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リングア・フランカへの旅――〈自由な舌〉を求めて


   食べることと話すことは、舌という器官を媒介として直接結びついています。そして、食の舌と言語の舌は、時に反発し時に癒着しながら、人類の感覚と思惟を巡る歴史を生み出してきました。この歴史の消息を読みとく旅――人類学者の今福龍太氏による連載です。


今福龍太氏写真

第6回 食前のためらい

今福龍太
いまふく・りゅうた − 1955年東京生まれ。東京外国語大学大学院教授。文化批評家、人類学者。
東京大学法学部卒業後、テキサス大学大学院博士課程を経て、メキシコ国立自治大学・中部大学・慶応大学SFC・カリフォルニア大学サンタクルーズ校・札幌大学などで教鞭をとり、2005年4月から現職。サンパウロ・カトリック大学コミュニケーション・記号学部客員教授を兼任。同時に、キャンパスの外に新たな遊動的な学びの場の創造を求め、2002年より巡礼型の野外学舎である「奄美自由大学」を主宰。著書に『クレオール主義』『移り住む魂たち』『移動溶液』『ここではない場所―イマージュの回廊へ』他多数。


泡だつような匂い?
   香りたつ桃に次いで、豊かに実った葡萄がたちまち店先にならび、そうかとおもえばもう、やや青みがかったつややかな林檎が処暑を過ぎた八百屋の棚に現われた。この季節の、果物の充実とすばやい移りゆきは、食物の季節感が無くなったと嘆く日常のなかでの、わずかな救いだ。今年の自分の「舌」に新たな年輪をきざむためにも、これらの果物に西瓜やメロン、プラムや梨を適宜取り混ぜて愉しみ、南島からの贈り物としてのマンゴー、パッション、ドランゴンフルーツをこの季節だけの宝物としてありがたく頂く。葡萄はもちろんタネのある種を、タネごと口蓋のなかでころがし、噛むことなく喉に導き入れる。西瓜のタネは口のなかで選別して庭に吐き出す。豊満なマンゴーの大きなタネはしゃぶり尽くし、パッションフルーツの小さな黒い胡椒のようなタネはバリバリと噛みくだいて果肉と一緒に食べると絶妙の食感だ。タネは果実を食べる私たちにとっての異物であるどころか、それぞれの果物の味覚を味わい尽くすための不可欠の要素として、無視しえない重要性を持っている。いやそもそもタネとは「種」(しゅ)そのものであり、それぞれの果物の種としての固有性を保証する、もっとも基本的な芯であり、再生装置である。これを粗末にあつかうことなど、できるはずもない。タネなしの果物を創りだすなどという行為は、食物の「芯」の思想をおろそかにする、なんとも情けない軟弱な発想にもとづいている。だが、タネをもはや食感の一部に組み入れてモノを味わう人は少ないだろう。タネは食べるためには邪魔者らしいのだ。いまに、養殖のホネなし魚ぐらい、人類は発明してしまうかも知れない。タネを消し、ホネを失った社会は、すでに再生力も自立も失った末期的な社会といわざるをえない。
   ともかく果物はみな、そのまま、すなわち木になっている状態をそのまま食するのが、野性的な真理であり、絶対的に美味しい。季節感の希釈されたスーパーマーケットを避けて八百屋や果物屋の店先で買ったとしても、果物を「買う」ことじたい、すでに堕落した文明の習慣であることもいうまでもない。毎年通いつめる奄美大島では、少なくとも道すがら出合うパパイヤの木やグアバの木からぶら下がる果実を頂いてその場でかじりつくことができる。果実とは、自然から人が頂くことを許された、原初の食物の謂である。その意味では、魚も貝も、海の「果実」であり、多くの西欧語でもずっとそのように呼ばれてきた。
   だが、生(なま)ではなく、焼くと新たな芳香や味覚が引きだされる果物もまれにある。林檎がその代表格であろう。焼き林檎をめぐる、香りと舌と記憶の反応を見事に描き出したエッセイとして、ヴァルター・ベンヤミンの『一九○○年頃のベルリンの幼年時代』に収められた断章「冬の朝」にまさる文章を私は知らない。まだ暗い冬の早朝六時半、毎朝きまって幼いヴァルターの部屋に女中の娘がランプを持って入ってきて、暖炉に火を入れる。まだ眠っていたい欲望と、朝の避けえない起床の習慣とがせめぎ合い、ベッドのなかで悶々とするベンヤミン。やがて、仄暗い部屋に、火ではない、思いがけないもう一点の赤い光がともる。ベンヤミンは書いている。

