法。
この方法は、人力によるところが大きく、大変な重労働であった。
<入浜式塩田>
遠浅の海岸に塩田面を築き、満潮時に海水を防潮堤防で区切られた塩田の溝に入れ、地表に撒いてある細かな砂に海水を浸透させ(毛細管現象)、太陽熱と風の力によって水分が蒸発して塩分が砂に付着するのを待ち、この砂を集めて付着した塩分を海水で溶かして濃い塩水をつくる方法。これにより海水の5〜6倍の濃厚な塩水を得ることができた。
この方法は、17世紀前半ごろに成立した。人力ではなく潮の干満差を利用するため、揚浜式塩田と比較して少ない労働力で済み、生産力が高い。そのため、潮の干満差が大きく波の静かな地域に広がっていった。特に瀬戸内海地域は有名である。
この方法が揚浜式塩田に代わって製塩法の主流となり、揚浜式塩田は、潮の干満差が小さい日本海側と太平洋の外海に面した波の荒い海岸(能登半島など)で見られるにすぎなくなった。
個々の塩浜面積は一反(約990平方メートル)程度であったが、整備・拡大されて、一町(=10反)から一町五反となった。塩浜を持ち、釜屋なども整備された作業単位を一軒前と称し、塩浜の経営主である浜主が浜子を10人程度雇い入れて塩を製造していた。
<自然浜>
入浜塩田の先駆的な形態であり、瀬戸内海地域以外の塩浜の多くで行なわれた方法。
なお、当時の塩は苦汁を多く含んでいたため、苦汁を除去するのに様々な工夫がなされた。一例として、素焼きの土器に粗塩を入れて焼いた焼塩がある。
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