―― 前回は、生物は単純なものから複雑なものに連続的につながっていて、そこには階層性があるというお話でした。そのもっとも単純なものが原核細胞ですが、それが階層を一段あがって真核細胞へ進化します。団先生は、真核細胞にはハプロイド細胞とディプロイド細胞という二種類の細胞があるとおっしゃっています。一般的な生物の教科書では、この二つは生活相の違う真核細胞と見ています。なぜそれを二種類の細胞と見るのか。これは団先生のアイデアなんですか。
真核細胞をハプロン、ディプロンといった言葉でやはり同じように分けている生物学者が外国に一人だけいましたが、他の階層との関係の中でハプロイド細胞とディプロイド細胞とをはっきりわけて捉えたのは私が最初です。おっしゃるように、高校の教科書ですら、真核細胞としてしかあらわしていません。
ハプロイド細胞とディプロイド細胞を説明するためには、生物の誕生期に遡ってお話しする必要があります。原核細胞というのは、まだ生物のいない太古の海で、さまざまな有機分子が偶然的に集合したことから生まれました。原核細胞は、現在のバクテリア(細菌類)に似て、細胞膜の内側に核もそのほかの構造ももたない文字どおり地球上の最も単純な生物です。
ある時、原核細胞の中に、炭酸ガスと太陽のエネルギーだけから有用分子を作り出すことに成功したものが現れました。光合成細菌です。彼らは、代謝の廃棄物として酸素を放出しました。酸素というのは、今の私たちにとっては不可欠な栄養素ですが、防御機構を持たない生物にとっては非常に危険なものです。とくにDNAと反応すると遺伝情報を攪乱したりします。
太古の原核細胞たちはその事態にどう対応したかというと、まず最初身を寄せ合い、融合してからだを大きくしました。からだを大きくすることによってDNAを内部深くに隠し、侵入する酸素からの攻撃は、取り替えのきくタンパク質に受け止めてもらうことにしたのです。その後、酸素を利用してエネルギーを作り出すことができる原核細胞、ミトコンドリアを細胞内に取り込み、ますます大きくなりました。そして、大きなからだを能率良く使うために、からだの内部をいくつかの区画(コンパートメント)に切り分けました。このコンパートメントの一つが、遺伝情報を保管・修理・コピーするためのDNAやRNAを収納する「核」なのです。
からだが原核細胞の千倍ちかくあり、内部がいくつかに分かれた細胞は、もはや原核細胞と同じ細胞と呼ぶわけにはいきません。酸素の猛毒から逃れるうちに、もっと複雑なことができる細胞に変わっていたのです。このような複雑な構造をもった細胞を、一番目立つコンパートメントにちなんで真の核を持つ細胞、真核細胞と呼びます。最初に出現した真核細胞が、生きるために必要なDNAを一セット持ったハプロイド細胞です。その後さらに、DNAを二セット持ったディプロイド細胞が出現するのです。
―― 真核細胞としてはハプロイド細胞が先に出現したんですね。
そうです。ハプロイド細胞がなぜ、どのようにしてディプロイド細胞に変身するのか、そのことを証明したみごとな実験があります。ジョーンズというアメリカ人の研究者がクラミドモナスという単細胞の藻類を培養し、頃合いを見はからって培養液からチッソだけを抜き取ってみたのです。すると、すべての細胞が相手を探して合体(接合)してしまったのです。外部環境からチッソがなくなるということは、細胞が生きていくのに欠くことのできないタンパク質が細胞の中でつくれないことを意味し、それはただちに死を意味します。クラミドモナスは、死の脅威に対して、合体という方法で立ち向かったのです。ところで、ハプロイド細胞が合体(=接合)する、これこそ有性生殖です。チッソ飢餓がタンパク質をできなくし、結果的に有性生殖のきっかけとなることを、この実験はみごとに示しています。
―― 確かクラミドモナスは、私たちの配偶子(卵子と精子)と同じようにDNAを一セットしかもっていませんよね。ということは、この合体によって二セットになり、ハプロイド細胞はディプロイド細胞に変わった?
