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コラム<危ない>


   様々な分野で「安全」や「安心」が語られることが多くなっています。それは、わたしたちがいろいろなモノやコトを「危ない」と感じているということでしょう。自由、メディア、少子化、科学・・・・さまざまな「危ない」について、各界気鋭の研究者にご寄稿いただきます。


河合氏写真
治安が「あぶない」は「あぶない」

河合幹雄

かわい・みきお − 1960年奈良県生まれ。京都大学理学部卒業。同大学文学部で社会学を学んだ後、同大学院法学研究科博士課程修了。桐蔭横浜大学助教授等を経て、現在は同大学法学部教授。専門は法社会学。
著書に『安全神話崩壊のパラドックス』、共著に『体制改革としての司法改革』『たばこ訴訟の社会学』、訳書に『司法が活躍する民主主義』ほか


   日本は危険な社会になった、安全神話は崩れたということが言われている。アンケート調査によると日本人の9割が日本の治安は悪化していると信じているというものさえある。また、マスコミ報道でも、治安の悪化は、しばしば当然の事実であるかのように扱われている。もっとも、アンケートも聞き方によっては、そうパニックが起きていないことが確認できるし、新聞も社説や文化欄には、冷静な議論が掲載されている。実際は、治安は悪化していないで不安のみが増大したことについては、多くのところで発言した。今回は、安全についての議論が、いかに感覚的なものに左右されて不合理になってしまっているか、様々な危険の程度を比較することによって提示してみたい。
   合理的に考える場合に、まず、小さな危険は考慮に値せず、なんといっても死に至る危険を考えるべきである。そこで調べてみるべきは、死因の調査である。殺人、交通事故、海山での遭難等、警察が扱う統計もあるが、財団法人厚生統計協会がまとめた人口動態統計が詳細に報告してくれている。これを中心に比較してみたい。
   厚生労働省によると、2003年、一年間日本全国での総死者数は、101万余りにのぼる。そのうち、病気老衰等の内因で亡くなられたケース以外を外因によるものとしている。外因には、「不慮の事故」「自殺」「他殺」が含まれる。外因による死者数は、2003年、日本全国で7万5638人であった。このなかで他殺は、たったの705人で、なんと1%にも満たない。他方で、自殺は、3万2千余りもある。百歩譲って「自殺は本人の責任である」という意見を考慮して除外しても、交通事故死者数、1万0913人と比較して、他殺は、その6.4%にしかならない。交通事故は、不慮の事故の最大カテゴリーであるが、その他の不慮の事故についても見ておく。不慮の事故全体は3万8714人、交通事故を除くと、残りは2万7801人である。このうち、1万1290人の死亡場所は家(家庭)である。家庭内事故の内訳は、風呂場で2936人、のどを詰まらせて2432人、転倒・転落で2186人等である。家にいるときが最も安全であり安心できる場所であると感じるのが常識であろうが、実態は全く逆の結果である。場所として、最も危険な風呂場にこそ監視カメラをつけてみんなに見てもらったらどうかという冗談が生まれるほどである。推察するに、ひとり暮らしの高齢者の存在との関連が深く、この方面での対策こそ重要と思われる。もちろん、これらの事例は病死に近いという反論もありえよう。交通事故以外の事故らしい事故についても、警察庁の警察白書をもとに見ておこう。その報告によれば、水難事故による死者は2004年で892人、山岳遭難によるものは267人である。火災によっても毎年千人以上が亡くなっている。
   これらの事故・遭難と比較した場合に、他殺の705人は、多いと感じる人もいるかもしれない。次は、他殺の中身を検討してみよう。これについては、警察庁の殺人統計は、未遂と予備を含むために、完全に正確な数字をえられないが、致死事件も含めた、交通事故以外の刑法犯罪による被害者と加害者の関係を調査したものなどを参考に推察してみる。そうすると、殺人既遂事件の過半数は核家族内で起きている。つまり、社会的カテゴリーとしては、心中が中心である。なかでも子殺しが一番である。むろん、いわゆる「間引き」が約30、児童虐待も約30含まれる。親殺しには、60歳の娘が90歳の母を介護していたが、自分が健康を崩して悲観した。あるいは、逆に60歳を超えた母が、障害を持つ子供を、もう世話することができないとして殺害もある。統計上は、見知らぬ他人の被害者も一割あるが、これには、夫の不倫相手を妻が殺害等も含まれる。人が生まれるのも家族なら、殺しも、ほとんど家族問題である。家族・恋愛関係以外は二桁しかないかもしれない。家族内の問題は、警察に守ってもらうものではなく、治安問題ではない、あるいは別の言い方をすれば、家族関係は他人による殺人ではないという意味で他殺ではないとすれば、他殺の危険は極めて少ない。金目当ての殺害、つまり強盗殺人・強盗致死が年間数十件あること、ヤクザの抗争で十数名の死者が出ていること以外はほとんどいないであろう。金目当てでもなく、恨みもなく、知らない人を殺害する場合は、通り魔殺人として統計がある。これは、警察庁によると年間一桁であり、しかも、その過半数は未遂事件である。
