この舌のためらい、というテーマは、やはり特異な芳香を供えた食べ物としてのキノコの世界にも深くかかわっている。
巷ではもうすでに、松茸も並びはじめた。この、強烈な香りと絶妙な歯触りの感触を合わせ持つキノコの王者は、人工栽培の技術をかたくなに拒みつづけ、いまだに土地との野生の関係を維持しながらキノコ宇宙の神秘を伝承しつづけている。いうまでもなく、食用キノコに関する人間の知識は、科学による有毒/無毒の判定が可能となるはるか以前から、人間の舌によってそれがくりかえし食され、テストされてきた在野の民俗的知識の積みかさねの上になり立っている。その過程で、多くの人が毒によって命を失った。未知の知識をこじ開けようとしたとき、キノコ名人たちは、はじめて採集した名もしらぬ新種のキノコを前にして、大いなる期待とともに、それに見合うほどの大きなためらいをも感じていたはずだ。舌の感受が自らの生死を握っている、という事実の前で、彼らは厳粛な気持ちに打たれていた。名人たちは無論、自分の舌の感受に人並み以上の自信があったのだが、であればこそ、死や狂気の世界と隣り合わせのキノコ宇宙の深遠さに向き合っている舌は、たんなるグルメ的器官ではありえなかった。食前のためらいがくりかえされ、偶然と運の導きによって、時に舌は勝利し、時に舌は敗れてその持ち主は笑い死に、そうした長い闘争の歴史がキノコ学の民衆的基盤をつくりあげたのだった。
作曲家ジョン・ケージが、専門家顔負けのキノコ学者でもあったことはよく知られている。キノコを採集するケージの姿を記録した映画も残されているが、その姿は、自然界の神秘が孕む「偶然」(=「チャンス」はケージ音楽の鍵概念だった)を、キノコを介して愉しんでいるかのようにも見える。アメリカでのある機会に、ケージはキノコを日本の俳句とかかわらせて語ったことがあった。キノコも俳句も、ともに「季節」の産物であり、瞬間の偶発的な閃きや観察と深くかかわっているからだ。ケージお気に入りの俳句が、芭蕉のつぎの句だった。
松茸や知らぬ木の葉のへばりつく
日本語でこう流暢に詠んだあと、ケージはその意味を聴衆に英語で解説した。まず文字通りに訳せば「松茸に、名も知らぬ木の葉が、はりついている」という光景を即物的に詠んだものだ、と。だが、この平凡な解釈は、彼の友人であった日本の作曲家(ケージはそれが一柳慧だったか高橋悠治だったか曖昧になっているようだが、私の直観では一柳のような気がする)の気に入らず、その作曲家は後日つぎのような新解釈をケージに披露したという。
松茸は、自分に木の葉がへばりついているのを、知らない
ケージはこの解釈がいたく気に入ったようだ。一見即物的な自然観察の断片に過ぎない俳句の描写が、無数の解釈を許す自在な許容度を持っていることにケージは気づき、それこそが、キノコ世界の自由さでもあると納得する。こうして芭蕉の句のさらに前衛的なケージ的解釈が生まれる。
未知が松茸と木の葉を結びつける
主語を「未知」という抽象語にとったこの解釈では、自然界の理がここに偶然の出逢いの光景として描かれていることになる。さらに高揚したケージは、究極的な解釈を聴衆に指しだす。
なんという木の葉!
なんという松茸!
(聴衆は大笑い)
松茸を食する前にも、きっとあったであろう、それを食べた最初の人類の、未知の謎の解明に震える舌のためらいを、ケージはふと私に思い起こさせる。匂い立つ香りに味覚を刺戟されながら、はりついた松の落ち葉を払い、おもむろに口に入れるまでの、数秒、あるいは数分・・・。その4分33秒が、永遠に匹敵した。その永遠とは、知識が言語化されて差し出される直前の、意識の曙光の地点で揺れる叡知の示す無時間だった。そこにはあの、ベンヤミンの暖炉の焼き林檎の永遠、すなわち食前の舌のためらいが抱える時間の淵と同じものが、ぽっかりと口を開けていたのである。
<次号につづく> |