二匹のハプロイド細胞の合体によってディプロイド細胞が生まれたのです。そして、この事実は、「性」と深く結びついていることも明らかにしたわけです。しかし、それにしてもどうしてハプロイド細胞がそんなことをしたのか。真核細胞と原核細胞を比べると、代謝のためのエネルギーを得る方法が大きく異なります。原核細胞のやり方は、一言で言うと「なんでも食べてやろう」ということです。有機物のみならず無機物であろうがそこからエネルギーが取り出せるのであれば、遺伝子を改変させてでも食べられるようにして、生き延びようとしました。現に、これまで地球上に存在したことのないプラスティックを分解する細菌が現れたという報道がありましたが、まさに原核細胞の貪欲さを示すいい例ですね。
原核細胞がこのように代謝に関して融通がきくのに対し、ハプロイド細胞はもっとも効率のよい糖だけを利用しようとしました。こうしないと、千倍の体重を維持できないのです。その結果、エネルギーは楽に得られるようになったのですが、いろいろなしくみを捨て去った結果、代謝の幅がせまく、もろくなってしまいました。そこで、どれかの栄養源が枯渇すると、苦し紛れに合体することで、この危機を乗り切る途を探し当てたのだろうと思います。しかし、なぜ合体することを思い付いたのか。私はこう思っています。タンパク質をつくることができなくなれば死んでしまいます。細胞はそのことをわかっていて、とにかくなんとかしようと慌てたんだと思うんですよ。重要なタンパク質をつくることができなくなった場合でも、二匹がよれば、相手の持ち合わせているタンパク質を使って、二匹分をまかなうくらいのことはできます。一つの細胞に一個か二個しかないタンパク質ということは、それが働いてつくる産物も少しでいいということです。ふだんの倍働けばいいわけですから。つまり、二匹かそれ以上がより集まって、持ち物を融通し合うことで、なんとか生き延びることができたのだと思うのです。
―― しかし、細胞は合体したままではいられないんでしょう。
いったん合体してしまった細胞たちは、ではどうやって離れるのかということですね。現在の完成した有性生殖では、接合した時に核も合体させて、DNAを完全にミックスしてしまいます。そのうえで、ミックスしたDNAを複製し、それを二本ずつの二グループに分け、さらにそれぞれのグループをもう二つのグループに分けて、四匹のハプロイド細胞に戻ります。これを減数分裂と言います。けれども、おそらく当時の細胞たちはそんなことはできなかったでしょう。二匹がよれば二つの核、五匹が集まれば五つの核のままで殻をかぶって、たとえば乾燥をふせぎ、あるいは、低温から身を守り、まわりの環境がよくなると殻を破って出てきます。そして、ふだんの生活に戻る時には、それぞれの核がまわりの細胞質を持ってちぎれていったのではないかと考えています。
今の地球上には、ハプロイド細胞が集まって多核状態でしばらく過し、再び元に戻るという現象は知られていないので、この考え方は、じつは想像の域を出ていません。ところが、ハプロイド細胞が二匹よって、DNAも混合してディプロイド細胞になり、そのまますぐ(DNA合成をしないで)減数分裂して二匹のハブロイド細胞に戻る、という減数分裂は一段階減数分裂と呼ばれて、現在の生物でも見ることができます。これが、多核から核の数だけに分かれた分裂の次の段階と考えられます。
接合して危機をしのぎ、やがて環境がよくなって代謝を始めようとすると、分裂しなければならない。ところが、この当時のディプロイド細胞は、まだ二匹のハプロイド細胞が持ちよった相同のDNA分子を見分けることができない。そこで、分裂しようとすれば、この二本を一本とみなして一つの染色体に梱包してしまい、どうしても減数分裂になってしまい、ディプロイド状態を続けることができない。ディプロイドの状態で生活を続けようとするならば、現在のディプロイド細胞のように二本の相同なDNAを、これは二本だと認識してそれぞれを複製したうえで別々に梱包し、それから分裂しなければなりません。この工夫ができるようになって初めて、ディプロイド細胞というものが生きたユニットとして確立したのです。この能力のおかげでディプロイド細胞はそれまでの細胞にできなかった、DNAを二セット持ったままでの生活ができるようになったのです。
―― それならば、ディプロイド細胞のままでいればいいのにと思うのですが、そうはいかないんですか。
意外なところに落とし穴があったんです。ディプロイド細胞は、分裂を無限に続けられないんです。ある回数だけ分裂をくり返すと死んでしまいます。これは、ディプロイド細胞に運命付けられていることなんです。
せっかく生まれたディプロイド細胞が死んでしまう。彼らは、ではどのようにして死を克服したのか。なんと驚くべきことに、一度ハプロイド細胞に戻るこということをしたのです。死を越えるために、ディプロイド細胞はいったん不死のハプロイド細胞に戻って分裂能力を取り戻し、いってみれば分裂回数をリセットするという離れ技をやってのけるのです。二セットあるDNA(2n)を一セット(n)に戻す減数分裂は、ディプロイド細胞に完全に組み込まれたものであり、それが有性生殖として、現在まで保存されているのです。
多細胞生物の有性生殖では、2n(つまりディプロイド)の生殖細胞(有性生殖を役割とする細胞)が減数分裂によってn(つまりハプロイド)の配偶子になります。そしてこの二匹の接合(同一種に属する二匹のハプロイド細胞が融合して完全に合体してしまう現象)によって、受精卵という2nのディプロイド細胞に戻ります。このことは、この生殖細胞が自分の種としてのアイデンティティーを変えずに、からだの複雑さを変えたことを意味します。同じ一つのものでありながら自分の複雑さを変えるなんて、これは自然界では、ほかには絶対に見られないことです。自分を変えず、異なる二つの階層の間を行き来する能力は、ディプロイド細胞の段階に至って自然が初めて獲得したものなのです。
―― 階層を行き来する細胞。そのままディプロイド細胞にとどまっていると死んでしまうから、あえて進化の前段階へ逆戻りする。生物はなんと不思議な存在なんだろうとあらためて思いました。さて、そんな不思議な存在である生物は、さらに進化の階段を登っていきます。次回は、いよいよ個体発生は系統発生を繰り返すというヘッケルのテーゼと細胞の関わりについてお聞きします。
(次回「生物、この複雑きわまるもの[下]」に続く) |