   殺人と聞けば、凶悪な殺人鬼が無垢な被害者を殺すことを考えるとすれば、そのようなケースは極めて少ない。強盗の場合でも、殺しまでいく場合には、恨みの犯行もかなり含まれ、家族の場合も含まれる。自分の家族に問題がなく、ヤクザとのかかわりもない、つまり、自分の側に、原因がなく、純粋に突然事件に巻き込まれるのは、通り魔事件の数件と強盗がらみの二、三十件のみであろう。なお、恨みと金目当て以外の殺人事件には、いわゆる異常者によるものが考えられる。心神喪失と心神耗弱が認められた殺人事件は年間約120件あるが、多くは覚醒剤によるもので、ほとんどが未遂事件であると推察できる。
   この年間数件や二、三十件といったレベルがどの程度のことなのかを理解するために、再び、死因の統計を見てみよう。それによると、「スズメバチ、ジガバチ及びミツバチとの接触」つまりハチに刺されたことにより2003年に27人死亡している。「ネズミと犬以外の哺乳類による咬傷又は打撲」つまりクマなどに襲われた場合、15人、毒ヘビによって8人となっている。これでもって、人間である通り魔は、動物たちより安全であったということが主張したいわけではない。日本でクマや毒ヘビにやられる確率と比較して、どれほど、通り魔事件が滅多にないことであるかを自覚してほしい。その年に数回しかない事件を、大きく報道し続けて、治安悪化の印象を与えてきたことをマスコミは反省すべきであろう。安全対策論としては、先にハチからはじめるべきであろう。
   加害者が知り合いであった場合でも、被害者に落ち度がない場合もいくつかあるとしても、純粋に事件に巻き込まれたというような被害者は、合計100に満たないぐらいと推察する。凶悪犯罪に対して、これほどすばらしい安全性が保たれているなら、何か新たな対策をとることではなく、むしろ、このような事態を支えてきたものが何であるのか検討して、その良き伝統を守ることを考えるべきであろう。
   最後に、話を広げさせてもらえば、あらゆる悲劇的な死を考察するならば、アメリカのカトリーナの例のように、自然災害も考慮すべきである。日本において、自然災害の被害者は年間100人に満たないことが多いが、大地震が長い周期で来る。阪神淡路大震災では数千の死者、関東大震災では14万、伊勢湾台風など他の自然災害も考慮すれば、それらを年間で平均をとれば、やはり、705人どころではない。さらに言えば、ここ100年で見るならば、最大の外因死の要因は戦争である。第二次世界大戦での、日本人の死者は300万といった単位である。過剰な犯罪報道のなかで、大切な議論を抜かしてしまっているのではないか。
   そもそも、一件一件の殺人事件に大きなニュース価値があるとは思えない。それに対して、犯罪をめぐる社会の全体像を正しく捉えることは、社会問題を明らかにしてくれ大いに意味のあることだと考える。たとえば、少年犯罪の増加も凶悪化も全くの誤認であるが、少年犯罪の全体像を観察すれば稚拙化しており、今の少年たちは「犯罪さえできない」ぐらい問題をかかえていることがみてとれる。報道機関は、全体像を捉えることを常に意識して報道すべきである。また、統計を取る側も、わかりやすい指標を記録して報告すべきである。最適の指標であるはずの殺人既遂事件について数を数えないというようなことは直ちにやめるべきであろう。殺人事件の被害者数と、交通事故を除いた刑法犯罪被害者(傷害致死等を含む)について、犯罪白書を全巻集めて、私が集計したグラフをひとつだけ載せておく。これをみれば、80年代よりも、現在が大幅に安全であることが一見して理解できるであろう。

図:交通事故を除く刑法犯による死亡者数と殺人による死亡者数

   統計値をしっかり比較することによって、印象として持っていた安全性と客観的な安全性が大きく異なっていることが確認できたと思う。何が本当に「あぶない」のか見定めない議論をすることはまさしく「あぶない」。



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