   火の世話がすむと、彼女は林檎をひとつ、焼き林檎にするために暖炉の保温棚に置いた。やがて、赤くゆらめく焔に包まれた暖炉の扉の格子が、床にその影をくっきり描き出してくる。・・・早くも私はまず一度暖炉の扉の閂を横にずらして、保温棚の林檎の具合を確かめてみる。けれども、林檎の香りはまだほとんど変わっていないことが少なくなかった。それから私は、泡だつような匂いがしてきたと思われるまで我慢するのだった。
(ヴァルター・ベンヤミン「冬の朝」『一九○○年頃のベルリンの幼年時代』浅井健二郎訳、『ベンヤミン・コレクション3:記憶への旅』所収、ちくま学芸文庫。以下引用はすべて同書より)

   目覚めの時をめぐる薄明のなかの記憶が、林檎がすこしづつ温まり、しだいに焼けてゆく宙づりのような時間を呼び出す。ここでは、部屋の温度の上昇は、焼ける林檎の香りの拡散によって感知されている。それにしても、暖炉の一角にある「保温棚」とはどのようなものだったのだろうか。淡い郷愁を誘う仕掛けである。そして、その保温棚から匂いが「泡だってくる」、というのはどんな様子だったのか? ベンヤミンの文章は、常のごとく、大胆にイメージを飛翔させながら、自らの身体感覚の華やぎと揺れとを精妙かつ的確にとらえていく。

   その匂いは、クリスマスツリーの匂いよりも、さらにずっと奥深い、ずっと密かな、冬の日の小さな部屋から漂ってきた。するとそこに黒ずんだ温かい果物、あの林檎があった。その林檎は、旅に出ていた近しい知人のように、依然親しみのある、しかしすっかり変わった姿で、私のところへやってきてくれたのだ。それは暖炉の熱の暗い国をめぐる旅だった。その旅の途上で林檎は、この一日が私のために用意しているすべての事柄の香りを、手に入れてきていた。

   毎朝私たちが感じる「もっと寝ていたい」という願いこそ、ベンヤミンに言わせれば、人間が毎日感じているにもかかわらず、願いが叶わなかったことなどすっかり忘れてしまう、不思議な記憶だった。それは、めったに叶えられない願いなのだが、その不運がすぐに忘れ去られてしまうのは、なにか別の宝石のような贈り物が、願いの外部からいつもやって来るからなのだ。ベンヤミンの場合、それが、朝の林檎の焼ける匂いだった。暖炉の熱による暗い国を巡ってきたこの黒ずんだ旅人は、ヴァルター少年に、今日一日の夢と憧憬を「香り」として先取りしながら語りかけるのだった。ベンヤミンは続けて回想している。

   だから、私が林檎のつややかな頬を手で暖めているとき、いつも、それにかじりつくことをためらう気持ちに襲われたのも、べつに奇妙なことでもなんでもなかった。林檎がその匂いにくるんでもたらしてくれた、霧散しやすい知らせが、私の舌のうえを通るあいだにたちまちにして逃げていってしまうかもしれない、と私は感じたのだった。

   香りをめぐる意識の繊細さは、ここで「舌」によってもたらされるより明確な味覚への期待の傍らで、ためらいがちに揺れている。いまにもかじりつきたい林檎を掌に、ベンヤミンはしかし、この予兆のような朝の香りの世界が、舌の侵入によって破られてしまうのを恐れている。黒ずんだ旅人が放つエキゾティックな報告は、舌によってものの味を確認するとき、すでに薄れてしまう。食前のためらいがちな期待のなかにこそ、知識と感覚の曙光が住んでいる。香りや触覚の前で自重するこの舌の構図のなかに、ベンヤミンの深遠なる叡知の兆しも潜んでいた。舌は、そのまま言語世界と繋がっているからこそ、つねにこの控えめさを求められているのかもしれない。感覚から言語的意味までの距離は、近いようで遠かった。ベンヤミンの文章はそのことを、静かに私に教えてくれる。



