塩風土記
塩風土記
■大分県と塩■
大分県の塩田は、瀬戸内海沿岸地域の広大な干潟を干拓造成した入浜式塩田で、同地域の福岡県の塩田と合わせて、その塩田面積は九州全塩田の1/3を占めていた。塩田は周防灘の「和田」「高家」「八幡」「和間」「姫島」等の他、「杵築」「大分」「佐伯」等に存在した。この内、別府湾の製塩の歴史は古く、別府湾岸の大分郡 笠和郷 (大分市)では平安時代末から 由原(ゆすはら)八幡宮に供えるための塩浜が開発されていた。のちに府内藩領となる萩原村、幕府領原村 (大分市)が江戸初期からの塩浜として知られている。
また姫島では、慶長15年(1610)から元和8年(1622年)に約9町8反の塩浜が開発され、島の半数(81軒)で製塩にたずさわるようになった。
【人物】
中矢勘太郎(なかやかんたろう)
愛媛県の出身。1893年(明治26年)に杵築の北浜塩田(36町歩)を開発した。これを記念して、明治31年に「中矢勘太郎記念碑」が杵築市城内に建てられている。
(水上清『塩と碑文』)
【行事】
塩屋祭(宇佐市)
和間神社で執り行なわれる祭典。仲秋祭の大祭典にむけ、宇佐神宮から7kmほど離れた和間神社まで神輿行列を連ね、和間神社で2泊かけて祭事が行われる。昔は宇佐神宮の大祭に使う塩を焼く神事だったが、塩田が廃止された今は塩焼き神事は行われていない。
【名所・史跡】
古庄拙翁之碑(姫島村)
1858年(安政5年)に塩田を開拓し、島民の生活を豊かに導き教育にも力を注いだという古圧拙翁(安右衛門茂信)を称えて建立された碑。
(水上清『塩と碑文』)
【その他】
塩の流通に伴う習俗
国東郡国見町では、明治30年頃まで国見町伊美の伊見別宮社の旧7月大祓祭に、姫島の塩と伊美谷の中村・野田・千燈・赤根などの部落の稲藁の交換を行い、内陸部の人はこれで1年間の塩を得、姫島では藁は牛の飼料などにしたといわれている。
(和歌森太郎『くにさき』)

