上記のように、「不足の度合い」の観点から見た場合、塩にまつわる「交易」は、典型的には、「塩は得られるが穀物(または木材)が不足する生業を営んでいる集団」と、「穀物(または木材)は得られるが塩が不足する生業を営んでいる集団」との間に起こるとみて差し支えないだろう。両者は「お互いに不足するものを補いあう」関係で結ばれて、異なる生業集団同士が結びついた「より大きな集団(仮に交易ユニットと呼んでおく)」になっていると見ることもできる。「どちらも不足する集団」が仲立ちをしているとすれば、それも交易ユニットの中に入るだろう。
この状態を、「塩のありか=海」とし、「下流=穀物または木材が不足」と「上流=塩が不足」と考え、先の「変遷論」で言えば、「流域内分業」だと言うことができる。ここに、「適応」という概念を導入すれば、交易ユニットというより大きな集団として、「山から海までの流域」というより広大な地域に「適応」したものだという考えが成り立つ。
そこで、「変遷論」での各段階を、「適応」という概念で解釈し直してみると以下のようになる。
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未分業(事例4や事例6)・・・必要に応じて「塩のありかへ移動」することによって、集団の構成員それぞれが自ら塩不足を補う適応形態
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集落内分業(事例5)・・・集団の一部が日常生活圏を離れ「塩のありかへ移動」することによって集落として塩不足を解消する適応形態
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流域内分業(事例7)・・・塩不足・穀物(または木材)不足、両方を解消するため、異なる生業集団が連携してより大きな適応集団を形成し、流域全体というより広い地域へと適応した、交易ユニットとしての適応形態
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地域間分業(事例7)・・・適応範囲を流域外にも拡大し、より有利な製塩地、穀物(または木材)生産地を生かした、国レベルでの適応形態(ただし実際は仲立ちとしてかなり貨幣経済に依存する) |
「適応」という考え方はどうしても結果論的になるのは否めないが、このように考えれば、「分業による変遷論」のような発展論についてまわる、時系列的な制約から解放される。「不足の度合い」の変化次第で、「未分業」の方向へ戻る方がより有利な適応形態になるならば、そちらへシフトしてもよいことになって、様々な事例を考えるのに都合がいい。現に、太平洋戦争末期から戦後にかけて、塩不足が深刻になったときには、事例4や事例6のような未分業な状態が、「自家製塩」という形で、各地に現れている。
「適応」という概念を用いたとしても、以上の様な議論をきっちり行うには、もちろん事例が不足している。私がもともと専攻していた生態人類学では、おもに生業集団を扱って、エネルギーになる食料の獲得という文脈での「適応」を考えることに成果をあげてきているが、「塩の人類史」では、交易ユニットのようなより大きな集団も扱いながら事例を積み重ねて行くことで、偏在する塩という必需品に対しても適応してきた人間の姿が描けるのではないだろうかと考えているのである。
では、エネルギーになる食料だけでなく、塩の入手をも含めて、「交易や移動なし」に、環境適応できるような集団は考えられないか。そのような集団は、農耕が可能な内陸(乾燥地ではなくある程度の湿潤地)で、かつ塩資源がある場所であれば、原理的には成立することになる。次回(といっても例によってまた変更するかもしれないが)は、そのような意味で、移動を伴わない適応形態として、内陸製塩について考えてみたい。
※編集部注 : 次回は2005年4月号に掲載予定です。
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