食すまでの4分33秒

   この舌のためらい、というテーマは、やはり特異な芳香を供えた食べ物としてのキノコの世界にも深くかかわっている。
   巷ではもうすでに、松茸も並びはじめた。この、強烈な香りと絶妙な歯触りの感触を合わせ持つキノコの王者は、人工栽培の技術をかたくなに拒みつづけ、いまだに土地との野生の関係を維持しながらキノコ宇宙の神秘を伝承しつづけている。いうまでもなく、食用キノコに関する人間の知識は、科学による有毒/無毒の判定が可能となるはるか以前から、人間の舌によってそれがくりかえし食され、テストされてきた在野の民俗的知識の積みかさねの上になり立っている。その過程で、多くの人が毒によって命を失った。未知の知識をこじ開けようとしたとき、キノコ名人たちは、はじめて採集した名もしらぬ新種のキノコを前にして、大いなる期待とともに、それに見合うほどの大きなためらいをも感じていたはずだ。舌の感受が自らの生死を握っている、という事実の前で、彼らは厳粛な気持ちに打たれていた。名人たちは無論、自分の舌の感受に人並み以上の自信があったのだが、であればこそ、死や狂気の世界と隣り合わせのキノコ宇宙の深遠さに向き合っている舌は、たんなるグルメ的器官ではありえなかった。食前のためらいがくりかえされ、偶然と運の導きによって、時に舌は勝利し、時に舌は敗れてその持ち主は笑い死に、そうした長い闘争の歴史がキノコ学の民衆的基盤をつくりあげたのだった。
   作曲家ジョン・ケージが、専門家顔負けのキノコ学者でもあったことはよく知られている。キノコを採集するケージの姿を記録した映画も残されているが、その姿は、自然界の神秘が孕む「偶然」(=「チャンス」はケージ音楽の鍵概念だった)を、キノコを介して愉しんでいるかのようにも見える。アメリカでのある機会に、ケージはキノコを日本の俳句とかかわらせて語ったことがあった。キノコも俳句も、ともに「季節」の産物であり、瞬間の偶発的な閃きや観察と深くかかわっているからだ。ケージお気に入りの俳句が、芭蕉のつぎの句だった。

松茸や知らぬ木の葉のへばりつく

   日本語でこう流暢に詠んだあと、ケージはその意味を聴衆に英語で解説した。まず文字通りに訳せば「松茸に、名も知らぬ木の葉が、はりついている」という光景を即物的に詠んだものだ、と。だが、この平凡な解釈は、彼の友人であった日本の作曲家(ケージはそれが一柳慧だったか高橋悠治だったか曖昧になっているようだが、私の直観では一柳のような気がする)の気に入らず、その作曲家は後日つぎのような新解釈をケージに披露したという。

松茸は、自分に木の葉がへばりついているのを、知らない

   ケージはこの解釈がいたく気に入ったようだ。一見即物的な自然観察の断片に過ぎない俳句の描写が、無数の解釈を許す自在な許容度を持っていることにケージは気づき、それこそが、キノコ世界の自由さでもあると納得する。こうして芭蕉の句のさらに前衛的なケージ的解釈が生まれる。

未知が松茸と木の葉を結びつける

   主語を「未知」という抽象語にとったこの解釈では、自然界の理がここに偶然の出逢いの光景として描かれていることになる。さらに高揚したケージは、究極的な解釈を聴衆に指しだす。

なんという木の葉!
なんという松茸!
(聴衆は大笑い)

   松茸を食する前にも、きっとあったであろう、それを食べた最初の人類の、未知の謎の解明に震える舌のためらいを、ケージはふと私に思い起こさせる。匂い立つ香りに味覚を刺戟されながら、はりついた松の落ち葉を払い、おもむろに口に入れるまでの、数秒、あるいは数分・・・。その4分33秒が、永遠に匹敵した。その永遠とは、知識が言語化されて差し出される直前の、意識の曙光の地点で揺れる叡知の示す無時間だった。そこにはあの、ベンヤミンの暖炉の焼き林檎の永遠、すなわち食前の舌のためらいが抱える時間の淵と同じものが、ぽっかりと口を開けていたのである。

<次号につづく>


註記:
ケージの芭蕉の句とキノコにかんする上記の語りは、以下のサイトにおいて聞くことができる。
http://www.ubu.com/sound/cage.html


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