塩風土記
塩風土記
■千葉県と塩■
千葉県では、近世より国内最大の消費地江戸(東京都)の隣国という立地条件からさまざまな生産活動が盛んであった。塩についても同様で、東京湾内(行徳、船橋等)に入浜式塩田があり、行徳塩と呼ばれていた。また、外房に小規模の揚浜式塩田が存在していたが、それらは、専売制度開始後に姿を消し、東京湾内の入浜式塩田の生産量も急激に減少した。古くから醤油の産地でもあり、現在でも塩の消費量が多い県のひとつである。
【人物】
小野 友五郎(おのともごろう)
明治の初めに枝条架の事業化をはかり、塩業技術の改良・普及に貢献した。
(田村栄太郎『日本の産業指導者』)
【名所・史跡】
余山貝塚(よやまかいづか:銚子市)
縄文時代後期から晩期にかけての貝塚。国指定の重要文化財「みみずく土偶」が出土している。製塩なども行われていたという。
(銚子市教育委員会)
行徳塩田(ぎょうとくえんでん:市川市)
潮の干満差が大きい江戸湾岸に位置し、自然浜塩田(入浜塩田の先駆的な形態)で塩がつくられていた。江戸幕府は、軍事物資としての塩の確保を目的として、この地の製塩を保護する政策をとった。
行徳塩田の対岸に位置していた篠崎村の堤防の高さを制限し、行徳側より高くさせない等の保護により、周辺地域との利害が生じており、江戸川で洪水が起きた際に、白蛇が行徳側の堤防に穴を開け、ために篠崎村が助かったという当時の軋轢を示すような民話も残されている。
(江戸東京湾研究会編『江戸東京湾事典』、鈴木和明『明解行徳の歴史大事典』)
【名産品】
くじらのたれ
鯨の赤身を醤油や塩をベースにした「たれ」に一晩漬け込み天日で干した鯨の干物。
くさりずし
イワシやアジなどを塩漬けにしたあと、魚の腹に酢飯をつめ、すし桶に並べてショウガの千切りなどをかけながら数段重ね、最後にハランや柚子の葉を敷きつめ1~2週間、飯粒が溶けるまで発酵させたナマナレズシの一種。
【その他】
行徳塩(ぎょうとくえん:市川市)
江戸時代、行徳塩田で作られていた塩には、明造り、地古積、直し古積、の三種があった。明造りとは行徳で生産された加工なしの塩。地古積は行徳塩を、直し古積みは十州塩をそれぞれ原料として苦汁を除去した加工塩である。当時安価で多量に出回っていた十州塩はほとんどが苦汁分の多い差塩であったので、輸送途中や保管中に苦汁分が溶けだしかなりの目減りがあったため、苦汁分を除去し目減り分を少なくした古積塩は関東奥地で歓迎されという。(小沢利雄『たばこと塩の博物館研究紀要第5号“江戸時代の塩の道”』)
塩浜由緒書(しおはまゆいしょがき:市川市)
下妙典村の名主、岩竹家の伝来文書。明和6年(1769年)に幕府へ提出した年貢減免願書であり、行徳塩田のはじまり、開発手当金の支給、塩浜の経営方法等が記されており、代々重要引継文書として扱われ、災害による年貢減免の申請や、堤防工事等の嘆願の際の有力な根拠として幕府へ提示された。(鈴木和明『明解行徳の歴史大事典』)
【学びの場】
市立市川歴史博物館(市川市)
鎌倉時代以降の市川の歴史や文化を紹介しており、海辺、水路など地形を活かした市川の生活・生業(塩づくりなど)を展示している。

